先代の後を継ぐ。
実家が自営業の方は、いずれ継ぐか否かの大きな決断をすることになるでしょう。
一方で実家の家業ではなく、自分が本当にやりたいと思っている仕事に就きたい場合は、その板挟みになることも。
今回は、大阪は港区弁天町「寿司茶屋すし活」で、2代目を務める川口元気さんのインタビュー後編です。
前編では、寿司屋の2代目として働く傍ら、高校で英語教員としての顔を持つ川口さんの、教育への思いを伺いました。
僕でしかできない二足のわらじを履く。寿司屋の2代目が、教育の道を志した理由
後編では、そもそもなぜ寿司職人の道1本ではなく、教員とのパラレルキャリアを選んだのか、そして自らが「家業を継ぐ」ことについてお聞きします。
偉大な先代である父の後を継ぐ、2代目の覚悟と役割とは、一体何でしょうか?
川口元気(かわぐち・げんき)38歳
寿司茶屋すし活 2代目/高校英語教員
実家は国内外問わず人気を博す「寿司茶屋すし活(以下、すし活)」。
初代である父と共に、「すし活」の人気を支えている。
大学卒業後から家業を継ぎながらも、ツアーコンダクターや家庭教師派遣業務にも携わり、常にパラレルキャリアを実践する。
現在は寿司職人と同時に、大阪の私立高校で英語教員としても働いている。(現在は育児休暇中)
世界1周旅行やツアーコンダクターの経験から得た幅広い知見で、独自の英語教育を展開する。
「寿司茶屋すし活」大将、川口正弘さんの記事はコチラから!
世界一なんて、他人が決めた物差しでしかない。世界一の寿司職人が目指す、更なる“高み”
自分の「やりたい」を尊重する。寿司職人が、パラレルキャリアを選び続ける理由
ー前編では、まず元気さんの寿司職人と教員の二足のわらじについて伺いました。そもそもなぜ、寿司職人と教員のパラレルキャリアを歩もうと考えたのでしょうか?
自分の興味の幅が広いからですかね(笑)。
幼い頃から父の背中を見ていて、寿司には興味はありましたし、一方で前編でお話したように、外国語にも興味がありました。
だから寿司職人だけでなく、自分が好きな外国語の勉強を生かせる英語教員や、バーの経営者、ツアーコンダクター、塾の講師など、その時に自分が興味を持った仕事に就きました。
せっかくやりたいことがあるのに、1つの仕事だけに囚われて、他のやりたいこと(仕事)を諦めてしまうのはもったいないなと思ったんです。
ー複数の仕事をこなそうとすると、時間の制約や業務量など、大変なことが多いと思います。元気さんはどのようにして複数の仕事をこなしているのでしょうか?
今は育児休暇中なので少し異なりますが、僕の場合はシンプルに、仕事を曜日で分けていました。
月火水は英語教員、木金土は寿司屋で働く、といった具合に。
ちなみに二足のわらじ生活そのものは、今に始まったことではありません。
大学卒業後から、バーの経営をやっていた時もツアーコンダクターをやっていた時も、曜日で分けて複数の仕事をしてきました。
ー常にご自身がやりたいことを実践し続けるために、様々な工夫をされているのですね。
そうですね。
僕は自分の仕事を、
①やらなければならないこと
②やりたいこと
③できること
の3種類に分けています。
僕の場合は、①が家業である寿司屋、②は教員(その都度変わる)、③がツアーコンダクター、寿司屋といったところでしょうか。
ポイントは、②の「やりたいこと」を大切にするということです。
<元気さんが教室長を務める、知窓学舎大阪サテライト教室>
ーそれはどういうことでしょうか?
③の「できること」というのは、すなわちその仕事で、しっかりお金を稼ぐことができる、という意味です。
生計を立てられる仕事の種類が増えれば、どれかの仕事を急にできなくなってしまったり、あるいは仕事がなくなってしまっても、致命的なダメージを受ける可能性は低くなります。
他の仕事である程度収入のカバーができますからね。
先程もお話した通りポイントは、②の「やりたいこと」を尊重すること。
なぜなら②の「やりたいこと」をやった結果、いずれ③の「できること」、すなわちお金を稼ぐ仕事へ変わっていくからです。
「好きこそものの上手なれ」ということわざにあるように、自分が「やりたい」と思っていることになら熱心に打ち込むことができますし、好きではない仕事をするより、上達が早くなります。
自分が「できること」(お金を稼げる仕事)を増やすためにも、自分にとってやりたいことを常に尊重するのは大切なことだと思っています。