事業を起こすきっかけ。
それは人によってさまざまですが、時に自分の人生をも大きく変えてしまう「きっかけ」と出合うにはどのようにしたらいいのでしょうか。
今回お話を伺ったのは、パーソナルトレーナーであり起業家の斉藤涼太さん。
斉藤さんはパーソナルトレーナーとして独立した後、5年で複数の事業を展開する起業家となりました。
なぜパーソナルトレーナーから、事業を拡大するに至ったのでしょうか。今回は斉藤さんのキャリアを伺うとともに、事業拡大をした理由と、その「きっかけ」との出合い方について伺いました。
斉藤涼太さん
株式会社Journey to Wellness代表取締役
健康経営アドバイザー/パーソナルトレーナー両親・兄弟ともにスポーツが好きな一家に生まれ、小学校はサッカー、中学から大学まではバスケとスポーツざんまいの学生生活を送る。
大学卒業後は、福岡県を中心にこどもを対象とした“スポーツ版”塾を全国展開する会社に就職。その後転職し、パーソナルトレーナーとしてキャリアを積み独立する。
現在は、パーソナルトレーナー業の傍ら、トレーナーの育成や法人向けフィットネス事業、ホテル等に設備されているジムの運営コンサル、姿勢診断のオンラインサービス事業など、フィットネスを軸にその業務は多岐にわたる。
体重93kg→63kgに? 斉藤さんがパーソナルトレーナーとして独立するまで
――パーソナルトレーニングをはじめとする、さまざまな事業を行っている斉藤さん。まずは現在に至るまでの経緯から伺いたいのですが、元々運動やスポーツは得意だったのでしょうか?
そうですね。こどもの頃から運動が好きで体操教室、サッカー、そして中学から大学を卒業するまではバスケをしていました。とはいえ「将来なりたいもの」が特別あったというわけではないのですが、体を動かしていた方が好きだったので、デスクワーク的な仕事はしないだろうなと、こどもながらに考えていましたね(笑)。
ただ、運動はしていたものの、高校時代の僕はとても太っていて。高校2年の時は、最大で93kgもあったんです。
それからダイエットに目覚めて、3年後の大学1年生の時には63kgにまで減量することができました。
「努力して痩せた」という経験は、今のキャリアにもつながってくると思います。
――では社会人になるとともに、パーソナルトレーニングを?
いえ、最初の3年は、福岡で「こどもたちに運動を教える教室」を展開する会社に就職しました。その会社はいわば「スポーツ版の塾」のような事業を行っていて。僕は福岡県内に数多くある教室の運営を行っていました。
毎日違う場所にある教室に出向いて、こどもたちと触れ合うのはとても楽しかったのですが、結婚を機に退職して、再び東京へ戻ってきました。
そこで転職して、2社目でパーソナルジムの会社に入社したんです。
――そこで経験を積み、パーソナルトレーナーとして独立を果たしたと。
そうなりますね。1社目と2社目で業務内容が大きく変わりますから、最初のうちは勉強しなければならないこともあったのですが、徐々にルーティン化してきてしまって。
比べるわけではないのですが、福岡時代はいろんなところにアチコチ行っては授業をして、という生活だったので……。
毎日同じ場所でトレーニングを教えるのは、僕の性にあまり合っていなくて。なんというか、飽き性なところがあるんですよね(笑)。
加えてリアルな話ですけど、結婚してこどもを養っていくとなると、今よりももっと収入を上げていかなければなりません。
そこで独立を考え始めて、思い切って挑戦してみることにしました。