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なぜ銭湯店主が八百屋を経営しはじめたのか? 根本には「人と人との繋がり」があった

生ボイス

仕事を選ぶ時に「何をやるか」より「誰とやるか」を重視する人が増えているように思われる。商いは「人」で成り立つものだから、的外れな意見ではないはずだ。

今回インタビューする大坪がくさんは、バンド・テレフォンアポイント・建物管理業務・銭湯の店主と様々な職を転々とし、現在は銭湯経営のかたわら、八百屋の経営にも関わっている。

大坪さんが仕事を選ぶ時の選択基準はまさしく「人」。「人と人との繋がり」を大切にしていたら、このようなキャリアを歩むことになったという。

「こんにちはー」「まいど!」と、八百屋の店先で元気に接客をする大坪さんに、その半生を伺った。

大坪がくさん

26歳までバンド活動を行い、テレフォンアポイントや建物管理の会社を遍歴。その後、大阪府平野区の銭湯「入船温泉」の店主になる。

2019年からは八百屋「MiKAN屋」の経営に関わる。

バンドからサラリーマン、そして銭湯の店主へ

――大坪さんは大阪の平野区で、銭湯の「入船温泉」を経営されていますが、銭湯は家の稼業だったのでしょうか?

大坪さん
いや、家業では全くないです。銭湯の店主になるまでの経緯を話すと、僕は18歳から26歳の頃までバンドに命を賭けていたんですね。今もプライベートでは音楽を続けているんですけど、当時はライブをしたり、CDを販売したり精力的に活動をしていました。もちろんそれだけで生活できるほど甘い世界ではないので、テレフォンアポイントのアルバイトもしていたんですよ。

その後、結婚したり、こどもが生まれたりで、最初の就職をしたのが27歳の時です。テレアポの同僚が独立して会社を立ち上げたので「入らせてもらえない?」と雇ってもらいました。その会社では仕事も順調で好成績も取っていましたが、社内の人間関係を見ていたら「遠からず会社が傾きそうだな」と感じて退社したんですよ。次に就職したのが、バンドで知り合った人が経営していた建物管理の会社でした。そこでは、行政が所有する物件を代わりに管理する仕事をしていましたね。

管理会社には31歳まで勤めていたのですが「2回サラリーマンを経験したけれど、僕に勤め人は向いていない、なんでもいいから自分で事業を始めたい」と考えるようになりました。そんな時にたまたま会社のオーナーが銭湯を所有していて、いろんな流れで銭湯を経営しないか? とお話頂いたので、後先考えずに「やります!」と即答しました。店主という肩書きですが、経営に関することを全て任せていただいてます。

――バンドからテレアポ、建物管理から銭湯と職種は様々ですが、どのような基準でお仕事を選ばれているのでしょうか。

大坪さん
なんでもそうですけど、行き着くところ人と人じゃないですか。僕は職種や業態よりも「誰と働くか」を重視しているんです。もともと「やる」と決めたらやりきるタイプだし、そこは自信もあるので未経験でもなんとかなるやろと(笑)。そう思えたのはバンド経験があったからです。

バンドって曲やライブが商品の「小さな会社」みたいだと感じているんですね。メンバーがいてそれぞれ役割があって、見せ方(広報)や営業、経営も考えないといけない。そこで学んだのは、技術やスキルではなく「関わってくださる人との関係性をとにかく大事にする」ってことなんです。これは商売にも仕事にも共通していると思ってます。いまでも何か課題があると「これはバンドだったらどう判断する?」と自分に問いかけるんです。

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「居場所」を作れば、商売はうまくいく

※本記事は取材当時の情報を基にしており、団体名、サービス名、法令等が現在と異なる可能性があります。しかし、取材時の想いや状況を正確に伝えるため、内容をそのまま掲載しています。ご了承ください。

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