決断。
人間は常に決めることから逃れられません。今日の晩ごはんから明日のスケジュール、1年後の自分のキャリアまで、全ては自分の決断の連続です。
特に独立、起業、転職といった決断をするには、より大きな決断力が必要なのかもしれません。
今回お話を伺ったのは、脚本家の梶本恵美さん。
梶本さんは脚本家として20年以上、多くのテレビドラマや映画の脚本を執筆。近年では舞台や朗読劇の脚本も手掛けています。
そんな梶本さんはまだ駆け出しだった頃、何も根拠がなかったにも関わらず「自分は脚本家」になる、と決めていたそうです。一体なぜでしょうか。
梶本恵美さん
脚本家
1991年、シカゴ在住時に創作テレビドラマ大賞に応募し、入選。
NHK土曜ドラマ「春むかし」で脚本家デビュー。
TBS「コスメの魔法」「キッパリ!」
NHK金曜時代劇「御宿かわせみ」他、時代劇多数
NHKドラマスペシャル「てのひらのメモ」
NHK土曜ドラマ「ボーダーライン」など。
2016年には映画「古都」、2017年NHK・FMシアタ-「眠れない女」など、数多くのテレビドラマ、映画、ラジオドラマ、舞台等を多数執筆している。
また現在は東京の他に長野県の蓼科にも拠点を構えている。
アメリカからコンクールに応募しデビュー? 梶本さんの意外なキャリア
蓼科で撮影
―脚本家として20年以上活躍されている梶本さん。やはり幼い頃から映像制作に興味があったのでしょうか?
いえ。小さい頃はその逆で、この業界には絶対に入らないだろうなと思っていました。
というのも私の父が映画人だったんです。映像制作の会社で社長をしていた父の周りには、その業界の人がたくさんいて。
私も小さい頃から現場に遊びに行かせてもらったりもしたので、良くも悪くも映像の業界のことを知りすぎてしまったんです(笑)。
だから私は特に映像の業界に足を踏み入れることもなく、普通に学生生活を送り、結婚したんです。
―そんな梶本さんが脚本を書くようになったきっかけというのは?
結婚してからしばらくして、たまたま日本アカデミー賞のパーティーに行ったことがありました。
その日の夜中、ふと目が覚めてしまって。
それまで普通の専業主婦だったのですが、なんというか「こんなはずじゃなかったな」と。
そこで創作的な活動を始めてみたんです。昔から、何かを作ることが好きだったのでいろいろ手当り次第やってみて。
絵を描いてみたり粘土をこねてみたり。その時に挑戦してみたことの1つが、原稿用紙に文字を書くことだったというわけです。
―そこからデビューまでは?
文章を書くことに目覚めてからシナリオ・センターに通い始めて、シナリオに関するノウハウを勉強し始めました。
当時は子育てをしながらで大変だったのですが、なんとか合間に時間を見つけて。とにかく書いては出して、書いては出してを繰り返していました。
デビューしたのは31歳の時。ちょうど夫の海外転勤でアメリカに渡っていた時です。
―アメリカにいた時にデビューされたのですか!?
ええ。シナリオ・センターを卒業後も、ずっとアメリカから日本の脚本のコンクールに応募し続けていて。
アメリカに渡って3年目くらいの時に、日本放送作家協会が主宰するコンクールで大賞を受賞したんです。
その3年間、はじめは慣れないことも多く大変でしたね(笑)。
けれども向こうでの暮らしで触れる異国の文化や現地でのボランティアの経験を経て、自分が人間的に成長できた。
それが結果として脚本に活きて、賞をいただけたんじゃないかなと思います。