多角化戦略、という言葉があります。
自社の持つ経営資源やリソースを活用、応用して、新たな分野に踏み出していくという意味として使われる言葉です。
これは企業に限らず、フリーランスや個人事業主でも同様の戦略を取ることができます。
今回お話を伺った鈴木智哉さんも、カメラマンとして活動する傍ら、東京は東小金井で日用品とお菓子のお店-sofar-というお店を経営しています。
カメラマンと店舗経営、鈴木さんは一体なぜ二足の草鞋を履くことになったのでしょうか。その理由は収益のためだけではなく、鈴木さんならではの哲学がありました。
鈴木智哉さん
カメラマン/日用品とお菓子のお店sofar-ソファ-店主静岡県浜松市出身。
工業高校卒業後、工場勤務を経て専門学校で編集制作を学ぶ。
その後出版社の専属カメラマンとして従事し、転職を機に上京。
広告撮影スタジオでの勤務を経て、2011年にカメラマンとして独立。
以降カメラマンとして活動する傍ら、2020年11月に、東小金井に日用品とお菓子のお店sofar-ソファ-をオープンする。
きっかけは震災? 自分の暮らしの範囲の人と一緒に生きるために、カメラマンとして独立
――まずは鈴木さんの現在の事業について、教えてください。
2011年からフリーランスのカメラマンとして、主に人物や商品の撮影を中心に行っています。そしてその傍ら、2020年からは東小金井に、日用品とお菓子のお店sofar-ソファ-(以下、「sofar」)をオープンしました。
「sofar」では焼き菓子やジャム、お茶といった日用品をはじめ、その時々でさまざまな人やお店とコラボレーションして、商品を販売しています。
いわばセレクトショップのような雰囲気のお店ですね。
――カメラマンの傍ら、なぜ「sofar」という店舗を出店することになったのか、気になります。
一口に理由を説明すると難しいのですが……いろいろなタイミングが重なった、というところが大きいですね。こうして振り返ると、東日本大震災が起こった後にカメラマンとして独立したり、新型コロナウイルスが蔓延した後に「sofar」を開業したりと、社会的に大きな変革の時期と重なるように、自分にとってのターニングポイントが訪れている気がします。
もちろん震災やコロナだけが、独立や開業の理由だったわけではないですが、きっかけの一つではありますね。
――それでは順を追って教えてください。まず、カメラマンとして独立した経緯からお願いします。
僕は専門学校で編集や制作を学び、名古屋の出版社で専属カメラマンとして勤務を始めるところから、カメラのキャリアが始まりました。その後転職を機に上京し、中目黒にある広告撮影スタジオへと入社。主に企業の商品や人物を撮影していました。
そして上京してから5年後の、2011年の3月に東日本大震災が発生。勤務先の中目黒から、当時住んでいた吉祥寺まで、歩いて帰ることになってしまったんです。
その時に、ふとあることに気がつきました。
――あることとは?
上京して5年も経つのに、会社以外で東京に知り合いや友人と呼べる人が、全然いなかったんですよね。地元は静岡県の浜松市、前職の勤務地は名古屋だったので、まぁ普通に生活をしていたら仕方のないことなのかもしれませんが……。
しかし、地震をはじめとするこうした大規模な自然災害は、今後も必ず訪れるだろうなと。そういう困った時にこそ、身近に仲間がいれば心強いじゃないですか。
有事の時はもちろん、お互い何か困ったことがあれば、助け合うことができるかもしれませんし。
そして、カメラマンとして独立することを決めたんです。
――人との繋がりを求めて独立されたと。しかしさまざまな手段がある中で、なぜ独立を選んだのでしょう?
会社では、基本的には会社として受けた仕事しかできないですが、独立なら人との繋がりや自分のやる気次第で、活動の幅を広げていけると思ったからです。そして独立して10年以上経ちますが、現在はカメラマンとして都心部でのお仕事もしながら、全体の仕事のうちの3~4割は、いま僕が住んでいる多摩エリアの人や企業、行政とお仕事をさせていただいています。
自分の暮らしの範囲の人と一緒に仕事をして、一緒に歩んでいきたい。2011年当時に願った自分の理想の働き方を、10年以上かけて少しずつ形にしていったんです。