パラレルキャリア。
古くは、かのドラッカーが提唱した考え方ですが、平均寿命も延びさらに加速する現代社会の生き方として近年話題となっているキーワードです。
今回お話を伺った矢萩邦彦さんは、そんなパラレルキャリアを20年以上も前から実践していました。矢萩さんは、塾での講師業、ジャーナリズム活動、音楽活動、まちづくりや企業研修などさまざまな領域で20年以上活躍されています。
矢萩さんは、さまざまな仕事を経験することよりも、一度関わった仕事を続けることがパラレルキャリアの価値を生むと考えています。そこには、20年という時間がもたらす説得力がありました。
教育ジャーナリスト/知窓学舎塾長/株式会社スタディオアフタモード代表取締役CEO
教育・アート・ジャーナリズムの現場で活動し、1つの専門分野では得にくい視点と技術の越境統合を目指す日本初のアルスコンビネーター(松岡正剛より拝命)。
横浜に「受験指導×探究型学習」をコンセプトにした統合型学習塾『知窓学舎』を開校、プロデュース、講義の他、教育コンサルタントとして受験指南・講師研修・企業研修等も手がけている。
代表取締役を務める株式会社スタディオアフタモードでは、ジャーナリスト育成や大学との共同研究に従事、ロンドン・ソチパラリンピックには公式記者として派遣。
ネット媒体では、Yahoo!ニュースを中心にオーサーとして取材・撮影、記事・コメント等を執筆。主宰する教養の未来研究所では戦略PRコンサルタント・クリエイティブディレクターとして企業の未来戦略やブランディングを手がけている。
さまざまな分野・立場を行き来する「越境者」として歩んだ20年
―矢萩さんはずいぶん前からパラレルキャリアの道を歩んできたとお聞きしました。具体的にどんな仕事をされているのでしょうか?
10代の頃から塾の講師業、ジャーナリズム活動、音楽活動をしているので、パラレルキャリアという道を選んでから、かれこれ20年ほどになります。
―そのうちのどれかが本業、というわけではないのでしょうか?
そうですね、どれかが本業になってしまわないようにバランスを取っていますね。活動の共通点を挙げるなら、人に何かを「伝える」ということが1つの根幹になっています。
会話であれ文章であれ、はたまた音楽であれ。人に伝えるためならあらゆる手段を使います。
―矢萩さんの活動をカテゴライズしようとするとなかなか難しいのですが、ひとことで言うと矢萩さんはどんな人なのでしょうか?
ひとことで言うと「職人的ジェネラリスト」ですね。
いろいろな立場でさまざまな現場に関わっています。多様な分野を「越境する」こと自体が価値になるように、知見やスキルを結合したり再編集したりしています。
また、越境するのは分野など横の関係だけではありません。
僕はプレイングマネージャーであることが大切だと思っているので、自分が現場で仕事をするプレーヤーでありながらマネージャーもやっている、すなわち縦の関係も越境するようにしています。そこが職業プロデューサーや編集者と大きく違うところです。
そうすることでさまざまな分野はもちろん、それぞれの立場を知っていることで、ヒト・モノ・コトを繋げやすくなるんです。
―お話を聞いていると、ますます矢萩さんが何者なのかよくわからなくなってきました(笑)。矢萩さんのように、多方面でプロとして活躍されている方って、あまり多くありませんよね。
そうですね。本業は1人1つといった、スペシャリストとしてのプロが一般的ですからね。
近代化の流れの中で分業による合理化が当たり前になり、そうした「プロフェッショナル=スペシャリスト」的な価値観が一般的になってしまいましたが、中には僕みたいにさまざまな現場や立場を知るジェネラリストもいたほうがいい。
ジェネラリストもプロフェッショナルに成り得るし、そういうスキルを持つ人もスペシャリストだという認識が広まって欲しいですね。
もちろん、どちらがいいとか悪いとかではなくて、偏りすぎるのはよくないと考えています。専門家には専門家の役割が、越境者には越境者の役割がありますので。
そうした多様性が認められる社会になればいいなと思っています。