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やりたかった「システム開発」にだけ専念する。花輪恒平がたどり着いた「自分らしい働き方」

生ボイス

「システム開発で、世の中をもっと便利にしていきたい」

そんな熱い想いを持って就職したが、
いつの頃からか、開発の仕事はメンバーにお願いし、
自分はメンバーの仕事を進捗管理することになり、
「オレはこの先、このままでいいのか」と、ひとり悶々と悩む。
そんなエンジニアも多いのではないでしょうか。

今回お話を伺ったのは、花輪恒平さん。

40歳で会社を立ち上げ、企業のシステム開発に携わっています。

なぜ40歳というタイミングで会社を辞め、ひとりで起業することを選んだのか。お話をお聞きしました。

<プロフィール>

花輪 恒平さん
株式会社アンカレイジ
代表取締役社長

日本大学生産工学部機械工学科を卒業後、IT系のシステム開発会社に就職。
以降、システム開発のエンジニアとして、大手旅行代理店や金融系、通信系サービスの基幹システムの開発等に携わる。
2017年8月、40歳のタイミングで、株式会社アンカレイジを設立。

就職氷河期の影響で飛び込んだ、システム開発の世界

-現在に至るまでの経緯を教えてください。

花輪さん

大学は理系でした。専攻が機械工学だったこともあり、将来はクルマの開発がしたいと考え、教授から自動車系の部品メーカーの推薦をもらっていました。

ところが7月にその会社が業績不振で翌年の新卒採用をストップしてしまったのです。

-それで就職はどうされたんですか?

花輪さん

私が就職活動をしていた時は「就職氷河期」と言われていて、とても厳しい年でした。しかも時期はすでに7月。

私は教授に、他に就職できる会社がないか聞き、IT系のシステム開発会社を勧められて、なんとかその会社に就職することができました。

-なんとか無事に就職先が決まったんですね。その後は?

花輪さん

ただ就職できたといっても、IT系の会社は想定外。当時はパソコンも使えなかったので、慌てて自分で購入し、WordやExcelの練習をしていたのを覚えています。

そして翌年4月に入社。3カ月間の社内研修を受け、まずシステムのプログラム作成の仕事に取り組みました。特に不満もなかったんですが、実は2年目で辞めてしまいました。

-せっかく苦労して就職できたのに、2年で辞めてしまったのですか?

花輪さん

実は最初の会社ではプログラミング作業が多く、お客さまと直接やりとりする機会が少なかったので、キャリアアップを目指して上場企業に転職することにしたのです。その結果、上流工程に従事する機会が多くなり、証券会社の基幹システムや放送局の番組情報など、開発予算10億円以上の大規模開発を数多く経験することができました。

クライアントと直接打ち合わせする機会も増え、徐々に「システム開発で、お客さんのやりたいことを実現していきたい」と思いが強くなっていきました。

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キャリアアップするにつれて増えていった、管理の仕事

※本記事は取材当時の情報を基にしており、団体名、サービス名、法令等が現在と異なる可能性があります。しかし、取材時の想いや状況を正確に伝えるため、内容をそのまま掲載しています。ご了承ください。

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