初代「スーパーマリオブラザーズ」が発売されてから、早いものでもう30年以上。以来コンピューターゲームは世に広がり続け、家庭用のコンシューマーゲームだけでなく、スマホでも遊べるものになりました。
その過程でゲーム業界は日本の一大産業へと成長していますが、消費者として業界に親しんでいる人は多くても、実際に業界で働いている人は多くはありません。
今回は、ゲームのシナリオや世界観の構築などを手掛ける企業「株式会社カラメルカラム」の代表取締役、シラカワリュウさんに、ゲーム業界の仕事について聞いてみました。
シラカワさんはなぜゲーム業界で働くようになり、なぜ会社を立ち上げることになったのか? そのエピソードを紹介します。
シラカワ リュウさん
2009年にエクストリーム入社。二次元美少女オンライン麻雀ゲーム『桃色大戦ぱいろん』サービス最初期の運営スタッフとして携わり、多数のオリジナルキャラクターメイキングを担当。その後、同ゲームのプロデューサー「ぱいろんP」として、広報活動やユーザーとの交流などを一手に引き受け、同作の顔となる。2014年、プロデューサー引退とともに同社を退職。
同年6月より株式会社カラメルカラムを共同起業し、代表取締役に就任。カラメルカラムではキャラクターのコンセプト、デザイン、世界観構築を担当。
バンドマン、アプリゲームのデバッカーになる
− 早速ですが、シラカワさんは昔からゲーム業界を志していたのでしょうか?
実は僕、最初からゲーム業界を志望していたわけじゃないんです。
18歳からバンドをしていて、そっちの方で食っていこうと思っていました。
ゲーム業界との接点は、バンド活動と掛け持ちしていたバイトが、アプリゲームのデバッガー(プログラムのバグを発見する仕事)だったこと。仕事は求人雑誌で見つけて、週5日、働いていました。
バイトとはいえ、なんというか「ただの作業員」じゃ嫌だったんですよ。やっぱりバンドで飯食っていきたいと思っているほどだったので。
だから仕事のたびに、「キャラはもっとクイックに動いた方がいい」「戦闘演出はもっと短い方がテンポが良くなるのでは」とか、報告書の隅に書いておいたんです。それが社員さんの目に留まって、細かい仕様の調整から始まり、最終的にはゲームシナリオの制作にも関わるようになっていきました。
− シラカワさんはその後、ゲームの制作会社に入社していますよね? どのようなきっかけがあったのでしょうか?
その時にすでにバンドは解散していましたが、当時付き合っていた女性にフラれたことが大きかったですね。社会人として誰かを養えない自分にショックを受けて、精神的に参ってしまいまして。それが25歳の時でした。
そんなことがあったので、「とにかく職に就こう、社会人になろう」と決意したんですよ。本が好きだったので「書くこと」を仕事にしたくて、出版系を60社ほど受けました。でも未経験だったのでなかなか面接まで進めないんですね。
進展がない中でハローワークに行ったら、入社することになった株式会社エクストリームの求人があったんです。僕はバイトでゲーム業界に関わっていたし、シナリオ制作の仕事なら「書くこと」にも関われそうだったので、応募したら入社が決まりました。