「日本政府観光局(JNTO)」の発表によれば、
2019年に日本を出国した人数は、はじめて2,000万人を超えました。
「世界を訪れる日本人」は増えていますが、
「世界を舞台に活躍できる日本人」はまだまだ少なく、
そこには「英語の壁」があると言われています。
今回お話を伺ったのは、太田英基さん。
現在、太田さんは株式会社スクールウィズの代表取締役として
海外語学留学の口コミ情報サイト「School With」の企画・開発・運営を中心に、
「世界を舞台にする人があたりまえになる社会」の実現に向けて活動されています。
東北の田舎町から世界へと活躍の舞台を広げてきた、
その挑戦のストーリーをお聞きしました。
<プロフィール>
太田 英基さん
株式会社スクールウィズ 代表取締役
1985年生まれ。宮城県刈田郡蔵王町出身。
中央大学商学部経営学科卒。
大学2年(20歳)の時に「タダコピ」という広告サービスが
ビジネスプランコンテストで最優秀賞を獲得。
株式会社オーシャナイズを仲間と設立し、取締役に就任。
2010年1月末に退職し、フィリピンで3か月の語学留学を経て、9月に世界一周へ。
「サムライバックパッカープロジェクト」を立ち上げ、
約2年間で50カ国を旅しながら、ビジネスで活躍する様々な人たち1,000人以上と交流。
帰国後、2013年4月に「School With(スクールウィズ)」のサービスを立ち上げ、
2013年7月に株式会社スクールウィズとして法人登記。代表取締役に就任。
「自分のアイデアを形にする」ことに全力で取り組み、起業
―現在に至るまでの経緯を教えてください。ご出身は東北の温泉街だそうですね。
太田さん
出身は宮城県蔵王町の遠刈田温泉です。父はそこで苗木屋を営む傍ら、中南米のバレーボール選手のスカウトをしています。若い頃に、青年海外協力隊で中米にあるエルサルバドルへバレーボールの指導者として行っていたことがあり、そのときにスペイン語を覚え、その後、中南米の地元選手のスカウトや日本滞在時の現地サポートをやっています。小さい頃、よく深夜にスペイン語で電話がかかってきていたのを覚えています。
―幼少の頃から「世界」を感じていたのですね。その後はどうされたのですか?
太田さん
中学・高校は仙台の学校に通い、大学は中央大学の商学部経営学科に進学しました。
大学1年の頃、インターンで知り合った友人と、コピー用紙の裏に広告を掲載することでコピー代金をタダにする、という「タダコピ」のアイデアを企画。テストマーケティングをしようと、大学のコピー機を1台借りて取り組み始めました。
ただ何事もはじめてなので、苦労の連続。お金もノウハウも人脈もない大学生でしたから、たとえば印刷会社を探すだけでも大変でした。電話帳を見て片っ端から電話するも「学生とは取引しない」と断られ、まったく見つかりません。当時よく行っていたライブハウスでバンドのチラシを印刷して配っていることに気づき、仲のいいバンドマンに紹介してもらい、ようやく小さな印刷会社を見つける、という状況でした。
いろいろ苦労はしましたが、テストマーケティングの結果は好評。実際に自分たちが考えたアイデアが形になり、それを提供することで喜んでくれる人がいることをリアルに感じ、「これは世の中にちゃんと広げていかなければ」という使命感を持つようになりました。
その後、2つのビジネスプランコンテストに応募し、そのひとつで最優秀賞に選ばれ、2005年に仲間と「株式会社オーシャナイズ」を設立しました。
―大学生の頃に会社を設立されましたが、起業を意識するようになったのはいつからですか?
太田さん
大学1年の頃に「いつかは起業したいな」というあこがれは持っていましたが、何としても実現するんだ、という強い意志があったわけではありませんでした。
ただ、学生生活の中で何かに全力で取り組みたいと思っていましたので、「自分で考えた企画を形にしたい」という欲求に、力を注いでいました。
その結果、ビジネスプランコンテストでアイデアが評価され、起業するかどうかの段階まで来た時、一緒にやれる仲間がいてアイデアにも自信があったこと、そして当時は学生で時間もたくさんあり、失うものがなかったので、迷うことなく起業へと踏み切りました。
今思えば、その当時は自分自身に守るものがなかったので、起業しやすかったですね。その意味では、年を重ねれば重ねるほど、起業はしづらくなると思います。
また自分としては、会社設立前にすでに起業していたと思っています。起業を「事業を起こす」ことと捉えれば、私はすでにテストマーケティングの頃からフルコミットで取り組んでいたので、会社設立前にすでに事業は起こしていました。会社という器は後から作った、という認識です。