受験の失敗、就職、転職の失敗。そして独立の失敗。
「自分は特別ではない」。大きな挫折を経験した時に、多くの人はそう思ってしまうのではないでしょうか。
今回お話を伺ったのは、整体師の菊池広大さん。
四谷三丁目に店舗を構えるプライベート整体『利休』の代表でもある菊池さんのファーストキャリアはなんと芸人。その後レスラーを経て、整体師としてのキャリアをスタートさせた、なんとも異色の経歴をお持ちです。
そんな菊池さんは、多くの挫折や失敗を経験するたびに「自分は特別ではない」と思ったそうです。だからといって、自分の人生を諦めるつもりはない——。
今回はそんな波乱に満ちた菊池さんと半生と、その先で見つけた答えを伺いました。
菊池広大さん
整体師/プライベート整体『利休』代表大学浪人生活後、お笑い芸人を志しNSC(吉本総合芸能学院)に入所。
その後あるきっかけを経て『アニマル浜口トレーニングジム』の門下生となり、プロレスラーになるため修行を積む。
2014年に「株式会社ファクトリージャパングループ」に入社。同社が運営するサロン事業『カラダファクトリー』で整体師としてのキャリアをスタートさせる。
2020年2月同社を退職し、プライベート整体『利休』を開業。四谷三丁目と越谷を中心に整体師として活動をスタートする。
「このまま挑戦しなかったら、一生後悔する」——ファーストキャリアは、まさかのお笑い芸人にレスラー?
——現在プライベート整体『利休』(以下『利休』)を運営する菊池さん。整体師として独立されているということは、専門学校を出て整体院に勤めて……といった流れなのでしょうか?
いえ、全く違います(笑)。独立する前は『カラダファクトリー』に勤めていましたが、専門学校は出ていません。
もともとはNSC(吉本総合芸術学院)に入学してお笑い芸人として活動した後、プロレスラーになるためにアニマル浜口さんの道場で修行をしていたので。
だから最初から整体に興味があったわけではないんですよ。
——なんというかまた、とてつもないキャリアが飛び出しました……。1つずつお聞きしたいと思います。こどもの頃は何になりたかったのでしょうか?
明確な将来の夢とかはなかったと思います。プロレスと特撮番組が好きなこどもでした。転機が訪れたのは大学受験の時ですね。受験勉強中「大学に行きたい」と思えるモチベーションを感じられなくて。
そんな感じで勉強をしていたので大学も合格できなかったんです。
その後は浪人をして、なんとかがんばってみようと思ったのですが、やっぱり上手くいかなくて。
——モチベーションを保てないというのは、どういったことでしょうか?
これは今でもそうなんですが、どうせ生きるからには「面白く生きたい」んです。受験勉強にはその「面白さ」があまり感じられなかった。そんなことを考えていた浪人時代、当時『爆笑レッドカーペット(フジテレビ系列)』や『M1グランプリ(主催:M-1グランプリ事務局)』といったお笑い番組が流行っていたこともあり、一念発起してNSC(吉本総合芸術学院)に入学し、お笑い芸人を目指そうと思ったんです。
——大学進学から、お笑いの道へ転向したのですね。
はい。当時は「フルーツポンチ」さんや「はんにゃ」さんのようなお笑いのスタイルが主流だったのですが、僕だけ、ここでは言えないようなとてもマニアックなお笑いをやっていて(笑)。売れる、という感じではなかったもののアルバイトもしながら、それなりに楽しく芸人をやっていたんです。
——そこからプロレスラーになられるのですよね?
転機になったのは、ずっと応援していたプロレスラーの中邑真輔選手が、ある大会で優勝した時のことでした。お笑いももちろん好きなんですが、それはある程度、大人になってからの話。
一方でプロレスは幼い頃からずっと好きで、誰にも負けないくらい知識がある。
なのに「どうして俺は、プロレスをやっていないの?」って、ふと気づいてしまったんです。当時23歳のことでした。
——23歳でプロレスラーを目指すというのは、年齢的に可能なのでしょうか?
正直、かなり遅いですね。でもこのまま挑戦しなかったら、一生後悔するなと。とはいえ全くのプロレス未経験者の23歳を育ててくれる場所なんてない。そこでアニマル浜口さんが運営する『アニマル浜口トレーニングジム』(※)の門を叩いたんです。
格闘技のバックボーンのない僕がプロレスラーになる道は、もうそこしかないと思ったので。
※元プロレスラー・アニマル浜口氏が設立した入門者を対象としたプロレスラー養成所。実績のない人や身長が足りずプロレスラーの道を絶たれた人にも門戸を開放し、多数のプロレスラーを輩出している。