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俳優・甲斐千尋さんが選んだフリーの道は俳優としての将来を見据えたステップアップ

生ボイス

俳優・甲斐千尋さんは「取材を受けるのは初めてかもしれないです」と言い、端正な顔立ちをくしゃっとさせて無邪気な子どものようによく笑う。「就職活動をした時に、エントリーシートの志望動機欄は、自分の心に嘘をついていると感じて書けなかった。芝居をやりたかったんです」と、背筋を伸ばし、綺麗な通る声で、語ってくださいました。

就職活動中、応募企業に「本当は芝居をやりたい」という本心を伝え、芸能活動を応援すると言ってくれた会社に就職をしたそう。芸能活動をするなら仕事を休みながらやったらいい、と芸能活動を後押ししてくれた会社の方の気持ちが分かる、くったくのない笑顔と正直さが気持ちの良い方でした。

<プロフィール>

甲斐千尋さん

俳優(1990年生・埼玉県出身)
「ROCK MUSICAL BLEACH〜もうひとつの地上〜」を始め、「テイルズ オブ ザ ステージ」シリーズ、体内活劇「はたらく細胞」などに出演。2025年7月「この暮らしにタイトルを付けようとした、日々」では主演を務める。

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就職活動中に生まれた違和感“志望動機”欄が書けない

―俳優の仕事を選ばれた理由を教えてください

小学校の高学年ぐらいに、種村有菜先生の漫画をテレビアニメにした「神風怪盗ジャンヌ」(テレビ朝日系列)から始まって、「満月(フルムーン)をさがして」(テレビ東京系列)を好きで観ていたんですが、主人公は歌手を目指す女の子だったので、エンディングもその子が歌っているような仕立てになっていて、私も主人公の女の子みたいになりたいと、声優さんや歌手に憧れを抱くようになりました。アニメや漫画が大好きなんですけど、アニメの主人公が歌っている姿を観て「私も、この人みたいになりたい」と思いましたね。

中学3年生の進路選びの時、私は看護師やマッサージ系か演劇系の専門学校に行きたかったんです。でも、私を育ててくれた祖母に「普通科の高校に進学して、普通の職に就いてほしい。演劇系の専門学校は絶対にNG」と言われてしまったので、演劇部があって、それなりに活動が盛んだった普通科の高校に進み、高校では演劇部に入りました。

大学については、周りのみんなが進学するし、自分も大学に行きたいと思ったので家族の意志ではなく自分の意志で進学を決めました。「この仕事に就きたい」っていう仕事も特になかったし、学べる環境があるなら、もう少し学校に行きたいなって思ったんです。祖母には「大学に行くなら、名前が知られている学校だったらいいよ」って言われたので、高校の指定校推薦をもらって立教大学に進んだんです。模試は全然ダメだったんですけど、学校の成績は良かったんで推薦をもらいました(笑)。

大学時代は、演劇から離れてテニスサークルに入りました。

でも、就職活動をするタイミングで高校時代の演劇部の仲間と、「大学を卒業したら、みんなで演劇をできなくなっちゃうから、その前に最後の記念に公演をしよう」っていう話をして、市民会館で公演をしたんです。本当に友達に観に来てもらうような小規模なもので、演劇に一区切りついたような気持ちで就職活動を始めたんです。

 

ー俳優の道を歩まなかったのはどうしてですか?

就職活動をしたのは、大学へ進む時に本当は就職を願っていた親への想いもありましたし、「みんなと同じように、大学を卒業したら就職をするものだ」と思っていたからです。就職活動には特に疑問もなかったですし、「総合職でバリバリ働かなきゃいけないんだ」って思っていたので、就職をして働く気でいたんです。

当時はデパートの中に入っている洋菓子店で接客のアルバイトをしていて、忙しいのも楽しかったので、働くなら販売の職種かなと思ったんですけど、就職活動を進めていく中で「やりたいことは、これじゃないな。やっぱり演劇をやりたいな」と思ったんですよね。

企業に提出するエントリーシートの志望動機欄を書く時に、「嘘を付いているな。ちょっと気持ちが悪いな」って思ったんです。あと、就職してしまったら、自分が置かれた環境の中で楽しさとかやりがいとかを見つけられるタイプなので、多分ずっとその仕事を続けちゃうだろうと思ったということもありました。

就職は一応したんですけど“一年で会社を辞める”って決めていたし、そのつもりでいることも、自分が将来やりたいと思っていることも入社面接時に包み隠さず伝えて、会社も認めてくれたので入社しました。

「役者の活動があるときは休んでいいからね」と、私の夢を応援してくれる会社でした。しばらくして事務所にも入り、本格的に芸能活動を始めることになったので、辞めてしまいましたけど、本当にありがたかったですね。

 

―それはすごいですね。周囲に応援された俳優活動ですね。

会社には応援していただきましたけど、実は…家族には何も言っていなかったんです。家族が気づいた時には既に私が芸能活動を始めてたという感じだったので、しばらく口を聞いてもらえませんでした。

学生時代に祖母に聞いたのですが、父も若いころにバンドをやっていたけど、祖母の反対にあい音楽の道に進むのは諦めたということがあったそうなので、父も私の“好きなことをやりたい”という気持ちは分かるけれど、心配だったんだと思います。

なんとなく、芸能活動を許してくれたような雰囲気になったのは、私が芸能活動をしたいという手紙を書いて父の枕元に置いてからなんです。何も言われなかったんですけど、開封されていたので「読んでくれたんだな」と思いました。それから徐々に会話をするようにはなったんですが、仕事の話だけはできずにいました。父も芝居を観に来る人ではなかったですし、仕事について聞かれることもなかったんです。

でも、今までで一番大きな舞台で大きな役をいただいた時に、父が知っているような作品だったということもあって「あの作品に出ることになったんだよね」と言ったら、「うん」って、特に反対もせずに受け入れてくれたんです。ただ、ちょっと嬉しそうだったのを覚えています。

事務所との出会いも仕事も人とのご縁

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