マンガ。
おそらくこどもの頃から、皆さんのとても近くにあった娯楽ではないでしょうか。
素敵なお話に笑い、泣き、感動し、いつしか「将来はマンガ家になりたい」と夢を抱いた人も少なくないでしょう。
今回お話を伺ったのは、マンガ家の横山了一さん。
マンガといえば大手出版社の雑誌で連載する、といった印象がありますが、横山さんは現在雑誌の連載はしておらず、Webを中心に活動されています。
かつては雑誌連載を行っていたという横山さん。なぜ活動の拠点をWebに移したのでしょうか。
今回はその理由と、マンガ家として活動するために必要なことについて伺いました。
横山了一さん
マンガ家2002年、週刊ヤングマガジンにて『熱血番長鬼瓦椿』で連載デビュー。番長、ヤクザの組長、魔王など、個性の強いキャラによるギャグ漫画を得意とする。
現在はSNSを中心に活動し、多くの連載や企業PRマンガなどを手掛ける。
横山さんのTwitterはコチラから!
https://twitter.com/yokoyama_bancho
憧れの未来を手に入れろ! 横山了一の【マンガで分かるライフシフト】vol.1
https://entrenet.jp/magazine/14446/
作家主導で作品作りがスピーディーにできる。雑誌からWebへ、活動の領域が移った理由
―SNSを中心にマンガ家として活躍されている横山さん。マンガ家を目指し始めたのはいつごろだったのでしょう?
小さい頃から絵が好きで、高校生くらいの時には「マンガ家になろう」と思っていました。親の勧めで大学には進学したのですが、個人的には大学の勉強よりも、早くマンガ家としてデビューしたくて。
―いつデビューされたのですか?
大学を出て1年後ですね。「週刊ヤングマガジン」でギャグマンガの企画が通り、連載がスタートしました。以来ギャグマンガを中心に、10年以上雑誌をメインに活動してきました。
https://entrenet.jp/magazine/14446/
―横山さんといえば、以前「アントレ Style Magazine」でもマンガを描いていただきました。雑誌というよりはSNSを使ってらっしゃるイメージがありますが…。
最近はもっぱらSNSやWebで作品を投稿することが多いですが、活動の場所を移したのは、実は2015年ごろからなんです。
―結構最近なんですね。なぜ活動の場所を移されたのでしょう?
いろいろ新しい可能性に挑戦してみたかったからですね。雑誌の連載だけに頼って生活をしていくのは、非常に不安定なんです。
人気が出て連載が続いていけばいいですが、連載がストップしてしまったらそのまま収入もストップしてしまう。
さらに他の雑誌でマンガを描くにしても、まずは担当編集者のOKが出るかどうか、そして雑誌の編集部で掲載のOKが出るかどうか。この2つの関門が待っています。
―「連載が終わったからすぐに別の雑誌で…」と、そこまで上手くはいかないのですね。
そうなんですよね。そこで雑誌の連載に次ぐ、新たな収入の柱を立てる意味でも、本格的にSNSを活用し始めました。
SNSでは作品を描き上げたら、それをそのまますぐにアップできますし、読者からのレスも早いんです。
雑誌でずっとマンガを描いてきたので、そのスピード感にはとても驚きました。
―雑誌なら、そもそも読者の手に届くまでにも時間がかかりますし、感想が作家側に届くのにも時間がかかりますからね。
作家が主導的に作品を作ることができますし、読者からのレスも早い。より良い作品を読者に届けるためにも、SNSを使って幅広くさまざまな感想をいただき、その都度フィードバックを次の作品作りに活かしていくことができます。
そうしてTwitterで話題になったマンガを見た、知り合いの編集さんから「Webで連載をしませんか」と声をかけていただいたことがきっかけで、徐々に雑誌からWebへ、活動のフィールドが移っていきました。
http://to-ti.in/story/%e7%ac%ac1%e8%a9%b1%ef%bc%882015-05-22%ef%bc%89