原動力。
生活のため。自分のため、家族のため。趣味のため。そして夢のため――。
仕事をする上での原動力が明確であればあるほど、そしてそれが強ければ強いほど、人はがんばることができるのではないでしょうか。
今回お話を伺ったのは、プロスマブラプレイヤーのCaptainJackさん。(以下、CJさん)
CJさんがオーナーを務める「CJ Esports」は、任天堂の人気ゲーム『大乱闘スマッシュブラザーズ』(以下、『スマブラ』)シリーズ専門のゲーミングチームです。
かつては詐欺師に騙され、一時は680万円の借金を背負ったこともあったというCJさん。
そんな絶望の中でも彼を支えたある原動力とは、一体なんでしょうか。
CaptainJackさん
プロスマブラプレイヤー/CJ Esportsオーナー
幼い頃からゲームをプレイし、任天堂のポケットモンスターやスマブラのオフ会等でゲーマーとしての経験を積む。
2001年にリリースされた『大乱闘スマッシュブラザーズDX』では、日本のみならずアメリカやオーストラリア、オランダなど世界各国の大会で優勝を経験する。
2008年に大学を卒業するとともに、現役を引退し就職。
その後詐欺師に騙され、最大で680万円の借金を背負うものの、フィンランド移住後にブログ事業で成功し見事完済。
2017年、プロゲーマーとして再び『スマブラ』の世界に復帰。
2018年、eスポーツチーム“CJ Esports”を設立。
オーナーを務めながら、自らも所属選手として活動する。
『スマブラDX』元世界最強プロゲーマー・CaptainJack、キャリアと原点を振り返る
――現在、『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズのプロゲーミングチーム「CJ Esports」のオーナーを務めながら、自身も所属選手として活躍されているCaptainJackさん。まずはCJさんとゲームの出合いから教えていただけますか?
まだ3歳か4歳くらいのことだったでしょうか。実家近くにあった祖父母の家に、今から40年くらい前に発売された「ぴゅう太」というゲームが置いてあったんです。
そのゲームがかなり面白くて(笑)。 以来「ファミリーコンピュータ」や「スーパーファミコン」、「NINTENDO 64」(以下、「64」)などはもちろん、その他たくさんのゲームで遊んできました。
小さい頃は近所の友達と一緒に遊ぶ程度だったんですが、成長するにつれ「もっと強い人と戦いたい!」と思うようになっていって。
『ポケットモンスター金・銀』をプレイする頃(1999年頃)には、友達と一緒にオフ会に行くようになりました。
そして今では僕のライフワークでもある、大好きな『スマブラ』シリーズの第1作、『ニンテンドウオールスター! 大乱闘スマッシュブラザーズ』でも、積極的にオフ会に参加していましたね。
――より強いプレイヤーと腕を競うオフ会で、CJさんはどのような活躍を?
誤解を恐れずに言うと、「初めて参加したオフ会から引退まで、ほぼ最強」でした。
昔の『スマブラ』って、いわゆる「自称地元最強」がめちゃくちゃ多いゲームだったんですよ。今みたいにYouTubeで誰でも簡単に世界トッププレイヤーのプレイが見られるわけではなかったですからね。
「スマブラなら俺の右に出るやつはいない!」みたいな友達、きっと皆さんの地元にもいたと思うんです(笑)。
――たしかに……(笑)。
それくらい裾野が広いゲームなんです、『スマブラ』って。だからオフ会に行くと、腕に覚えがある「地元最強」同士が拳を交えることになるわけです。
大抵の「地元最強」はそこで、いわゆる井の中の蛙だったことに気づかされます。
そんな中、僕は初めて参加したオフ会から、2008年に就職して引退するまで、わずかな例外を除いてほとんどのプレイヤーに勝ち越していました。競合の多いゲームの世界では、かなり珍しいケースだと思います。
――それほど『スマブラ』が強いとなると、時代が時代ならプロゲーマーの道へまっしぐらな感じもしますが……?
今の時代なら、間違いなくそうだったと思います。でも、あの頃はまだ「ゲームをしてお金を稼ぐ」という価値観が生まれる前の時代だったんですよね。
2008年の段階ですら、世界中の誰も「将来スマブラプレイヤーがスポンサーを受けプロになる」という世界を想像すらしていなかったと思います。
当時、というか今もですけど、『スマブラ』が心の底から大好きだからひたすらプレイし続け、強くなっていったんです。
そうして中学、高校と「スマブラー」(※)としてのキャリアを順調に歩み、大学ではフランス語を専攻したこともあり、語学の勉強も兼ねて海外へよく「スマブラ留学」に行っていました。
特に大学からの派遣留学生として1年間住んでいたフランスでは、現地プレイヤーから「CJのおかげでフランスの『スマブラ』のレベルが上がった」と喜ばれ、欧州スマブラ界のレベルの底上げに貢献できた自信があります(笑)。
※『スマブラ』をよくプレイする人のこと。
――ヨーロッパの『スマブラ』のレベル向上に貢献できるほどの腕前となると、現地の大会にも参加をされていたんですか?
はい。ヨーロッパに限らず、アメリカやオーストラリアなど『スマブラ』の大会などを通じて行った国はたくさんあります。
まだYouTubeもSNSも動画配信もなかった時代にもかかわらず、大会での実績から、別の国の大会に航空券・滞在費持ちでゲストとして招待されたこともあります。
ちなみに、もちろん現地でコミュニケーションを取るためには、その国の言葉を話せないといけませんから、ちゃんと学生の本分である勉強もしていましたよ(笑)。
あの頃は大学での学びと、自分の大好きな『スマブラ』が密接にリンクしていましたし、大会のために世界を飛び回っていて……本当に楽しかったですね。
――そんな中、2008年にゲーマーを引退されますが……?
就職を機に一度、それまでの活動にピリオドを打ちました。
というのも、フランス留学から帰国後に行った70日間のアフリカ大陸縦断の旅など、学生時代のさまざまな経験を通して、僕の中で明確な目標ができたからです。
それは、「経済的・時間的自由を得て、一生好きな場所で・好きな人と・好きな時に楽しくスマブラをプレイできるようになる」こと。その先にあるのが『スマブラ世界王者』の達成です。
当時はYouTubeもSNSもありませんでしたから、ゲームに限らず「個人が稼ぐ」というのが非常に難しい時代でした。
そこで、「自由なスマブラ人生を送るための修行」として、経済的・時間的自由を得る手段を模索しながら、紆余曲折ありながらも一旦は就職する道を選んだんです。
ちなみに任天堂も受けましたが、エントリーシートで落ちました。(笑)