あなたは今、夢を持っていますか?
憧れる道に向かって歩き続けることは楽しい反面、辛い現実と向き合うことにもなります。
そんな自分の弱さ、未熟さを受け入れながらも夢に向かって挑戦し続けているのは、スポーツに関する4つの仕事をする菊池康平さん。
今回はそんな菊池さんが実践している、夢や仕事に対してチャレンジし続けられる理由と、本当にやりたいことを見つけ出すコツについて伺いました。
これから何がしたいのか分からない、あるいは夢はあるけど一歩が踏み出せない。そんな方へ向けて、菊池さんのチャレンジャーとしての生き方を紹介します。
株式会社パソナでスポーツ選手のダブルキャリア、セカンドキャリアを支援。また、自身の経験を活かした講演活動、スポーツに関するライター活動、専門学校での講師など、「サッカー」を中心とした4つの仕事に邁進。
そして35歳の今現在も、夢であるプロサッカー選手を目指して世界中にあるチームの門を叩いてまわっている。
プロサッカー選手になるために。大学時代から17年続けている、海外での“道場破り”
―菊池さんは4つの領域でお仕事をしていますが、全ての活動には“サッカー”が共通していますよね。まずはその“サッカー”が仕事につながるまでの経緯を教えてください。
僕は学生の頃からサッカーをずっとやってきて、プロサッカー選手を目指していました。その夢を達成するべく、大学1年生の2001年からシンガポールをはじめ、様々な国の海外チームに“道場破り”という形で挑戦しにいったんです。
ただ、僕は日本でも全く無名の選手ですし、代表選手のように代理人もいない。それにまだネットが普及していない時代なので、現地の人に「プロサッカーチームはどこにあるの」って、聞き込みで情報収集するところから始まりました。
チームの練習場所が分かったら、ユニホームに着替えて乗り込むという感じですね。
―まさに“道場破り”ですね(笑)。それで練習に入れてもらえたのですか?
それが断られたことって意外と少ないんですよね。
身長が高いという強みがあったこともありますが、それ以上にやる気満々なので(笑)。
「そんなにやる気があるなら今日だけ練習に入ってもいいけど、明日からは来ないでくれよ」と、すぐに追い返さずに通してくれます。
向こうのチームも「使えそうな選手ならラッキー」っていうスタンスで迎えてくれているので、練習で結果を出し続ければ「明日も練習に来いよ」と誘ってもらえるんですね。
そして次の日、またその次の日と繋がっていくんです。
それで、およそ10日くらいプレーして高い評価を得られれば、プロ契約を結べると。これが“道場破り”の一連の流れになりますね。
―いい選手が生き残れる。シビアですが、分かりやすい世界でもありますね。プロを目指すに当たって、なぜ国内ではなくより厳しい海外へ挑戦しようと思ったのですか?
僕の世代、多くのサッカープレーヤーは、三浦知良選手(現、横浜FC所属)に憧れていたんです。
若い頃からブラジルで活躍して、日本でスターになったっていう彼のストーリーを見ていたので、国内よりも海外でチャレンジしたいという気持ちが強かった、というのがありますね。
―キングカズに憧れ、海外へ挑戦。最終的にプロ契約を勝ち取ることはできたのでしょうか?
いえ、大学卒業間際まで粘りましたが、結局プロになることはできませんでした。なので就職という現実に目を向けたんです。
一応、親を納得させるために日本にいる時は就活していたので。ただ、正直何をやりたいのか分からなかったので、トータルで80社くらい受けるほど苦戦してしまいました。
―ずっとプロサッカー選手を目指していたわけですからね。
はい。そんな中、株式会社パソナに入社が決まりました。
会社説明会で事業に関する話を聞いた時、「社会の問題点を解決する」という企業理念のもと多様な分野にチャレンジしていたり、志高い社員が国内外問わず活躍していることを知り「面白そうだな」と。
それから3年間パソナで働いたのですが、3年経っても僕はまだ「プロサッカー選手になりたい」って思っていたんです。
その思いを会社に打ち明けたら、1年間休職させてもらえることになったんです。
―1年…なぜそこまでの長期間休まれたのですか?
実は入社してからもお盆休みや年末に海外へは行っていたんです。学生時代の“道場破り”の感覚を忘れたくなかったですし、アグレッシブさやチャレンジする気持ちを失いたくなかったので。
でも1週間ぐらいしか期間がなかったので、練習も1~2日しか参加できなかったんです。
練習場を探すのに3~4日くらいかかることが多いので(笑)。
これでは到底プロにはなれないと。なので、腰を据えてやるために休職を願い出たわけです。