何かを変える人は、強い信念を持っているもの。
建築デザイン事務所・パウダーイエローの代表、稲垣史朗さんは「やりたいことをやりたい時に、やりたいようにやる」と語る68歳のベテランデザイナーです。
現在に至るまでの経歴を伺うと、一見奔放にすら思える稲垣さんですが、リフォームや建築デザイン業界で数々の成功を収めてきました。
その理由は、決してブレない信念を持っているから。そして「感性に従って、やりたいことをやりたい時にやる」と語る裏に、たしかな努力や的確な思考があるから。
稲垣さんは、今もなおパイオニアであり続け、日本の建築デザイン業界の可能性を広げるために新たな事業「VETRINA(ベトリーナ)」を立ち上げました。格好良い生き方をひたすら追求する、稲垣さんの人生デザインに迫ります。
稲垣史朗さん・パウダーイエロー代表1949年に京都市に生まれる。
日大芸術学部・放送学科卒業後、テイジンパピリオ入社、宣伝広報部に配属。
1974年に東京・六本木/乃木坂に建築デザイン事務所 フライデーを設立。幼少期の夢である建築現場で日々、建築知識を独学で研鑚。
1987年東京・南青山に事務所を移転。「リノベーション」と「インテリアコーディネイト」を融合させたハイクラスな住宅を造る。
1994年湘南・茅ケ崎に「建築デザイン事務所」と(住宅のショウルーム)を併設して移転。そして2017年、再度、東京・青山に事務所を移転し日本初のバーチャルショールーム『VETRINA』(ヴェトリーナ)を立ち上げる。
やりたいことをやる。その理由は“格好良い”から
――前回のインタビューにおいて、「やりたいことをやりたい時に、やりたいようにやる」とおっしゃっていた稲垣さん。まずは、改めて稲垣さんの経歴について教えてください。
大学を卒業して父親のツテで入った商社を辞め、昔から興味のあったデザインや建築関係の世界に飛び込みました。25歳の頃だったと思います。
当時は知識も経験も何もなかったのですが、やりたいことを思い切りやってみたかったからです。
その後、何の経験もなく六本木に建築デザイン事務所を構え、「内装屋」として、リフォームの現場でペンキ塗りや図面の見方、デザインを学んできました。
――最初からデザインの道にいらしたわけではなく、そのような下積み時代もあったのですね。
何もないところから始めたら、そんなの当たり前のことですよ。海外でデザインを学んだりもしましたし。
“やりたい”という意思を原動力に、理想を追い続けました。やっていくなかで新たな可能性を見つけたりして、時には自分のやりやすい方向へシフトしながら、何十年もこの仕事を続けてきたんです。
――事務所が大きくなってきたところで、一度全てを捨てて茅ヶ崎へ事務所を移転したそうですが、それにはどんな意味があったのですか?
茅ヶ崎へ移ったのは45歳くらいの頃で、ちょうどバブル後でした。バブル後の東京はとても息苦しくて「こんなところにいたら潰れてしまう」と感じたんです。
それと、事業はある程度成功していたのですが、徐々に自分のやりたかったことからずれてしまったような気がしていて。
優秀なデザイナーを雇って、マネジメントだけに徹するというのは、お金があれば誰にでもできることですからね。
それで事業がうまくいってもデザイナーの感性のおかげで、自分の手柄ではない。社長として利益は得ることができたとしても、モノを作る人間・デザイナーとして業界のパイオニアにはなれません。
そこでもう一度、ゼロから自分にしかできないブランドを作り上げていこうと決心しました。ちょうど縁があって茅ヶ崎に越すことになり、いったん全てを捨てて、新しい土地でフリーのデザイナーとしてまた道を進み始めたんです。
――そこから「Kitchen collection」や「湘南スタイル」という稲垣さんのブランドを確立していき、テレビや雑誌でも紹介されるようになったのですね。
とことん自分のやりたいことを追求していった結果です。
「思い切ったことをやっている」という見方をされることもありますが、僕は自分の感性に従っているだけです。経験や知識・他人の意見も大切だと思うけれど、それに惑わされて諦める方向に傾いてしまうくらいなら、勇気を持って自分の心だけを信じればいい。
何事も、やってみなきゃわかりませんからね。自分の人生なのだから、やりたいことをやったほうが楽しいし、そっちのほうが絶対、格好良いと思うんですよ。