65歳以上の高齢者が増え続け、超高齢化社会を迎えている昨今。
年々、介護施設の役割は重要な位置を占めてきている。
2065年には人口は現在の3分の2に減り、65歳以上が総人口の38%以上になるとも言われているため、介護施設の存在は、今後さらに必要不可欠なものとなってくるだろう。
そんな介護業界に、プロ野球の世界から転身した男がいる。
阪神タイガースや広島東洋カープなどで活躍した左腕、江草仁貴だ。
彼は2107年シーズン限りで引退し、現在はリハビリ型デイサービス「株式会社キアン」の経営者として第2の人生を送っている。
なぜ、野球とはかけ離れた介護の仕事をセカンドキャリアに選んだのだろうか。
今回は彼の野球人生を振り返るとともに、介護業界に転身した理由、そしてリハビリ型デイサービスの経営者として描く未来について話を聞いた。
江草仁貴(えぐさ・ひろたか)さん
1980年生まれ、広島県福山市出身の元プロ野球選手。
専修大学卒業後、2003年にドラフト自由枠で阪神タイガースに入団し、3年目から中継ぎの一角として一軍に定着。
MAX145キロの直球と、フォーク・ツーシームという2種類の落ちるボールを駆使して先発からロングリリーフまでこなし、毎季50試合以上の登板をこなせる貴重な中継ぎ左腕として活躍する。
その後、西武ライオンズへの移籍を経て、2012年には広島東洋カープへ移籍し、2017年に現役を引退。
現在はリハビリ型デイサービス「株式会社キアン」を経営し、指導者として大阪電気通信大学の硬式野球部のコーチも務めるなど、幅広い分野で活躍している。
元プロ野球選手・江草仁貴が、セカンドキャリアに介護事業を選んだ理由
ー元プロ野球選手であり、現在はリハビリ型デイサービス施設を運営する会社の社長をされている江草さん。現在に至るまでの経緯を教えてください。
野球を始めたのは小学3年生の時です。近所の友達から誘われたことがきっかけで、地元の少年野球チームに入団しました。
この頃から漠然と、プロ野球選手になりたいと思っていましたね。
小中学校と野球を続け、高校は強豪校である広島の盈進(えいしん)高校に進みました。
高校3年時の夏にはエースとしてマウンドに上がることができましたが、県大会の準々決勝で負けてしまいました。
目標だった甲子園に出場することができなかったのは、本当に悔しかったですね。
ーそうですよね…。高校卒業後はどうされたのですか?
専修大学に進学して野球を続けました。
大学3年までベンチにも入ることができなかったので、「野球は大学までかな…」って、プロへの道を半分諦めかけていたんです。
そう思いながら迎えた大学4年時の春、ある転機が訪れました。
ーどのようなことが起こったのですか?
レギュラーだった同級生がけがをして、チームの先発投手陣が手薄になったんです。そこで僕がメンバーに抜擢されて、ようやく登板するチャンスが巡ってきました。
そして、投げた試合でしっかりと結果を残すことができ、東都大学野球連盟2部リーグでMVPを受賞しました。
その後、2002年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから指名していただきました。この活躍がなければ、プロへの夢は潰えていたかもしれませんね。
ー江草さんは、最後の最後に訪れたたった1度のチャンスをしっかり掴み取ったわけですね。実際に夢だったプロ野球の世界に入ってみて、いかがでしたか?
初めてプロの投手を間近で見た時、「とてもじゃないけど、この中で勝ち残っていく自信はないな」と思いました。選手1人ひとりの能力が想像以上でしたから。
周りと比べたら、自分にはずば抜けた能力がないことは分かりきっていたので、「この世界で生きていくためだったら何でもしよう」と心に決めたんです。
それから中継ぎとして起用されるようになった僕は、入団3年目の2005年シーズンには51試合に登板し、ある程度の成績を残すことができました。
チーム事情でどんな場面でも投げる“便利屋”的な起用のされ方でしたが、「自分を必要としてくれる場所で頑張らないといけない」と思っていたので、特に不満もなく、逆に使ってもらえてありがたかったですね。
その後、2011年には西武ライオンズ、2012年からは広島カープへと交換トレードで移籍し、2017年オフに現役を引退しました。
この世界で14年間もプレーできるとは思っていなかったので、本当に幸せなプロ野球人生でした。
ー引退後はどうされたのですか?
地元である広島にリハビリ型デイサービス施設を設立し、介護事業を始めました。
というのも実は、現役時代からセカンドキャリアについては考えていたんです。
2012年のシーズン前に西武からカープにトレードされた時「あ、もう次はないな」とクビを覚悟していたので。そのタイミングから引退後の仕事を探していたんです。
いろんな職業を模索していく中で、飲食店の経営も考えましたし、普通に会社員として働いてみたい気持ちもありました。
ですが「自分だからこそできることって何だろう」と考えた時に、介護の仕事がパッと頭の中に思い浮かんだんです。
ーそれはなぜでしょう?
僕は幼少期からずっと祖父母と暮らしていて、お爺ちゃんとお婆ちゃんが大好きだったんですね。
現役時代のシーズンオフに訪れていた介護施設でも、高齢者の方々に笑顔で迎えられ、それに喜びを覚えていたこともあり「僕がやるべきなのは高齢者の役に立てるデイサービス事業なのではないか」と感じたんです。
それからシーズンオフにさまざまな施設を回って介護や経営について勉強していき、事業を立ち上げるために少しずつ準備を進めていきました。
そして引退直前の2017年7月、広島市内にリハビリ型デイサービス「株式会社キアン」を設立し、経営者としてのキャリアをスタートさせたんです。