「将来、絵を描く仕事がしたい」
絵を描くのが得意な人であれば、一度はそう考えたことがあるのではないでしょうか。
好きなことを仕事にしたいと考えるのは、ある意味自然な発想です。
しかし「絵を描く」ことを仕事にできるのは、著名な芸術家でもない限り、かなり難しい道でもあります。
今回お話を伺ったのは、横山進さん。
子どもの頃から絵を描くことが得意で、
将来の生業にしたいと考え、他の仕事をしながら模索した結果、
「住宅パースを描く」仕事に出合い、専門職として独立しました。
その後、技術進化や景気変動などの波を乗り越え、
住宅パースを描き続けています。
独立までの紆余曲折と、その後訪れた波をどう乗り越えてきたのか、お話をお聞きしました。
<プロフィール>
横山 進さん
スタジオ・ミュー
鹿児島県桜島の出身。
地元の工業高校を卒業後に上京し、自動車メーカーの工場に就職。
その後、当時の上司からの勧めで転職したインテリア系の会社で
「住宅パースを描く専門職」に出合う。
自ら専門学校に通いパース制作のスキルを身につけ、
2年の実務経験を経て独立し、個人で「スタジオ・ミュー」を設立。
以降、住宅パースを描く専門職として、
CG化などの技術進化や景気変動の波を乗り越え、
主に戸建て住宅のパース制作に従事し続けている。
趣味はサーフィン。
仕事の合間を見つけて、さまざまな波をどう乗り越えようか、
日々挑み続けている。
「パースを描く専門職」に出合い、自らスキルを身につけ転職
-現在に至るまでの経緯を教えてください。
横山さん
鹿児島県桜島で生まれ育ちました。子どもの頃から絵を描くのが得意で、地元の工業高校では美術部に入部し「将来は、絵を描くことを仕事にしたいな」と考えていました。しかし卒業をするときに探したのですが「絵を描く」仕事は見つからず、結局上京して自動車メーカーに就職しました。
無事に就職できたものの、やりたい仕事だったわけではなかったこともあり、当時はよく仕事をさぼっていたことを覚えています(笑)。
-せっかく就職したのに、怒られませんでしたか?
横山さん
ある日、やる気のなさを見かねた上司が「横山くんは何がやりたいの?」と聞いてきたんです。私は正直に絵を描く仕事がしたかったが見つからず、この会社に就職してきたことを話しました。
するとその上司が「私の奥さんがインテリアコーディネーターの仕事をしているから、絵を描く仕事がないか聞いてあげるよ」と言ってくださり、その奥さんの紹介で住宅インテリア系の会社に転職することになりました。
転職後、はじめのうちはインテリアのデザインを描くための住宅図面の見方を教えていただき、忙しく仕事をしていました。そんな中、この業界には「住宅のパースを描く専門職」があることを知りました。
「住宅パースだけど、まさに絵を描く仕事だ。この仕事がしたい!」私はその後いろいろ調べ、住宅パース制作を専門に行う会社があることを知り、その会社に転職しようと決心しました。
-希望していた「絵を描く仕事」に出合ったんですね。その後はどうしたんですか?
横山さん
「住宅パースを描く」仕事では、住宅図面が見られることと、それをパースという「絵」にすることが求められます。また芸術家ではないので、お客さまの要望を聞いて、形にすることが必要です。
図面の見方は会社で教えてもらっていましたが、パースの描き方は身につけていませんでした。そこで私は、仕事が終わった後に専門学校へ通い、自分でパースを描くスキルを習得することにしました。
2年ほど専門学校に通ってスキルを身につけた私は、自らパース作品を作って転職活動し、希望のパース作成会社に転職。
その会社では「住宅パースを描く」実務を経験し、パース制作のノウハウを覚えました。2年働き「これならひとりでもやっていける」と思った私は、独立することを決意しました。26歳のときでした。
-独立するのに、不安はなかったんですか?
横山さん
当時は不安よりも「絵を描くことを仕事にできる」わくわく感の方が勝っていました。まだ26歳と若かったこともあるのかも知れません。
また独立する際、初期投資がそれほど必要なかったことも大きかったと思います。当時、パース制作はまだ手書きの時代でしたから、事務所と絵を描く道具さえあれば、仕事をすることができました。