独立・起業に必要な着想力。
どこにどんな方法でビジネスをするのか。より柔軟な着想力は、ビジネスを立ち上げて成功するための、極めて重要な要素の1つと言えるでしょう。
今回お話を伺ったのは、マンガ家の大江しんいちろうさん。
大江さんの代表作であり、現在LINEマンガにて連載中の『困ったじいさん』は、2020年4月よりBS日テレにてテレビアニメ化も決定しているほどの人気作です。
そんな『困ったじいさん』は、ある要素とある要素の掛け合わせで生まれたそうです。
今回は大江さんのキャリアと『困ったじいさん』を生んだ、その着想力について伺いました。
大江しんいちろうさん
ギャグマンガ家
2005年デビュー。
以降、少年誌等を中心に多数作品を執筆する。現在LINEマンガにて『困ったじいさん』を連載中。
代表作に、週刊少年ジャンプ「私立ポセイドン学園高等部」最強ジャンプ「宇宙警察テツオ」別冊少年チャンピオン「英雄!シーザーさん」など。
マンガ家か、講師か。自分の本当にやりたいことは?
―現在、LINEマンガにて『困ったじいさん』を連載されている大江しんいちろうさん。マンガ家になるまでの経緯から教えてください。
幼稚園の頃から絵を描くのが好きだったので、物心がつく前からマンガを描いていました。藤子・F・不二雄先生の『ドラえもん』などを見て、自由帳に絵を描いて。その時からなんとなくコマ割りを意識して描いていたと思います。
本格的にマンガ家を目指そうと思い始めたのはその後ですね。「週刊少年ジャンプ」を読むようになって「まずは新人賞に応募して、そこからマンガ家としてデビューしていくのか。いずれは自分も出してみたいな」と思うようになったんです。
―実際に応募したのはいつごろだったのでしょう?
初めて応募したのは中学3年生の時だったと思います。そこから何個か出してみて、高校生の頃に最終候補の手前まで残るようになったのですが、実際に読み切りを描いてデビューさせてもらったのが大学を卒業してからでした。
―大学卒業後はずっとマンガ家として生計を立てていたのでしょうか?
いえ。マンガ家だけではさすがに食べていけなかったので、学校で非常勤の講師をしていました。
教育系の大学に通っていたので、教員免許を持っていたんです。だから大学を卒業するときにそのまま学校の先生になる予定でした。
でもいざ大学を卒業するタイミングで、自分の本当にやりたかったことはなんだろうと考えるようになって。
かっ藤の末、選んだ答えがマンガ家だったんです。
だからマンガ家という仕事を軸に、そこから非常勤の講師として働くようになりました。非常勤講師なら公務員ではないので、マンガ家としての収入があっても特に問題はないですから。
―現在はマンガ家だけをされていらっしゃいますが、専業になるにあたっての経緯を教えてください。
マンガ家と講師を両立させる生活が、体力的にかなり厳しくなってきたからです。
平日の昼間は講師としての仕事をこなしつつ、就業後や休みの日を使ってマンガを描く。
マンガ家としての仕事は連載をさせてもらっている時期とそうでない時期で忙しさが変わるんですが、連載をこなして締め切りを守るとなるとやはり業務量が多くなっていく。
となると睡眠時間を削るしかなくなり、そのしわ寄せが来るようになってしまって。
そんな生活を続けていたある日、一度家で倒れてしまったことがありました。たまたま打ちどころが悪くて、後頭部から流血してしばらく気を失っていたんです。
―流血?!
まぁ、なんとか大事には至らずに済んだのですが(笑)。
でもそのときに「ああ、やっぱりちゃんと寝ないとダメだな」と、身にしみて分かったんです。
そこで講師をやめて、基本的にはマンガだけの生活へとシフトチェンジしていきました。