お寺の僧侶とは最も身近で、最も縁遠い仕事なのかもしれない。多くの人が生涯に一度はお世話になる職業なのに、僧侶になろうと思う人は少ないし、どうすればなれるのか、仕事の内容がどのようなものなのかを知る人は少ない。
この記事で紹介する小野常寛(おの・じょうかん)さんは、都内のお寺に生まれながら大学卒業後すぐには僧侶にならず、新卒でベンチャー企業に就職した。
その後、小野さんは地域に開かれた寺院作りを支援する「株式会社結縁企画」を起業し、現在ではご実家を継ぎ僧侶として働いている。彼はなぜビジネスマンという道を選び、僧侶へと転身したのだろうか?
<プロフィール>
小野 常寛(おのじょうかん)31才
株式会社結縁企画 代表取締役/天台宗僧侶
高龍山明王院普賢寺四十二代目の実子として生まれ、都立国際高校、早稲田大学第二文学部で学ぶ。
早稲田大学に在学中Lewis&Clark college留学。在学中比叡山延暦寺 行院にて四度加行満行。大学卒業後、人事組織コンサルティングのリンクアンドモチベーショングループにてコーポレートコミュニケーション支援事業に従事。
その後、スタートアップベンチャーのアレックスに参画しオンラインコマース事業の立ち上げに従事後、僧侶兼事業家として独立し株式会社結縁企画を創業。
お寺に生まれビジネスマンへ、その根本には異国の友人の影響があった
− 小野さんはビジネスマンから僧侶へと転職されていますよね。そんなキャリアを持つ人はなかなかいないと思います。まずは小野さんと仏教の出合いから教えてください。
私自身お寺の子として生まれたので、幼い頃から漠然と、いつか寺を継ぐのだろうと思っていました。僧侶という仕事にも良いイメージを持っていて家寺を継ぐことには抵抗はなかったですね。それは祖父の影響なんです。昔は、お寺はお悩み相談所のような役割も持っていて、祖父の元にもよく悩み事を相談される方が来ていました。
ある日私が境内で遊んでいると、暗い表情でお寺に入っていく方を見たんです。それで1時間ほど経って寺から出てくると、すごくスッキリとした晴れやかな表情になっているんですよ。だから「僧侶って素敵な仕事だなあ」と幼心に思っていました。
− 僧侶というお仕事への印象は良好だったんですね。小野さんはその後どのような進路を選ばれてきたのでしょうか?
国際的な僧侶になるための道を選び、高校は国際色豊かな都立国際高校に進学しました。というのも、幼少期に海外旅行の機会があったのですが、そこで、現地で同じ年代の友達ができたのです。当時は日本語しか喋れずコミュニケーションが取れず、非常に悔しい思いをして、帰国後は躍起になって英語を学びました。すると、いつしか英語が好きになり国際派志向になっていたんです。
単純に世界の国々のことやそこで暮らす人を知ることが、とても楽しかったのだと思います。それに準じて進学先も選びました。僧侶と国際派という2つの掛け合わせは、いつしか自分自身の中で当たり前となり、「目指すべき道」だと考えるようになりました。
− 小野さんは先ほど「国際的な僧侶になりたい」と話されていましたが、学生時代から何か準備を進めていたのでしょうか?
そうですね。「留学したい」という夢がありましたので、それを叶えるためにTOEFLの勉強に励み、志望校に留学して宗教学を勉強することができました。ただ、母校が仏教大学ではなく、自身の仏教の知識も乏しかったので、一度休学して比叡山で修行をしてから、留学することにしました。そういう意味では、学生時代に人生を変えるような非常に貴重な経験をさせていただいたと思います。
− お坊さんになるためには修行が必要なんですね。それはどのようなものでしたか?
宗派によって期間や方法は違いますが、私の属する天台宗ではお師匠を見つけ、得度(出家の許しを得ること)を受け、総本山である比叡山の修行道場で約2カ月間の修行に入ります。その修行を完遂できれば、僧侶としての第1歩を踏み出すことができます。
修行道場では座学で仏教の知識を身につけるだけでなく、座禅や掃除や実践などの生活を通して仏教の心得をみっちり仕込まれます。指導者はとても厳しく、叱咤されることも多々ありました。
今思えばそのような厳しい指導は、未熟な私たちに対して、僧侶としての覚悟や本気度を引き出すための思いやりでもあったと感じます。実際、修行が終わった後に話すと愉快で優しい方ばかりでした(笑)。
− お坊さんって和やかなイメージがありますが、怖い方もいらっしゃるんですね。僧侶としての資格はありながら、小野さんは一度ビジネスマンとして働かれています。そこにはどのような理由があったのでしょうか?
そこも祖父の影響が大きかったと思います。祖父は若い頃に省庁で働き、その後に僧侶になりました。沢山の方に愛されていた祖父でもあったので、その生き方を真似しようと心の中で決めていたのだと思います。また、私たち僧侶が普段接するのは「一般社会で活躍されている人」です。
その一般社会に、僧侶である私自らが身を投じることで、将来的に役に立つのではないかと思っていました。
そこで、30歳までは様々な経験をして知見を広げるために社会で働くことを決めました。