独立・起業を検討している方の中には、立ち上げる事業をご自身にとっての天職にしたいと考える方も多いのではないでしょうか。
今回お話を伺った中島翔子さんは、2013年に東京女子プロレスに所属するプロレスラーとして活動を開始し、昨年で活動10周年を迎えました。
今では第一線で活躍される中島さんですが、実はプロレスどころか運動経験もゼロからのスタートだったそうです。
今回は、なぜ中島さんはプロレスラーになったのか、そのキャリアについて伺うとともに天職の見つけ方をテーマにお話を伺いました。
中島翔子さん
プロレスラー
高校卒業後に上京し、吉本興業の東京NSCに入所。東京16期生として卒業後、お笑い芸人として活動。芸人時代のアルバイト先での出来事をきっかけに、女子プロレスの世界に興味を持つ。
その後、一念発起して芸人活動を引退し、プロレス未経験ながら、当時旗揚げ前だった東京女子プロレスの門を叩く。2013年8月に公式戦デビュー。以来、10年以上にわたり、第一線で活躍を続けている。キャッチコピーは「全長1.47mの大怪獣」。
「マンガみたいで面白い」から始まった、10年間。中島さんがプロレスラーになるまで
――まずは中島さんの現在の活動について、お聞かせください。
東京女子プロレスという団体に所属し、プロレスラーとして活動しています。
興行の日にリングに上がって試合をするのはもちろん、試合後はサインやトーク、グリーティングをして、ファンの方とのコミュニケーションにも力を入れています。
興行のない日は、トレーニングや発信活動なども積極的に行っています。
――中島さんがプロレスラーになった経緯を教えてください。元々プロレスがお好きだったのでしょうか?
いえ、実はプロレスについては20歳になるまで全く知りませんでしたし、幼い頃から運動に力を入れていたわけでもなくて(笑)。
元々私は高校卒業後、吉本興業の養成所である東京NSCに入所して、卒業後はお笑い芸人として活動していたんです。
高校生の頃は空前のお笑いブームだったこともあり、高校3年生の時に友人を誘って、素人ながらお笑いの大会に出たことがありました。そこからお笑いの面白さに惹かれ、受験勉強を放り投げて、お笑いの道に進みました。
ですが、養成所を経てデビューした年に、お笑いブームが終わってしまったんです。「お笑いが好き」という気持ちだけで、どうにかなるほど簡単な道ではないことは分かっていましたが、ブームの終焉もあり、今まで以上に活躍するための間口が狭くなってしまいました。
そんな時に出合ったのが、女子プロレスの世界でした。
当時アルバイトしていたバーの店長がプロレス好きで、一緒に見に行かせてもらったことがあったんです。そこで見たプロレスの世界は……なんていうか、イメージが違ったんです。それもいい意味で。
――イメージ、ですか?
はい。見にいく前は、リング上で血が出るのかなと思っていたんですが、実際はそんなことなくて、制服を着てリングに上がる選手の方もいれば、アニメソングを入場曲にされている方もいて。
元々特撮の映像作品やバトル系マンガが好きだったこともあって、個性豊かな選手の皆さんを見て、「マンガみたいで面白い。素敵だな」って思ったんです。
――それでプロレスラーになられたんですね。とはいえ、未経験でプロレスというのは……なかなかハードルが高かったのではないでしょうか?
おっしゃる通りです。若い選手は、10代のうちから練習生としてトレーニングを積んでいる人もたくさんいるのですが、当時の私は20歳で、プロレスをゼロから始めるには比較的年齢が高めでした。
昔から運動がそこまで得意だったわけでもなかったので、最初こそ「やっぱり私には無理かな……?」と思っていました。そんな時、東京女子プロレスの選手募集の案内を見かけたんです。
そこには「22歳まで」という条件と「文化系のプロレスラー」を育成したいという旨が書いてありました。年齢基準をクリアしていたことと、私のような未経験の普通の子でも受け入れてくれそうな雰囲気があったので、思い切って履歴書を送ってみたんです。そして、2013年8月にはデビュー戦を飾り、今に至るまでのプロレス人生が始まりました。