結婚式。
そんな晴れの舞台で、これから夫婦として共に歩んで行くパートナーへの誓いや、育ててくれたご両親への感謝の気持ちを手紙に託す人も多いですよね。
直筆の文字もステキですが、もしその手紙が、自分だけのオリジナル曲にもなったとしたら―。
今回お話を伺ったのは、手紙を歌詞にして曲を作るサービスを展開する「音色ポスト」の代表、近藤あきらさん。
メジャーアーティストのレコーディングやライブで演奏する、バックミュージシャンだった彼が、なぜ「音色ポスト」を立ち上げたのか。
「音楽で人を幸せにしたい」と語る、彼の半生についてお聞きしました。
近藤あきらさん
音色ポスト代表、ベーシスト。中学時代からベースに触れ、バンド活動を経験した後、23歳でプロのバックミュージシャンとしてのキャリアを歩み出す。
レコーディング、ライブ、全国ツアーなど数々のメジャーアーティストのバックで演奏している。バックミュージシャンの他に、楽曲制作、舞台の劇中演奏、レッスントレーナーとしても活躍。
その後、アーティストの音楽を支えるだけでなく、自らの楽曲で人を幸せにしたいと思うようになり「音色ポスト」を立ち上げる。
仕事を得るために、六本木・麻布に入り浸る? 目標から“逆算”して行動する力
―近藤さんの経歴を教えてください。
ベーシストとしてのキャリアは中学時代から始まりました。中学・高校とサッカー部だったので、サッカーと両立しながら、ライブハウスで友人とライブ経験を積んでいきました。
そして高校卒業のタイミングで、東京に出てきてアルバイトをしながらバンド活動を始めました。
―そこからバックミュージシャン(ソロ歌手など、自分以外のアーティストのレコーディングやライブで演奏する人)としてのキャリアを歩んでいったんですよね?
はい。しかし、上京して4年ほど経ち、メンバーとの不和が原因で、自分のバンド活動を続けることが困難になっていました。
でも、音楽活動は続けて行きたかった。
そんな時に私に人生のアドバイスをしてくださったミュージシャンの先輩方が、バックミュージシャンとしても活動されていたのを知って、自分もその道でキャリアを積もうと思ったんです。
今振り返ると当時は、まだまだ自分の技術もプロのバックミュージシャンのレベルに達していなかったんですが、「とりあえず挑戦してみよう」と気楽に仕事を探し始めました。
若さ故に、大胆に行動していましたね(笑)。
―不足したスキルは勢いでカバーする、ということですね(笑)。でもそれは、フリーランスで仕事をしていく上で、とても大切なことだと思います。お仕事はどこからいただいていたのでしょうか?
先輩からいくつか紹介していただくこともありましたが、先輩だけに頼るのもいけないなと思っていました。よく「ライブを見てくれたお客さんの中に大手レコード会社の方がいて、お声がかかる」なんて話を聞きますが、実際にそんなことは極稀です(笑)。
ですのでバックミュージシャンとして、自分をちゃんと売り込んでいく必要がある、と考えました。
―待っていても仕事は来ないから、常に売り込みに行く「攻めの姿勢」をとった、ということですね。
はい。そこで私が目をつけたのは、六本木・麻布界隈の「店内で演奏ができるバー」でした。場所が場所だけに、来店するお客さんに音楽関係者が多いため、飛び入りで演奏させてもらい、いろいろな方に顔と腕を売り込んでいきました。
仕事を生み出すには、絶好の機会だったんですね。
いろいろなお店に積極的に顔を出して、どんどん人脈を作っていきました。そして人や仕事のオーディションなどを紹介してもらえるようになったんです。
―目の付け所が鋭いです…!その後仕事は安定していただけるようになったのですか?
そうですね。そこからしばらくはバックミュージシャンとして、メジャーアーティストのレコーディングやライブでの演奏をしていました。ですがバックミュージシャンは、あくまで「人の曲」を演奏することが仕事です。仕事をしていくうちに、次第に「自分の楽曲で人を幸せにしたい」と思うようになりました。
そこから「音色ポスト」の構想が立ち上がりました。