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夢中こそ、無敵。“戦力外通告”も経験した元Jリーガー・阿部祐大朗に学ぶ、成功者の条件

生ボイス

あなたが夢中になれることは何ですか?

毎日仕事場と自宅の往復ばかりで「夢中になれるものがない」「夢中になるやり方を忘れてしまった…」という人も、多いのではないでしょうか。

もし、これから新たな道に進むなら「夢中になれることを探してほしい」と、今回お話を伺った元プロサッカー選手の阿部祐大朗さんは語ります。

阿部さんは、高校卒業後に鳴り物入りでサッカーのJ1リーグ横浜F・マリノスに入団するも、その後、戦力外通告を受けるなど、大きな挫折を味わいました。

しかし引退後、セカンドキャリアとしてサッカーとは全く関係のないウエディング
プランナーの道を選択。その後は大手外資系金融会社に転職するなど、ビジネスパーソンとして活躍しています。

今回は、阿部さんの経歴を振り返るとともに、自身の経験から考える成功者の条件とは何かを、語っていただきました。

<プロフィール>
阿部祐大朗さん1984年、東京都町田市生まれの元プロサッカー選手。

2000年AFC U-17選手権、2001年FIFA U-17世界選手権、2003年U-20W杯日本代表。

桐蔭学園高校3年時に、特別指定選手として横浜F・マリノスでJリーグ公式戦デビュー。

05年にモンテディオ山形に移籍。その後、北信越地区1部リーグのフェルヴォローザ石川・白山FCに入団。徳島ヴォルティスを経て、ガイナーレ鳥取を最後に現役を引退。

2012年に株式会社ノバレーゼに就職し、ウェディングプランナーを経て、現在は大手外資系金融会社の法人営業として活躍中。

元Jリーガー・阿部祐大朗が、第2の人生に「ウエディングプランナー」を選んだ理由

ー元Jリーガーであり、今はビジネスパーソンである阿部さん。現在に至るまでの経緯を教えてください。

阿部さん
サッカーを始めたのは幼稚園の頃です。この頃から漠然と、プロのサッカー選手になりたいと思っていました。中学に入ってから1年生でチームのレギュラーを獲得し、全国大会で準優勝を2度経験。高校入学後にはU-17日本代表に選ばれ、2001年の世界選手権に出場しました。

そして高校3年時には、横浜F・マリノスの特別指定選手としてJリーグ公式戦デビューを果たし、念願のプロのステージに立つことができたんです。

自分で言うのも変かもしれませんが、小学生からサッカーを始めてプロになるまでは、1度も大きな壁に当たることなく、順風満帆なサッカー人生を歩んでいましたね。

ーサッカー界のエリート街道を突き進んできたんですね。念願のプロの世界に入ってからはどうだったのでしょうか?

阿部さん
プロの世界では、自分の力が通用しませんでした。横浜F・マリノス入団直後は、活躍を期待されていたのですが、その期待に応えることができず、プロ3年目の2005年にはレンタル移籍でJ2リーグのモンテディオ山形に加入することになったんです。

移籍期間が終了した2006年のオフにはチームから次シーズンの契約を更新しない方針を伝えられ、横浜F・マリノスにも復帰することは叶いませんでした。

事実上の戦力外通告をされてしまったわけです。

ーそうだったんですね。その後はどうされたのでしょう?

阿部さん
現役のサッカー選手を続けたい、という気持ちはあったので、全国各地のあらゆるチームのトライアウトを受けたのですが、どこからも声がかかることはありませんでした。なのでJリーグは諦めて、社会人チームである北信越地区1部リーグのフェルヴォローザ石川・白山FCに入団したんです。

ただ、入団後3カ月程でクラブが経営破綻になってしまい、突如として契約が打ち切りになってしまいました。

それから各チームに練習参加のお願いをして、2007年のシーズン途中からJ2リーグの徳島ヴォルティスになんとか入団することができました。加えてJリーグにも復帰することができたんです。

2009年からは当時JFL(日本フットボールリーグ)のガイナーレ鳥取に移籍したのですが、年齢も年齢だったので、この頃から少しずつ体の限界を感じはじめていました。

そして、2011年オフに現役引退を決意し、27歳で約9年間のプロ生活に幕を閉じました。

ー挫折を経験しても、選手としては最後までやり切ったのですね。引退後はやはりサッカー関連の仕事に就こうと?

阿部さん
いえ、サッカー関係の仕事には就きませんでした。プロとして9年間ピッチを駆け回って、「サッカーをやり切った」という気持ちが大きかった。だからこそ、これからはサッカー以外の世界にチャレンジしてみたいと思ったんです。

しかし、社会人経験のない僕にとって、その選択はまさに前途多難でした。

当時は今ほどサッカー選手のセカンドキャリアを支援してくれる体制が整っていなかったので、自分で就職活動をするしか方法がなかったんです。

それに僕には家庭がありますし、給与の振り込み時期に穴を空けるわけにはいかなかったので、引退後翌月には、新たな就職先から給料が入るように早めに内定を取らないといけませんでした。

知り合いを通じて人材紹介会社の社長に会ってみたり、転職サイトに登録してひたすら求人をチェックしたりと、いろんな方法を駆使して手当たり次第就職先を探したんです。

その中で、昔から個人的に好きだった「SENSE(センス)」というファッション雑誌の求人を見つけました。

早い段階で内定をいただきたかったので、社長に直接「ここで働かせてください」とお願いしに行ったんです。

アポも取らずに会いに行ったので、当然断られてしまいましたが(笑)。なので普通に中途採用からの入社を狙うことにしたんです。

ただ、2次面接までは進んでいたのですが、同時進行で面接を受けていた株式会社ノバレーゼというブライダル企業から先に内定をいただいたので、出版社社員ではなくウエディングプランナーとして、第2の人生を歩み始めることを決断しました。

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本当にすごい人は、努力を努力と思っていない。元Jリーガーが学んだ、成功者の条件

※本記事は取材当時の情報を基にしており、団体名、サービス名、法令等が現在と異なる可能性があります。しかし、取材時の想いや状況を正確に伝えるため、内容をそのまま掲載しています。ご了承ください。

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