挑戦に必要なこととは、なんでしょうか?
根性、気合い、勇気――。そのいずれも「一番重要なものではない」、そう語るのは今回お話を伺った、奥西亮賀さん。
奥西さんの運営する株式会社Peoplyticsでは、月に1回のペースで新しいプロダクトを創出しています。
前職のリクルート時代、新規事業の立ち上げに多く携わった奥西さんは、新規事業を成功させる上で必要な“あること”に気づいたと言います。
今回は奥西さんのこれまでのキャリアを振り返るとともに、なぜ月1回必ず新しいプロダクトを生み出すのかを伺いました。
奥西さんが気づいた“あること”、そして根性論ではない挑戦の仕方とは、一体なんでしょうか?
奥西亮賀さん
株式会社Peoplytics代表取締役大学時代にプログラミングと出合い、アプリ開発に情熱を注ぐ。
2015年に同志社大学大学院理工学研究科を卒業後、 リクルートホールディングスにUI/UXディレクターとして入社。
保険サイトやECサイトの新規立ち上げから、運用・改善に従事する。その後プロダクトマネジャーとして事業全体の戦略、マーケティングなどに携わる。
2019年7月に株式会社Peoplyticsを起業。
電話自動応答サービス「IVRy」や、気温に合わせた服装コーディネートを検索できるサイト「snapu!」といった、新規プロダクトのリリースに力を入れている。
「0から1を作るワクワク感」を、仲間と一緒に。奥西さんが起業を決めた理由
――株式会社Peoplyticsの代表として、数々のプロダクトを創出されている奥西さん。まずは現在に至るまでの経緯を聞かせていただきたいのですが、プログラミングはいつ頃から経験をされていたのでしょう?
本格的に勉強を始めたのは、大学院1年生の頃ですね。大学4年生から研究室に入るのですが、まだ配属されたての頃は「サーバーってなんですか?」というレベルで(笑)。
その後猛勉強を重ねて、大学院1年生の時には、1日15時間くらいはプログラミングをやっているような生活を送っていました。
当時、学生がiOSやAndroidのアプリ開発をするのが流行っていて、よく仲間と一緒にアプリを作っていたんです。
例えば僕は京都の大学に通っていたので、観光名所を検索できるアプリや、集合写真を撮る時に、全員がカメラを見たタイミングでシャッターが切れるようなアプリを開発したり。
「こういうの、あったらいいよね。便利だよね」と思えるシステムを、みんなでワイワイと案を出し合って、一緒に試行錯誤しながら形にしていく。
その「0から1を作るワクワク感」が、とっても楽しかったんですよね。でもその一方で、ある課題を感じていて。
――課題、ですか?
シンプルに、お金の稼ぎ方が分からなかったんです。せっかくがんばってアプリを作ったはいいけれど、それを使ってお金を稼ぐことができなければ、サービスを続けることはできません。
「作りたいものを形にする」ことは、大学院時代にある程度できるようになったので、今度はお金の稼ぎ方や生み出し方、ビジネスのことを学ぼうと思って就職を決意しました。
研究室の縁からリクルートにインターンする機会があり、そのまま就職したんです。
――リクルート時代はどのようなお仕事を?
UI(※)/UX(※)ディレクターとして新規事業、主に保険比較サイトやECサイトの立ち上げやWebサイトの設計といった業務を行っていました。僕自身がもともとサイトを作る側の人間だったので「自分でも作れるし、戦略も考えられる」、プロダクトを作る人と戦略を考えるマーケターの、中間のような役割を担っていたんです。
マーケターの仕事は、ただ「作るだけ」だった学生時代とは違った意味での難しさがある仕事でした。
そのおかげで、入社前の目標にしていたお金の生み出し方やビジネスについては、経験とともにかなり理解が深まっていきましたね。
※1……ユーザーインターフェースの略。インターフェースとは接点のことで、人とモノをつなぐ間のもの。例えばWebサイトなら、デザインやフォントといった、ユーザーの目の触れる全ての情報のこと
※2……ユーザーエクスペリエンスの略。ユーザーがサービスを通して得られる体験、経験のこと。例えばWebサイトなら、「デザインが美しい」「フォントが見やすい」といったユーザーが感じる全てのこと
――起業までの経緯について教えてください。
もともと入社前から、ずっと起業したいと思っていました。僕にとって、学生の時に味わった「0から1を作るワクワク感」の体験が、忘れられなかったんですよね。
もちろん会社員としても「0から1を作る」ことはやっていたんですが、それは「会社ルールの中で」という前提条件が必ずついてまわります。
例えば会社には人事というものがありますから、自分が好きな人とだけ仕事をすることはできません。それに「会社のやりたい方向性に反する、自分のやりたいこと」を実現するのは、至難の業です。
それに年齢を重ねてから、起業で大失敗をして会社員に戻るよりは、早めに起業を経験して失敗するなら失敗をして会社員に戻った方が、ダメージが少ないなと(笑)。
そんなことを考えていた会社員4年目に、会社の仕事とは別にある大手企業からシステム開発の依頼がありました。
その仕事を受注するためには法人登記が必要、ということとなり、あれよあれよと会社を立ち上げることになりました。
そして2019年7月に、株式会社Peoplyticsが生まれたんです。