なりたいものになる。
本当はやりたいことがあるのに、「この歳になっていまさら」「食べていけるほど稼げないかも」などといった理由で諦めてはいませんか?
現在60歳の作曲家・田村信二さんは挫折を味わいながらも、自分の「好き」に囲まれて生きていこうと、48歳で独立。
人の目などを気にすることなく「自分本位」で楽しく生きることが、周りの人も幸せにすると語る田村さん。
今回はそんな田村さんの掲げる2つのマイルールについて、伺いました。やりたいことがありながらも、なかなか踏み出せないでいる人は必見です。
田村信二さん
作曲家・スパイスコラボミュージシャン
関西学院大学在学中、21歳でビクターよりバンドメジャーデビュー。
解散後、ゲーム『テイルズ オブ』シリーズの音楽を14年間担当。
並行してSMAP、鈴木雅之、SKE48、NMB48などアーティストの曲や、『けいおん!』『らき☆すた』といった、有名アニメソングを多数作曲。
現在は株式会社メロディワークス代表として、作曲レッスンやワークショップ、マンツーマンコンサルタント活動を行っている。
バンドマンから作曲家へ転身、そして48歳で独立
――まずは音楽をはじめたきっかけと、現在にいたる経緯を教えていただけますか?
小学校の低学年でクラシックギターを始めたのがきっかけです。その後、ロックに興味を持つようになって、高校時代からバンド活動をスタート。
大学3年生の時、東京の事務所からスカウトされたことで、メジャーデビューしたのですが……残念ながら売れることはできずに、バンドは解散となりました。
――その後も音楽活動を?
ええ、当時はまだ若かったので、アルバイトをしながらバンドを組んで、と、音楽活動そのものは続けていたのですが、あまり芳しくなく……。
とはいえ、音楽以外の仕事をするという選択肢も、自分の中にはなくて。
どうにかして30歳までには、ちゃんとした形で「音楽を仕事」にしようと思っていたんです。
そこでいろいろなご縁が重なり、ゲーム制作会社の音楽クリエイターとして就職しました。ちょうど、30歳になった誕生日のことでした。
――そこから、職業作曲家としてのキャリアがスタートするんですね。
はい。その会社ではゲーム『テイルズ オブ』シリーズを始めとする、ゲーム音楽の制作を14年間担当させていただきました。
作曲の仕事はとても楽しくて勉強にもなり、やりがいもあったのですが……。ゲームの音楽というのは、いわゆる「歌メロ」がないんですよ。主旋律となるメロディに、ボーカリストの歌声を乗せないものがほとんど。
もちろんそれはそれで、作っていて楽しかったのですが、やはり僕にとってのルーツはロックやバンドといった、ボーカリストが歌詞を歌う音楽でした。
そこで勤務時間外に少しずつ「歌モノ」の曲を作っては、作曲家事務所に曲を送ってみました。するといくつかの楽曲を採用していただいたんです。
自分が作った曲を使っていただけたことが嬉しくて「もっと歌モノを作っていきたい」という思いが、僕の中で大きくなっていきました。
そして48歳の時に、独立することを決めたんです。