『きれいでなければ稼げません』。
今回お話を伺った美容家の渡辺ゆきよさんは、先日そんな衝撃的なタイトルの本を出版しました。
渡辺さんは、エステティックサロンのプロデュースやコンサルティング、人材育成、講演活動といった幅広い活動を通してカリスマ美容家として、絶大な支持を受けています。
そんな渡辺さん曰く「きれい」でないと、お客さまに選んでもらえないそうです。
なぜ「きれい」でないと稼げないのでしょうか?
その理由は、渡辺さんの29年にも及ぶ美容業界での活躍、そして挫折―。そこから這い上がってきた経験の中にありました。
渡辺ゆきよ美容家・講師。
鹿児島県生まれ。Yuki Watanabe Beauty Presen.(ユキワタナベビューティプレゼン)代表。
突き抜けた販売のセンスにより、月間売上1000万円を越えるエステティックサロンのカリスマ店長を経て、世界33ヵ国に輸出する美顔器のセミナーの全国展開に携わる。
取締役を務めた会社を退社し、現在は店舗運営やスタッフ教育の経験をもとに、エステティックサロンのプロデュース・コンサルティング、 人材育成、講演活動を行う。
2017年8月、WAVE出版より初の著書『きれいでなければ稼げません』を出版。
2017年現在、美容業界歴は29年。
勤続25年・取締役を務めた会社からの転職、そして挫折―。カリスマ美容家が、独立の道を選ぶまで
ー美容業界に携わって29年、独立後はエステティックサロンのプロデュースやコンサルティングなど、美容家・講師として活躍されている渡辺さん。現在のお仕事に至るまでの流れを教えてください。
私は高校を卒業後、新卒として入社したエステティックサロンの会社、及び関連会社に25年間勤務していました。実は私はこどもの頃からアトピー性皮膚炎を患っていたり、太っていたり、毛深かったりと、自分の容姿に対してずっとコンプレックスを抱えていました。
そのコンプレックスからか「きれいになりたい!」という気持ちが人一倍強かったんです。
そして就職活動時、クラスメイトに「美容に興味があるなら、私の先輩がこの会社に入ってみない?って言ってるよ」と誘われたのがきっかけで、エステティックサロンの会社に入社しました。
最初は店舗で実際にお客さまに施術を行う、エステティシャンとしてキャリアをスタートさせました。
当時会社が成長期だったということもあり、新しいスタッフがどんどん入ってきていたんです。
新卒だった私も、新しいスタッフが入ってくるとだんだん古株になっていきました。
売上成績が良かったこともあり、あれよあれよという間にスピード出世しました。
そして気づいたら、施術を行う現場のエステティシャンから、スタッフを教育する店長として、店舗マネジメントを運営する立場になっていました。
ー現場スタッフからマネジメントをする立場へ昇進を果たしたんですね。その後はどのようなキャリアを積んでいったのでしょうか?
1店舗の店長から、複数の店舗を統括するエリア長、サロンの事業部をまとめる美容部長という役職を経て、広報なども経験しました。その後、会社が開発した美顔器のインストラクターとして、全国のエステティックサロンに向けたセミナーを担当する立場になりました。
以降は、長年にわたってその美顔器を導入するエステティックサロンに実際に赴き、現場で働くエステティシャンへ美顔器の使い方などをレクチャーするようになりました。
ー全国各地へ赴いて現場スタッフへレクチャーする。その時の経験が、今のお仕事の礎になったんですね。
そうですね。仕事としては美顔器の効果を伝えたり、導入後のプロセスをレクチャーすることだったのですが、私には現場時代に月間売上1000万円を越えるエステティックサロンを5年間出し続けたという実績がありました。その実績を買っていただいてか、ありがたいことに商品の導入だけでなく、店舗経営に関するノウハウを教えてほしいとの依頼も多く受けたのです。
私がこれまで現場で身に付けたノウハウを生かして、各店舗の売り上げを伸ばしていくことは、とても楽しくやりがいのある仕事だと感じ始めていました。
ーここまでのお話を聞くと、一見順風満帆に思えるのですが、なぜ独立を決意したのでしょうか?
入社して25年。新卒の一現場スタッフが取締役にまで上り詰めたのですが、四半世紀も同じ会社の社長の元で働いていると、次第に横柄な態度になっていくのですね。
私は会社の経営に対して、我流の考えを持ちはじめたのです。要するに社長の経営理念に素直になれない自分がいました。
そんな時に同業者さまから、ヘッドハンティングの誘いがありました。
そこで思い切って、25年働いた会社から転職しました。
ー25年も働いた会社から新しい環境に身を置くというのは、とても勇気のいることだったと思います。転職してみて、どうでしたか?
外に出て、転職したからこそ分かることもたくさんありました。今までの会社では「結果をちゃんと残せていれば、渡辺さんのアイデアを自由に実践してもいいよ」と、裁量を多く与えてくれていました。
いくら長くキャリアを積んでいるとはいえ、転職した会社ではまだまだ新米ですから当然ですが、今までよりも自分の独創性を発揮することができませんでした。
そしてそこに対して、不自由さを感じるようになりました。
ーまさに「隣の芝生は青かった」んですね。
本当にその通りです(笑)。やっぱり私は、自分の裁量で自由に仕事ができる環境で働きたいと強く思いました。
では、私に一体何ができるのか、どうしていきたいのかを真剣に考えた結果、思い浮かんだのが美容家・講師としての独立でした。
もう誰の元でも、自分の理想とする「自由」は手に入れられないだろうと確信したのです。
これまでの経験を活かして、世の中のエステティックサロンを、もっと突き抜けた”本物“にプロデュースしたい。その一心で独立を果たしました。