『イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」』という本を知っていますか?
かつて世界有数のコンサルティング会社、マッキンゼー・アンド・カンパニーに勤めていた著者が、仕事における「本当に向き合うべき問題」を見極めることの重要性を説いた、ビジネス書の名著です。
今回お話を伺った株式会社みやじ豚を経営する宮治勇輔さんは、まさにイシューを的確に見抜き、自社の豚肉「みやじ豚」を見事に高級ブランドへとのし上げました。
宮治さんは先代から後を継いで会社をどのように経営していったのか。そして高級ブランド「みやじ豚」はどのようにして生まれたのでしょうか。
その答えには独立を考えているすべての方に役立つ、成功するためのヒントがたくさん詰まっていました。
株式会社みやじ豚 代表取締役社長
特定非営利活動法人農家のこせがれネットワーク 代表理事2001年慶應義塾大学総合政策学部卒業後、大手人材紹介会社に入社。
営業・企画・新規プロジェクトの立ち上げ、大阪勤務などを経て2005年6月に退職。
実家の養豚業を継ぎ、2006年9月に株式会社みやじ豚を設立し代表取締役に就任。
生産は弟、自身はプロデュースを担当し、兄弟の二人三脚と独自のバーベキューマーケティングにより2年で神奈川県のトップブランドに押し上げる。
おいしいのに評価されない?大学時代の原体験がきっかけで見えてきた、農業のふたつの問題点
―宮治さんが株式会社みやじ豚の代表になるまでの経緯を教えてください。
もともと子どもの頃から歴史が好きだったので、「男に生まれたからには、一国一城の主になる」という野望を漠然と抱いていました。当然今の世の中では城は持てないので、現代でいう一国一城の主、すなわち会社の社長になりたいと思って大学では経営を学び、卒業後は大手人材系の会社に新卒で入社しました。
―そのときはまだ今の仕事をやろうとは思っていなかったのですか?
そうですね。私の父がもともと養豚場を営んでいましたが、農業には全く興味がありませんでした。当時はまだどんな仕事で起業をしたらいいのか、よくわかっていませんでした。新卒で入社後は、半年スパンで部署が変わっていたので本当にさまざまな仕事を経験することができました。しかし、普通に仕事をしているだけじゃ社長にはなれないと思い、毎朝早く起きて勉強を始めました。
ビジネス書を読んだり、好きな歴史小説を読んだりと、自分の興味のあることから勉強を広げていったら、自然と農業に行き着いたんです。
―農業へ興味が湧いてきた理由はなんでしょう?
ずっと心の中に大学時代の自分の原体験があって、その後、いろいろな勉強をしていく中で農業に関するふたつの問題点が自分の中で浮き彫りになってきたからですね。
―大学時代の原体験とは?
私が大学生のとき、父が育てた豚肉を使って友だちとバーベキューをしたんです。そのときに「この豚肉本当においしいね!どこで買えるの?」と友人に聞かれたのですが、当時の私は自分の父の豚肉をどこで買えるかなんて知らなかったんです。父に聞いてみると、流通の過程でどの農場の肉も一緒くたにされてしまい、店頭に並んでいてもどの肉がうちの豚なのかわからないそうでした。
そのとき、うちの豚がこんなにもおいしいと気づくきっかけであったと同時に、せっかくおいしい豚肉を作っていても適切な評価をされていないんじゃないか?と疑問に思ったんですね。
―ずっと心の中にその原体験をしまったまま、働きながら勉強を続けたわけですね。その結果、浮き彫りになった農業に関するふたつの問題点とはなんでしょうか?
ひとつ目が、農家に価格の決定権がないこと。普通、農家は育てた作物を収穫後、市場に持っていってそこで全量買い上げてもらいます。もちろん例外はありますが、今でも日本ではそういった流通がメインになっています。
そうした仕組みは価格が安定していればうまく機能するのですが、今は全体的に相場が下がっています。つまり、農家は質の良い作物を作ることは得意ですが、売るのは苦手なんです。構造上、どうしても市場任せになっているので。
そしてふたつ目は、作物の生産者の名前が消されて流通していること。
誰がこの作物を作ったのかが明らかになっていないので、消費者はどんな人がこの作物を作っているのかがわからないし、作り手もどんな人が買ってくれているのかを知る術がありません。
例えば「◯◯県産の豚肉」といったように、産地で一緒くたにされてしまいがちなんです。
これでは適切な評価を受けづらいですよね。同じ産地でも、良いものと悪いものとで違いが少なからずあるわけですから。
そんなふたつの問題をどうにかしたい。そしてうちの豚肉をもっとたくさんの人に知ってほしい。そんな想いから、父の農場を継ぐことを考え始めました。