1971年。
今から48年前、日本を代表する人気コンテンツ『仮面ライダー』が産声を上げた年です。
『仮面ライダー』の制作に携わり、現在に至るまで様々な映像作品・舞台などで主にアクションの側面から人気コンテンツを支えてきた会社が、株式会社ジャパンアクションエンタープライズ。
今回は同社の代表取締役社長・金田治さんにお話を伺いました。
特撮界の巨匠として、数々の作品に携わってきた金田さん。
今回は金田さんがアクションの世界に入った理由から、作品作り・後続育成をする上で大切にしているものを伺いました。
金田治さん
株式会社ジャパンアクションエンタープライズ代表取締役社長
21歳の時に千葉真一さんが立ち上げたジャパンアクションクラブに入門し、その後アクション俳優、スタントマンとして活躍。
現在は株式会社ジャパンアクションエンタープライズ代表取締役社長を務める傍ら、テレビや映画で監督として活躍を続けている。
『特捜ロボジャンパーソン』で監督デビュー。『仮面ライダー電王』『仮面ライダー鎧武』などの仮面ライダーシリーズ、『特命戦隊ゴーバスターズ』などのスーパー戦隊シリーズほか、さまざまなアクション作品の監督を務める。
巨匠・金田治が、アクションの世界へ踏み出した意外な理由
―仮面ライダーシリーズやスーパー戦隊シリーズを始め、多くのアクション作品の監督を務めている金田さん。もともとはスタントマン、アクション俳優だったそうですが、なぜアクションを志したのですか?
最初のきっかけは、ズバリお金が欲しかったからです(笑)。
高校を卒業して進路を考える頃、大学に行って勉強するのは嫌、会社員になって働くのも嫌だったので、専門学校に進学することを口実に東京へ出てきました。
専門学校に行きながらアルバイトで食いつないでいたある時、兄がエキストラの仕事をしていた関係で、千葉真一さんが主宰する「ジャパンアクションクラブ」(以下、JAC)の存在を知りました。
幼い頃からテレビも映画もあまり見てこなかったので、正直良くわからなかったのですが、なんでもアメリカのハリウッド映画でアクションをこなすスタントマンは、1回のアクションで何十万円ももらえるらしいと聞きまして。
「スタントマンていうのはお金になるのか!」と思い、兄に紹介してもらい21歳でJACの門下生となったのがきっかけです。
―なんというか、ものすごい生々しい理由でアクションの道に進まれたのですね…(笑)。
当時の僕は、特に「将来何になりたい、こんなことがしたい」みたいな目標がなかったんですよ。
とりあえず大金を稼げる方法としてスタントマンの仕事があった。だからそれに挑戦してみた、という流れです(笑)。
―そしてその流れが現在にもつながるわけですが、JAC入所当時はどうでしたか?
入所してから東映のテレビや映画のアクション、藤岡弘さん演じる「仮面ライダー1号」のトランポリンアクションなどに出演してました。
当時は実際に藤岡さんご本人が仮面ライダーのスーツを着ていたのですが、トランポリンを使うアクションの時はスタントマンがスーツアクターを演じていたんですよ。
真夏の撮影で、汗だくになりながらも必死でしたね。当時は僕も駆け出しでしたから、諸先輩方に怒られながら経験を積んでいったんです。
―やはりアクションの道は生易しいものではなかったんですね。それでも大変な分、当初の目的通りお金を稼ぐことはできたのではないですか?
それが意外と稼げなかったんです。やはりアメリカと日本の制作予算の差なんですかね、想定外でした(笑)。
お金がちゃんと稼げていないことに疑問を感じつつも、とにかく多忙を極めていたので仕事に没頭していました。
―大変な現場を任されていたのにも関わらず、収入が伴わないのであれば、いっそ辞めてしまうという選択肢もありそうですが、なぜ続けられたのでしょう?
んー…、なんとなく周りに流されてしまって(笑)。
たしかにおっしゃる通り、過酷な現場で当時はまだ薄給でしたから、僕より先に入った先輩たち、特に家庭を持っていた方の多くは辞めてしまったんです。
JACに入った仲間内では、僕が年長者だったこともあり、気がついたら同期や後輩の中で僕が1番年齢が上になっていました。
知らず知らずのうちに、みんなが「かねさん、かねさん」って慕ってくれるようになってからは、もう辞めるに辞められなくなってしまって。本当はお金がもっと稼げるところに行きたかったんですけど(笑)。
ちょうどその頃『ロボット刑事』という作品で主人公のスーツアクターを担当することになり、当初の期待とは程遠いものの、徐々に安定してお金も稼ぐことができるようになっていきました。