何年もかけて努力してきた夢が、叶わなかった…。
「すごく悔しいし、切り替えは大変。でも、失敗を恐れて挑戦しないよりも、思い切ってやってみた方がいい!」
そう語るのは、日本テレビ『バゲット』レギュラー出演中の気象予報士・宮崎由衣子さん。
宮崎さんは昔医学部を目指したものの、4浪の末に挫折し、そのあとに目指した声優も事務所に入れず断念。そんな中、気象予報士の試験に見事合格し、今の仕事にたどり着きます。
なぜ数々の挫折を経験しても、くじけずに次の目標を見つけて挑戦をし続けられたのか?「今の仕事にたどり着けて、本当に良かった」と話す宮崎さんに話を伺いました。
宮崎由衣子さん
気象予報士・防災士医学部を目指して、4浪・挫折の末、音楽大学に進学。コンサートの企画制作を学ぶ中で、自分の声で情報を伝えることに興味を持ち、声優養成所でナレーションを学ぶ。東日本大震災をきっかけに、防災情報を伝えることで人の命を救えるのではないかと考え、気象予報士・防災士の資格を取得し、現在に至る。日本テレビ『バゲット』レギュラー出演中。
医師にも声優にもなれなかったけど。人に言われて気づいた「しゃべる」特技
ー気象予報士としてテレビで活躍する宮崎由衣子さん。現在に至るまでの経緯を教えてください。
宮崎さん
最初から気象予報士を目指していたわけではなく、実はずっと医師になりたいと思っていました。父が医師なので、「命を救う仕事」に憧れていて。大学は医学部を受験しました。
ところが4浪しても受からなくて。諦めるのは相当しんどかったですが、切り替えて別の道に進むことに。そこで「こどもの頃から好きだった音楽を仕事にしたい」と思い、音大に進学しました。
音大では、コンサートの企画制作の実習でアナウンスの練習がありました。マイクに向かって原稿を読むと、クラスのみんなが「由衣ちゃんしゃべるのとても上手だね!」と褒めてくれたんです。
そういえば、こどもの頃は友達とラジオごっこをして遊んでいたなぁ、と思い出しました。「私はマイクの前でしゃべるのが好きなんだ」と、このとき初めて気が付きましたね。
ー医師の道を諦めて進んだ音大で、特技が「しゃべり」であることに気づいたのですね。
宮崎さん
そうなんです!「しゃべりを仕事に生かすなら声優になろう」と思って、音大4年生の時に声優養成所に通い始めました。そこで3年間ナレーションの勉強をします。
ナレーションの世界は厳しくて、活躍できる人はほんの一握りです。ところが、養成所3年目のときに受けたあるオーディションで、かなりいいところまで進みました。「医学部はあんなに落ちたのに。やっぱり『しゃべり』は向いているのかもしれない」と、手応えを感じたんです。
でも最終的に事務所には所属できず、声優の道は諦めざるを得ませんでした。
ー医師に続き声優の道も挫折…。苦しかったと思いますが、そこからどのようにして気象予報士を目指したのでしょう?
宮崎さん
「医師にも声優にもなれなかった…。こんな私に何ができるだろう?」と自問自答していたとき、大学在学中に経験した東日本大震災のことを思いました。
震災以降、情報の大切さを私自身も感じていたので、「もしかして、防災に関わる情報を私の声で発信することができれば、特技のしゃべりを活かせるかもしれない」と思ったんです。
「それはまさに、私がやりたかった『命を救う仕事』なのでは? 医師になるだけが人の命を救う方法ではないかかもしれない」と。
それに気づいてすぐに防災士の(社会のさまざまな場で防災力を高める活動をするために、十分な意識と一定の知識・技能を修得したことを日本防災士機構が認証する)資格を取りましたが、この資格単体では活かし方が限られていました。
そこで仕事の機会を得るべく、気象予報士を目指して勉強を始めました。養成所卒業後の26歳の時です。