彼を知り己を知れば百戦危うからず。
中国の兵法書「孫子」にある有名な一説です。
「自分がいるフィールド(市場)の特性」や「そもそも自分は何が得意で何が苦手なのか」を見極めることは、長く事業を続けるためにとても重要だと言えるでしょう。
今回お話を伺ったおとうふさんは「マッチングアプリのプロフィール添削」という一風変わった仕事で独立しました。「今の仕事はまさに自分の適性に合っている」と語る、おとうふさん。
今回はそんな彼女がマッチングアプリのプロフィール添削事業で独立するまで、そして自分の適性に合った独立を、どのように見つけていったのかを伺いました。
おとうふさん
マッチングアプリの赤ペン先生
大学時代にガールズバンドを結成し、プロを目指して活動する。バンドの解散後は、高校教員として勤務。その頃、マッチングアプリを活用し始める。
マッチングアプリでは、自身のプロフィールに研究を重ねた結果、大手マッチングアプリサービスで都道府県別1位(最高2000+いいね!)を獲得。
その後一般企業を経て、フリーランスとして独立。
自身のマッチングアプリでの経験を活かし、プロフィールの添削を始めSNSでの発信活動に注力し「マツコの知らない世界」(TBS系列)といったメディア出演なども多くこなしている。
ひょっとしたら需要があるのかも? ワンコインから始まった、“マッチングアプリのプロフィール添削事業”
――マッチングアプリの赤ペン先生という、一風変わったお仕事をされているおとうふさん。まずはおとうふさんとマッチングアプリとの出合いから聞かせてください。
マッチングアプリ(※)を使い始めたのは、20代中頃ですね。当時付き合っていた人と別れてしまって、それがきっかけでアプリを始めました。
アプリを通じていろんな方とやりとりをさせていただく中で「どうすればより相手の方からいい反応がいただけるか」といった、データや成功・失敗の体験が自分の中で溜まっていって。
あれこれ研究した甲斐あってか、大手マッチングアプリサービスで、都道府県別1位(最高2000+いいね!)を獲得することができたんです。
※ユーザーが希望や条件の合う恋人を探すためのアプリ。自身の希望に合う人のプロフィールに「いいね!」をし、その相手も自分に「いいね!」を返した時に「マッチング」が発生しやりとりを行うことができる。
――そうした実績から、プロフィール添削の仕事を始めようと?
いえ、最初から今のような仕事にしようと思っていたわけではありません。
というよりも最初は「マッチングアプリのプロフィール添削」が仕事になるなんて、思ってもみませんでしたから(笑)。
少し順を追ってご説明しましょう。
マッチングアプリを始めた当時、私は教員として働いていました。
教員としてそれなりに楽しく働いていたのですが、フリーランスだった伯父を幼い頃から見ていた影響もあり、心のどこかで「収入や働き方をもっと自由にしたいな」と思っていて。
その後しばらくして、IT系の一般企業に就職しました。
その会社はエンジニアが多く在籍する会社だったので「小学生にプログラミングを教える」といった、イベント設営の仕事から、営業、アプリの開発など幅広く経験させていただきました。
ただ前職が教員だったので未経験での転職となり、給与が教員時代よりも下がってしまって。減ってしまった分の給与の穴埋めをするべく、副業をしようと思ったんです。
そして始めてみたのが、このプロフィール添削の仕事だったんです。
――副業をするなら、他にも選択肢があったかと思いますが、なぜプロフィール添削の仕事を?
私がこれまで1番時間をかけてきて、且つライバルが少ないジャンルが、マッチングアプリだったからです。
副業について考えた時、あることを考えました。
それは、得意かどうかは置いておいて「私が人よりも多く時間をかけて、磨いてきたものはなんだろう?」ということ。
その答えの選択肢に挙がったのが、ドラム、英語、そしてマッチングアプリの3つだったんです。
――ドラムと英語も?
はい。実は私、教員になる前はバンドを組んでいて、プロを目指して活動していたんです。バンド時代に担当していた楽器がドラム、そして教員時代に教えていた教科が英語でした。
だから最初は、ドラムや英語を使って何か副業ができないかと考えたんですが……ドラムにせよ英語にせよ、ライバルが非常に多いなと気がついて。
――それでマッチングアプリを使った仕事を選んだんですね。どのように仕事を始められたのでしょう?
最初は自分のスキルを売り買いできるサイトを使って、ワンコインからダメ元で、プロフィール添削の仕事を始めてみたんです。
すると意外なことに結構需要がありまして。ワンコインから値上げをしてみても、依頼は増え続けていきました。
「ひょっとしたらこれは需要があるのでは……?」と思い、独立を考え始めたんです。
サイトでの依頼の他に、Twitterでも顔出しで活動するようになり、今のように本格的に「マッチングアプリの赤ペン先生」として運用し始めました。
そして副業からスタートして1年が経った頃、2020年4月に会社を退職して独立したんです。