人生100年時代。
会社員なら遅かれ早かれ、誰しもが考えるようになった、セカンドキャリアを選ぶタイミング。
今までと同じ業界も良し、違う業界や仕事に挑戦してみるのも良し。その選択肢は無限大です。
今回お話を伺ったのは、元Jリーガーの小椋祥平さん。
小椋さんは16年もの間、プロサッカー選手として第一線で活躍。2020年に現役を引退後は、なんと天然氷の卸売業とリカバリーサロンの経営という、これまでとは打って変わったキャリアを歩み始めました。
「サッカーしかしてこなかったからこそ、違うやり方で第2のキャリアを歩みたい。それが僕なりのサッカーへの恩返しだ」。
そう語る小椋さんの、セカンドキャリアへの考え方を伺いました。
小椋祥平さん
天然氷卸売業/リカバリーサロン経営高校卒業後、水戸ホーリーホックに入団。
ボランチ起用時に独特のマークでボールを奪う姿から「マムシの祥平」「水戸のガットゥーゾ」と呼ばれた。
その後は横浜F・マリノス、ガンバ大阪、モンテディオ山形を経て、2017年からヴァンフォーレ甲府に移籍。
2020年1月に現役を引退。
現在は山梨県を拠点に、天然氷の卸売業を営む。
7月11日には山梨県甲府市にかき氷店「甘味処・天然氷 若義」をオープンし、今秋には表参道にリカバリー専門のサロン「Re:room GINZA 表参道店」をオープン予定。
サッカー選手のセカンドキャリアは「指導者」だけではない。天然氷との出会いと、経営者としての第一歩
――サッカーを始めるきっかけは何だったのでしょうか?
3つ上の兄の影響で、小学校1年生の頃からサッカーを始めました。その頃ちょうどJリーグが開幕して、サッカーの盛り上がりがすごかったんですよ。だから小学校から高校までずっとサッカー漬けの毎日でしたね。
とはいえ僕は、決してエリートというわけでもなかったんですよ。選抜に選ばれたのも1度くらいでしたし。
――と、おっしゃいますが、高校卒業後はJリーグでプロサッカー選手になられていますよね。
いやホント、よくプロになれたなと思っています(笑)。
たまたま高校の監督と、水戸ホーリーホックの監督が知り合いで、練習に参加することになって。それがきっかけで入団することになったんですよ。以来、サッカー選手として16年間プレーをしてきました。やるからには常に上のリーグ、そして代表を目指して、ひたすら頑張って努力をしてきました。
――16年もの時間の中で、引退をしたその後のことは考えていましたか?
いや、全然考えていなかったですね。まずは目の前のサッカーに集中したかったですし「引退したらこんなビジネスを始めてみよう」とか、そんな器用なことを考えられるタイプでもありませんから(笑)。
だから現役最後のシーズン。試合にはほぼ出場し、体力的にも問題なくこれからもプレーできると思っていたのですが、所属チームからは契約満了と告げられてしまって……。
正直「嘘だろ」と思いました。
サッカーで上を目指すことがかなわないのであれば、もう引退するしかないかなと。そこで初めて引退後の人生について考え始めるようになったんです。
――小椋さんほどの人気と実績があれば、コーチや指導者などにお声がかかったのではないでしょうか?
指導者という道は考えていませんでした。ずるずるとサッカーの業界に居続けるより、ゼロから違う道に挑戦してみたいと思ったんです。
とはいえ、引退したのが運悪くコロナ禍の直前。
最後にプレーしていたのが山梨県の甲府市のチームだったのですが、引退後「何をしようかな」と考えていた時に、たまたま山梨県の天然氷を作る職人さんと出会ったんです。
――天然氷ですか?
恥ずかしながらその時まで、天然氷という存在を全く知りませんでした。けれど冬の間、自然の「寒さ」だけを使って、昼夜関係なくぶっ通しで作業される職人さんを知るきっかけがあったんです。
しかも雨などの不純物が入ったら、廃棄して作り直すんですよ? こんな便利な世の中と逆行するようなものづくりの姿勢に、衝撃を受けたんです。
山梨のチームでプレーさせてもらったご縁もありますし、そんな天然氷の素晴らしさをもっといろんな人に知っていただきたいなと思うようになりました。
そして「これを仕事にできないか」と模索するようになったんです。