仕事の作り方。
一般に、仕事を与えてもらう機会の多い会社員とは異なり、独立・起業される方は、自分で仕事を作っていかなければなりません。
今回お話を伺ったのはギタリストの福江元太さん。
福江さんはこれまでプロのギタリストとして、数多くの楽曲制作や、ライブなどをはじめ、講師や演奏業など、ギターを用いて様々な方面で活躍をされています。
今回はそんな福江さんのキャリアについて伺っていくのと同時に、フリーランスとしての仕事の作り方について、お話を伺いました。
福江元太さん
ギタリスト、作曲家、ギター講師。
アイリッシュやソロギターのスタイルを軸に全国で幅広く活動している。
葉加瀬太郎「What a day」ツアーで、アイリッシュフィドラー功刀(くぬぎ)丈弘とNHKホール、オーチャードホール等で前座を務めたほか、革製品の会社Sukumo LeatherとスニーカーメーカーBluestoneのプロモーションCMの楽曲全面制作、また山田孝之主演、石橋義正監督の映画「ミロクローゼ」の挿入曲に参加するなど活動は多岐にわたる。
現在「功刀丈弘’s Tabula Rasd」「la feau」「Hanz Araki Band」「ライノス」「水瓶」などのバンドと平行してソロでも多くの場所で演奏している。
未経験から葉加瀬太郎のオープニングアクトに。ギタリスト福江元太の、栄光と挫折
―福江さんの経歴について教えてください。
ギターを始めたのは、大学生になってからです。
当時、鍼灸師になるための大学に通っていたのですが、大学の授業を聞くのが苦手でした。
そんな中、出合ったのがギターでした。
通っていた大学の軽音サークルがそこそこ盛んだったこともあり、ロックからジャズ、アイリッシュに至るまで様々な音楽に触れることができました。
そんな状況も相まって、僕はギターの魅力に取り憑かれていきました。
―そんな福江さんが、プロのギタリストとして、活動されるようになったきっかけは何ですか?
まだギターを始めて2年ほどしか経っていないころ、路上ライブやアイリッシュパブでセッションをしている時に、声をかけてくださったのが、葉加瀬太郎さんのコンサートでオープニングアクトを務めていた、功刀丈弘さんでした。
功刀さんに、葉加瀬さんのツアーの前座バンドのメンバーに抜擢していただいたのをきっかけに、プロのギタリストとしてのキャリアをスタートさせました。
このタイミングで大学も中退しました。
―まだギターを始めて1〜2年という短い時間でプロとして活動され始めたことに対して、不安はなかったのでしょうか?
不安はありました。
未来へのビジョンというか、これからどうなっていきたいのか、自分でも明確な答えを出すことは、当時は全くできていなかったですね。
それでもやっぱりギターは好きでしたし、何より自分のギターを必要としてくれる環境に、「居場所」みたいなものを感じられたんです。
大学の授業を聞いているよりも、ギターを弾いている方が楽しかったので。
―プロのギタリストとして専業になってからは、いかがでしたか?
本当に大変でしたね。
3バンドほど掛け持ちしていたのですが、それら全てのアルバム制作やツアーの日程調整、ライブの出演などほぼ休みなく働いていました。
23〜24歳の時には、ライブの年間本数が300本を超えていたので、ほぼほぼ毎日ライブをしつつ、楽曲の制作活動はもちろん、裏方の事務仕事も全てやっていました。
そしてとうとう25歳の時に、過労とストレスで、体調面も精神面も壊してしまったんです。
―それだけのハードな活動をされていたら、無理もありませんね…。その後はどうされたのでしょう?
もう身体も心も限界だったので、活動の全てを停止して、一度実家に戻りました。
しばらく病院に通って静養しつつ、時間の経過とともに体調も安定してきたので、地元のカフェ・バーでアルバイトを始めました。
お店のオーナーが音楽好きで、よく店内でツアーミュージャンがライブをしていました。
そして僕の経歴を知ってか知らずか、「福江くんも何かやってみる?」と誘っていただき、オーナーのご厚意で、たまにギターを弾くようになったんです。
―久しぶりのギターは、どうでしたか?
純粋に楽しかったです。
今までは、あれよあれよとプロの道へ進み、毎日の忙しさに追われながら「仕事」として音楽をやっていたのですが、そういうのを抜きにして弾くギターはとても楽しかったし、新鮮だったんです。
楽しみながらお店で音楽を奏でる機会が増え始めた頃、かつて一緒にバンドをやっていたメンバーから、もう一度音楽をやらないかと誘われ、今に至ります。
「仕事」ではなく、純粋に音楽を楽しむことでなんとか立ち直ることができました。