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選手を支える名脇役に。元Jリーガー・鈴木規郎が、選手から仲介人に転身した理由

生ボイス

どんな世界でも、主役を支える上で欠かせない“名脇役”。

自分の役割に徹し、サポートしてくれる彼らの存在があるからこそ、主役は大きな光を放つことができます。

ビジネスシーンにしてもそう。主役である顧客が本当に望んでいること、進みたい方向性を理解し、パートナーとして支援する名脇役(企業)の存在は欠かせません。

今回お話を伺ったのは、元プロサッカー選手の鈴木規郎さん。

鈴木さんは、プロサッカー選手として国内外で活躍し、引退後は現役選手をサポートする仲介人として第2の人生を歩んでいます。

主役だった選手から、脇役として支える立場となった鈴木さん。セカンドキャリアへの転身についてをお話しいただきながら、仲介人の仕事をする上で心がけていることを伺いました。

<プロフィール>
鈴木規郎(すずき・のりお)さん
1984年生まれ、千葉県出身の元プロサッカー選手。5歳でサッカーを始め、ジェフユナイテッド市原・千葉ジュニアユース時代に日本クラブユースサッカー(U-15)選手権大会で優勝。八千代高校時代には国民体育大会で優秀選手に選出。

高校を卒業した2002年にFC東京に加入し、サイドバック、サイドハーフ、FWとさまざまポジションで活躍する。

2008年にヴィッセル神戸に移籍。翌2009年にフランスのアンジェSCOに加入。帰国後、大宮アルディージャに加入し、同クラブで4年間プレーした後、2014年にベガルタ仙台へ移籍。

2015年には活躍の舞台をフィリピンに移し、グローバルFCでプレー。2016年に現役を引退。

また、早くから年代別の日本代表に選出され、2003年にはU-20(20歳以下)日本代表の一員としてFIFAワールドユース選手権(現 FIFA U-20ワールドカップ)に出場した。

2018年には株式会社 By playersを設立し、現在は仲介人として活動している。

※仲介人とは
サッカー選手が、自身の契約金や年俸交渉等を始めとするクラブとの契約、移籍等の交渉などに立てる第三者のこと。
2015年4月より「仲介人制度」が日本でも導入された。

現役選手のサポートをするために。元Jリーガー・鈴木規郎が、引退後に仲介人を目指した理由

ープロサッカー選手として国内外で活躍し、引退後は現役選手の仲介人をされている鈴木規郎さん。現在に至るまでの経緯を教えてください。

鈴木さん
サッカーを始めたのは幼稚園の頃です。近所のサッカースクールに仲の良い友達が入っていたので、「僕もやってみようかな」と思ったのがきっかけですね。小学3年時からは、大手電線メーカーである古河電気工業のチームに入団し、本格的にサッカーを習い始めました。

すると、1年後の1993年にJリーグが発足するタイミングで、同社がJR東日本と共同出資する形で同リーグ加盟チーム「ジェフユナイテッド市原」(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)を設立したんです。

それに伴って、チームに元サッカー選手の方がコーチとして来てくれるようになり、一流の指導を受けられるようになりました。

そういった恵まれた環境の中でサッカーをすることができたので、スキルは一気に上達し、中学に入学する時には同チームのジュニアユースに昇格。

1998年のU-15クラブユース選手権ではレギュラーとして活躍し、全国優勝を果たすことができました。

ーサッカー選手として順風満帆なスタートを切ったわけですね。

鈴木さん
はい。なので当時は高校生からユースチームに所属し、そのままトップチームへ昇格するという、いわゆる”エスカレーター式”でプロに入ろうと考えていました。しかし、フタを開けてみたらユースチームへの昇格は叶わず…。高校サッカー部でのプレーを余儀なくされたのです。

昇格可否の判断は選手の実力のみならず、トップチームの状況に大きく左右されるので、上がれなかった理由は一概には言えません。

ただ同世代にはレベルの高い選手が多く、誰が昇格してもおかしくない状況ではありました。

だから、たまたま僕が当時のトップチームが設定する補強必要度の高いタイプ、あるいはポジションの選手ではなかったのかもしれませんね。

ーチーム事情もあるとはいえ、相当な悔しさがあったのではないですか?

鈴木さん
もちろんありました。なので、中学卒業後に進学した地元の千葉・八千代高校で「結果を残して見返してやろう」と決意したんです。

はじめは同校のAチーム(1軍メンバー)にも上がれず挫折を味わいましたが、「頑張るしかない」となんとか這い上がり、遂にはレギュラーを獲得しました。

それからは国体の優秀選手に選ばれたり、U-16日本代表に召集されたりと、少しずつ結果を出せるようになっていったんです。

そして2002年、高校時代の活躍を評価して誘っていただいたFC東京に入団し、晴れてプロのサッカー選手になることができました。

ーユースに上がれなかった悔しさをバネに努力し続けた、その気持ちがあったからこそ、プロに誘われるような素晴らしい選手へと成長することができたのですね。プロの世界に入ってからはどうだったのでしょうか?

鈴木さん
入団してからの2年間はあまり活躍することはできませんでしたが、プロ3年目の2004年から出場機会が増え、徐々にレギュラーとしての地位を確立していきました。その後、新たな刺激を求めて海外クラブへの移籍を模索し始めた僕は、日本人選手の代理人を務めているパトリック・エムボマさんの仲介により、フランス2部リーグ・アンジェSCOを紹介してもらったんです。

2008年に同クラブの練習に参加した際には、正式にオファーをしていただきました。

ただ、それより先にヴィッセル神戸からオファーを頂いていたので、その時はJリーグに残りましたが、再オファーをいただいた2009年夏からはアンジェSCOへ移籍。念願だった海外でプレーすることができたんです。

2010年に退団して以降は、大宮アルディージャ、ベガルタ仙台を経て、2015年にフィリピンのグローバルFCに加入。シーズン終了後に退団してからは所属先が見つからなかったので、2016年にJリーグ合同トライアウトを受けてクラブからのオファーを待ちました。

しかし、どこからも声はかからず…。自分の口から報告はしていませんでしたが、同年を持って事実上の引退という形になったんです。その時は32歳でしたね。

ーそうでしたか…。では引退後、仲介人を目指すきっかけは何だったのでしょう?

鈴木さん
Jリーグの仲介人は200人ほどいるんですけど、その中に元プロサッカー選手は10人程度しかいない、ということを引退後に知ったからです。というのも、僕は現役時代に3つの代理人事務所と契約していていたんですね。なので選手が移籍や年俸交渉をすることにおける、仲介人の存在の大きさは身にしみて感じていました。

ただ仲介人といっても、プロとしての経験がなければ交渉はもちろん、選手のキャリア形成にも大きく響いてしまう可能性があります。

何故なら、仲介人は移籍交渉や契約更改だけが仕事ではないからです。

選手の日常生活のケアや引退後のアドバイスなど、サッカー選手のキャリアプランをサポートする全ての業務が仲介人の仕事。だからこそ、プロ出身の仲介人を増やしていかないといけない。

そう思った僕は、元プロサッカー選手のキャリアを活かして現役選手のマネジメント会社を立ち上げ、仲介人として活動していこうと考えたんです。

そして2018年5月、プロサッカー選手の代理人業を中心にスポーツビジネスを展開する「株式会社 By players」を設立。仲介人としてのセカンドキャリアを歩み始めました。

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クラブが選手のことを想い、より良い評価をしてくれる環境をつくる。仲介人として大切にしていること

※本記事は取材当時の情報を基にしており、団体名、サービス名、法令等が現在と異なる可能性があります。しかし、取材時の想いや状況を正確に伝えるため、内容をそのまま掲載しています。ご了承ください。

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