人を動かす。
かのデール・カーネギーの名著のタイトルでもあるこの課題は、チームを運営する上で避けては通れない最大の関門といっても過言ではないでしょう。
今回お話を伺ったのは、アメリカンフットボール(以下アメフト)の攻撃の要「クォーターバック(以下QB)」の育成スクール、「QB道場」の代表・新生剛士さん。
新生さんは自身のプレーヤーとしての経験、そして数多くのQBを育てた経験から「アメフトも事業も、人の心を動かせる人が勝つ」と語ります。
優れたQB、優れた指揮官が持ちうる「人を動かす力」について伺いました。
新生剛士(しんじょう・たけし)
QB道場・代表1968年生まれ。関西大学卒。
リクルート・シーガルズ(現オービック・シーガルズ)、アサヒ飲料チャレンジャーズのQBとして日本社会人Xリーグで11シーズンプレー。
米アリーナフットボール・リーグでの試合出場経験も持つ。オービックでQBコーチ、オフェンスコーディネーターを歴任し、2011年に「QB道場」を立ち上げ、日本全国だけでなく海外でも、数多くのQBを指導している。
闇雲に投げ込んでも、上手くなんてならない。2人の師匠に教わった「がんばり方のコツ」
―大学、社会人リーグでアメフト選手として活躍されてきた新生さん。新生さんとアメフトの出合いから、教えていただけますか?
アメフトを始めたのは大学生になってからですね。高校までは、野球の名門PL学園で野球をやっていました。しかし僕が入っていたのは、硬式ではなく軟式野球部、しかも補欠だったんです。
実は体育も平均点以下でむしろ運動音痴の部類でした。
そして大学に入学し、アメフトと出合いました。
―運動が苦手だったとおっしゃいますが、その後アメフトの攻撃の要である、QBとして、才能を開花させていらっしゃいますよね?
そうですね。大学で始めたアメフトを社会人になってからも続け、約17年選手として活躍できたのは、大学でも社会人でも素晴らしいコーチから指導を受けることできたからなのですが、最初の大きな転機は大学時代に出会った2人の恩師でした。
1人目の恩師には、QBとしてボールを投げる技術について教えていただきました。
最初はあの特徴的な楕円形のボールが全く投げられなかったのですが、身体をうまく使うことで、ちゃんと遠くへ且つ、狙ったところへ投げられるようになりました。
―闇雲に投げ込むのではなく、理にかなった正しいフォームに則って上手くなっていったのですね。
そうですね。そして2人目の恩師には、アメフトの「ゲームとしてのおもしろさ」について学びました。
アメフトはポジションによって全く役割が異なります。
私のポジションはQBで攻撃の司令塔でした。敵チームの守備の弱点を見極めて、的確なプレー選択やプレー中の判断でその弱点を攻める。そういうアメフトの戦略的なおもしろさを教わりました。
お2人のご指導のおかげで、全くの初心者だった僕がアメフトに夢中になり試合に出て活躍し大学卒業後もアメフトを続けるまでに至りました。
―この経験が現在の「QB道場」に大きく影響しているのではないでしょうか?
そうですね。身体の使い方、ゲームとしてのおもしろさを知ることは、やはりQBの成長には欠かせないものだと思います。そしてもう1つ、私は社会人として仕事をしながら、選手としてもアメフトを続けていましたが、そこで学んだのは「チームビルディングの重要性」でした。
―具体的にお聞きしてもよろしいでしょうか?
当時在籍したチームには有名選手はあまりおらず、良くも悪くも「今いるメンバーを強くして勝ちに行かなければならない」という状況でした。ですからコーチ陣は我々に物凄いハードワークを求める訳です。
本当にしんどいメニューが多かったのですが、常にそのハードワークの先にある個々の選手やチームの成長のビジョンを示してくれて、ポジティブな声がけをしてくれましたので選手もがんばれました。
その結果、選手の取り組みのレベルが大きく向上し、チームが変わっていったのです。
私もチームのリーダーとして時に指導者的な役割もこなし、チームの結束と地力を高めることに力を入れました。
そして6年目のシーズンに、僕たちのチームはついに日本一を獲得したのです。
―それが「チームビルディングの重要性」だったのですね。
はい。その後アメリカのアリーナフットボールリーグに挑戦、選手として引退後、コーチを経験しました。そして、自分の成功・失敗の経験をより濃く伝えていくために「QB道場」の立ち上げを決意しました。