近年、競技の一種として発展しつつある「eスポーツ」。
eスポーツとは、世界中にいるゲームのプレイヤーが腕前を競うという、れっきとしたプロスポーツです。
4年に1度開催される世界的なスポーツの祭典オリンピック。そのアジア版「アジアオリンピック」にeスポーツがメダル種目として認定されるほど、大きな盛り上がりを見せています。
そして今回お話を伺ったのは、プロゲーマーの板橋ザンギエフさん。
板橋さんはプロeスポーツ「DetonatioN Gaming(デトネーション ゲーミング)」に所属するプロゲーマーであり、人気ゲーム「ストリートファイターV」において、数々の大会で優勝を経験する実力者です。
そんな百戦錬磨の板橋さんは、「うまいだけでは勝てない」と語ります。
今回は、板橋さんがプロゲーマーになるまでの道のりとともに、eスポーツの厳しさと楽しさ、そして好きを仕事にする覚悟について、伺いました。
板橋ザンギエフさん
1981年生まれ。通称、板ザン。
2D,3D格闘ゲームを中心に、国内外の大会で数々の優勝経験を誇る。
2016年6月、プロeスポーツ「DetonatioN Gaming」加入を発表。
プロゲーマー・板橋ザンギエフが、「eスポーツ」の世界に足を踏み入れるまで
ー板橋さんがプロゲーマーとして活動されるまでの経緯を教えてください。
もともと小さい頃からゲームで遊ぶことが好きだったので、10代の頃からプログラム関係の仕事に就きたいと漠然と思っていました。
なので大学卒業後にはシステムエンジニアとして仕事をしながら、趣味としてゲームを続けていたんです。
ーどのようなゲームをされていたんですか?
格闘ゲームです。
僕は今36歳なので、家庭用テレビゲーム機が普及してきた世代です。
こどもの頃はゲームセンターが文化として根付いていたので、対戦格闘ゲームの『バーチャファイター』をゲーセンに入り浸ってプレーしていました(笑)。
ちなみにバーチャファイターでは、「地名+キャラクター名」をプレイヤー名にすることが多いので、出身地である板橋区と「ザンギエフ」というキャラクター名を合わせて「板橋ザンギエフ」と名乗ることにしたんです。
ー板橋区の看板を背負っているわけですね(笑)。その後、プロになるまでに何があったのでしょう?
仕事とゲーマーを両立していくうちに、徐々に格闘ゲーム界で僕の名前が知られるようになっていきました。
すると、2012年にゲーム周辺機器メーカー「Razer」から声をかけていただいたんです。「スポンサーシップ契約を交わしてほしい」と。
ーそこからプロゲーマーとしてのキャリアがスタートしたわけですね。
はい。「Razer」のサポートのもと、eスポーツのさまざまなトーナメントやイベントに参加できるようになりました。
ただ、当時のeスポーツ界はまだ、プロゲーマーという職だけで、十分な生活ができるほどの収入はありませんでした。
なので、フリーでシステムエンジニアの仕事を続けながら、プロゲーマーと2足のわらじを履くという形で生計を立てていました。
ーしばらくはエンジニアとプロゲーマーを両立する生活が続いたのでしょうか?
そうですね。
そして2015年頃からe-sports界が徐々に盛り上がりを見せ始めていきました。
同年から、格闘ゲームの世界大会『カプコンカップ』が開催され、賞金総額は5,000万円。そのうち優勝賞金は2,800万円と、かなりの金額がもらえるようになりました。
ーとても大きな額の賞金ですね。
カプコンカップが始まったことがきっかけで、その他の大会も金額を張り合うようになり、それに応じてプレイヤー数はどんどん増加。
その頃になると、国内でも多くのプロチーム団体が結成されていくようになっていきました。
eスポーツがまさにプロスポーツとして成立する時代がやってきたんだなと、実感しましたね。
そのタイミングで、日本最強と言われているプロeスポーツ「DetonatioN Gaming」のCEO・梅崎伸幸さんを、知り合いのゲーマーが紹介してくれたんです。
ちょうどプロゲーマー1本で生活していこうと思っていたところでしたし、同チームが『ストリートファイターV』の選手の募集をしていたことも重なり、2016年に移籍することを決断しました。