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サイエンスプロデューサー 米村でんじろう氏【2/3】 リーダーの流儀

生ボイス

ビジネス誌や書籍をはじめ、アカデミックな場で語られるリーダー論。
理想やビジョンを掲げただけでは、人がついてくる保証はない。
リーダーは自ら行動し続けるからこそ、共鳴が生まれ、仲間が集まる。
今回は、公務員を経て40歳でサイエンスプロデューサーとして独立された
米村でんじろう氏を取材。勝算があったわけではない、手探りからのスタート。
経験を重ねながら見えてきた経営者としての視点を、語っていただいた。

前回のストーリーはこちらから

プロフィール
米村でんじろう(サイエンスプロデューサー)
1955年、千葉県生まれ。東京学芸大学大学院理科教育専攻科修了。学校法人自由学園講師、都立高校教諭を務めたのち、科学の楽しさを広く伝える仕事を目指し、96年、サイエンスプロデューサーとして独立。同年、NHK『おれは日本のガリレオだ!!』に出演し、話題となる。98年、米村でんじろうサイエンスプロダクションを設立。科学実験の企画・開発、サイエンスショー、実験教室、研修会の企画・監修・出演、テレビ番組、雑誌の企画・監修・出演など、幅広いフィールドで活躍を続けている。

正直言って、人前に出て何かを演じることは今も向いていないと思う

――公務員という安定した地位を捨て、40歳でフリーランスに。勝算はあったのでしょうか。

米村:独立する前に、勝算などないですし、今のような仕事をするなんて想像もしていなかったです。ただ、実際に教師を辞めたことを宣言したら周囲が動き出し、いろんな人との関係性が変わっていきました。何かを捨てると、次への本気度が伝わるのでしょうね。

ある日、 「ヨネちゃん、君の出演も盛り込んだ新企画を出しておいたから」と、出入りしていた映像会社の知り合いから言われたんです。それが後に転機となる、NHKのドキュメンタリー番組でした。ちょうどその頃、学生の理科離れが社会問題になっていて、ユニークな科学の授業をする教師を紹介するという企画が、採用されたのです。

独立して2か月目のゴールデンウィークにその番組が放映されてすぐ、びっくりするくらいいろんな問い合わせが殺到しました。世の中に僕のような存在が珍しかったのでしょう。例えば、韓国の大手鉄鋼会社の社長から会いたいと呼ばれ、「韓国も受験社会になった。君のような子どもの好奇心を刺激する授業ができる教育者が必要だ」と熱く語られたこともありました。

ほかにも、本当にたくさん。人前に出ることなど想像もしていなかったのに、テレビ番組や講演に呼ばれる機会がどんどん増えていきました。でも、科学の面白さってただ話すよりも、実際の実験を見せたほうがわかりやすいし、お客さまも楽しいでしょ。そう考えて、今のようなスタイルのサイエンスショーを始め、少しずつ進化させていったのです。

僕の肩書は「サイエンスプロデューサー」ですが、これは、人前に出るよりも、教材や番組の企画など、裏方の役割がしたいという思いでつけた造語。正直言って人前に出て何かを演じることは今でも向いていないと思っています。ただ、フリーランスは仕事を断るのがすごく怖いのです。来月も仕事がもらえるかどうか、全くわかりませんからね。多少やりたいことと違う方向性の仕事の話が来ても、断らずにやってみたらそれがまた次の仕事、次の仕事につながっていった。

流れに逆らわず、素直に、誠実にずっと身を任せ続けてきたら、今の場所にたどり着いていたという感じでしょうか。

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アントレスタイルマガジン編集部

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