セカンドキャリア。
人生100年時代と言われて久しい昨今。
スポーツ選手に限らず、会社員として働く人にも、遅かれ早かれセカンドキャリアの選択のタイミングが訪れてると言っても過言ではありません。
今回お話を伺ったのは、元なでしこリーガーで、女子サッカーチームを経営する吉野有香さん。吉野さんは、なでしこリーガーとして活躍後に起業。
現在は、京都府京丹後市を拠点とする女子サッカーチーム『KYOTO TANGO QUEENS』を運営する他、サッカーの楽しさをこどもたちへ伝えるためにクラブチームを始め、幼稚園や小学校などでイベントを開催しています。
「女子サッカー界に長年身を置く自分だからこそ、できることがある」と語る、吉野さん。
今回は、そんな吉野さんのキャリアを伺うとともに、セカンドキャリアを選択する上で大切にすべきことを伺いました。
吉野有香さん
株式会社ゆかサル 代表取締役
『KYOTO TANGO QUEENS』経営1991年愛知県出身。
小学・中学時代は地元でサッカーに打ち込み、その後、宮城県の常盤木学園高校で『全日本U-18女子サッカー選手権大会』や『全日本高等学校女子サッカー選手権大会』で連覇を果たす。
卒業後は当時なでしこリーグ1部のスペランツァFC大阪高槻に加入。
バニーズ京都SCに移籍し、2015年に現役引退。
2020年に『株式会社ゆかサル』を設立し、代表取締役社長に就任。
関西リーグ2部に所属する『KYOTO TANGO QUEENS』を運営する。
ビジネスは「数字」で結果が反映される世界。現役引退後、起業を決意したワケ
――元なでしこリーガーで、現在は起業をされた吉野さん。まずは、なでしこリーガーになるまでの経緯から教えていただけますか?
サッカーを始めたのは小学校1年生の時です。地元に女子チームがあったので、そこに所属していました。中学時代は名古屋FCレディースで全国大会出場、高校は女子サッカーの名門・常盤木学園高等学校のサッカー部に進学しました。
高校卒業後は関西大学に進学して、同時に当時なでしこリーグ1部のスペランツァFC大阪高槻に入団したんです。
――小さい頃からサッカーが得意だったのですね。経歴だけを聞くと、とても順調なサッカー人生のように思えますが……?
昔からサッカーは好きでしたし得意だったのですが……ケガがとにかく多くて。高校3年生の時もケガでセレクション(プロサッカーチームへの入団試験)に参加ができずに、どうしようかと悩んでいたんです。
そんな時、高校の顧問の先生が、スペランツァFC大阪高槻を紹介・推薦してくださって。どうにか入団することができました。
そして大学へ進学するのと同時に、なでしこリーグでプレイできることになったんです。本当に運が良かったですね。
――そこからバニーズ京都SCへ移籍されていますよね?
やはりプロ入り後もケガが多く、左足前十字靭帯断裂、半月板損傷が原因で、スペランツァFC大阪高槻から戦力外通告を受けてしまって。その後なでしこリーグ2部(当時)のバニーズ京都SCに移籍。レギュラーとして活躍するも、2年目に今度は右足前十字靭帯を損傷してしまったんです。
そして24歳の時に、現役引退を決意しました。
――引退後、すぐ起業しようと思われたのでしょうか?
そうですね。というのも実は、大学卒業後から引退するまでの3年間、チームのスポンサー企業で、販売員として働いていました。
ビジネスの世界は、サッカーと違って「数字が正しい」というか「頑張れば頑張っただけお金という結果で反映される世界」だなと感じていて。
そんな経験から、いつしか「経営っておもしろそうだな」と思うようになり、引退して半年で会社も退職し、起業したんです。