「あなたの大切にしていることはなんですか?」
就職活動、転職活動をされたことのある方なら、面接でほぼ確実に聞かれたことがあるのではないでしょうか。
お金、家族、趣味、健康…。人によって様々な答えがあるのでしょう。
今回お話を伺ったのは、原田篤さん。
原田さんは1998年に俳優としてデビューし活躍された後、飲食店を開業。10年以上飲食店の経営を経験された後、2020年2月に閉業。
この春からキャンピングカーで全国を回り、バーベキューイベントを各地で開催します。
一見すると、様々な領域で仕事をされている原田さんですが、その行動原理には常に自分の「情熱」がありました。
今回は、そんな原田さんのキャリアを振り返るとともに、なぜ自分の情熱を大切にするのかを伺いました。
原田篤さん
株式会社サードプレイス代表取締役俳優として1998年『GTO』でデビュー。『救急戦隊ゴーゴーファイブ』『仮面ライダー555』などに出演後、2008年に起業。以降は役者業から飲食店経営へと活動をシフトする。
自身が経営するダイニングバー「G-Trip- AKASAKA」を2020年2月に閉業し、春からバーベキューの良さを伝えるためにキャンピングカーで全国を回り、各地でバーベキューイベントを開催する活動をスタートさせる。
芝居から番組の企画、脚本まで。“とりあえずなんでもやってみよう精神”で挑戦した役者時代
―俳優として活躍され、「G-Trip- AKASAKA」を経営されている原田さん。まずは俳優としてデビューされた経緯を教えてください。
高校の時から東京に出て、芸能活動をしたいなと思っていたんです。高校卒業後、日本大学芸術学部に進学し東京へ出てきました。大学に入ってすぐ、雑誌の企画でグランプリを取らせていただいたことがきっかけで、芸能界に入りました。
その後、ドラッグストアのCMに出させてもらって、その年の秋にドラマ『GTO』でデビューしました。翌年の1999年には『救急戦隊ゴーゴーファイブ』に出演させてもらいました。
ありがたいことに仕事はたくさん決まっていたので、大学は2年生に上がってから仕事が忙しくてなかなか通えず、退学しました。
大学の先生からも「卒業しても仕事がない人はたくさんいるんだから、いま仕事があるなら大学をやめて、どんどん仕事をした方がいいと思うよ」と言われて。
―正論ですがさらっとシビアなことをおっしゃる先生ですね(笑)。
まぁでもその通りだなと思いました。これは持論ですが、大学に通うことが仕事にとっての「逃げ」になるのは良くないなと。だったらスパッと退路を断って、仕事をがんばろうと思ったんです。
―以降はずっと芸能の仕事を中心に活動されていたんですね。
ええ。ただありがたいことに、出演するだけではなく結構裏方のお仕事もさせていただく機会があって。番組の企画を考えたり、構成を練ったり脚本を書いたり。ちょうどその頃、BSやCSが出だした頃で、番組を作るディレクターが足りなかったんですよね。
そんな時に偶然、知り合いのプロデューサーから「原田くん、日芸(日本大学芸術学部)でしょ? なんか企画を上げてよ」と誘っていただいて。そこで松田優作さんのロケ地を回る、という企画を出したらそれが通ったんです。それがきっかけでBSの番組などで「自分が企画して自分が出る」みたいなことも始めることになったんですよ。
―番組の企画から出演までこなされて、今でいうYouTuberに近い活躍をされていたのですね。
そうですね。今もそうですが、当時はとりあえず興味のあることはとことんやってみようと思っていて。もしダメなら勝手に淘汰されていくだろうと(笑)。これは役者業に限ったことではないですが、自分の中から情熱が出たものは、とりあえずなんでもやってみようという精神でチャレンジしていましたね。
僕は番組を自分で「作る」ということにモチベーションも感じていましたし、楽しみながら仕事をしていたのでいい経験になりました。