北海道テレビ(HTB)のディレクター藤村忠寿さん・嬉野雅道さんが手掛ける「水曜どうでしょう」は、鈴井貴之さん(企画・出演)と大泉洋さん(出演)の4人が繰り広げる軽妙なやり取りと、何が起きるか読めない現場での対応などから見えてくる彼らの人間性や関係性が視聴者を惹きつけ、HTBを代表する人気番組となって久しい。番組が始まったのは1996年。2002年レギュラー放送終了後の現在も、様々な放送局・インターネットで再放送を重ねている。番組開始から間もなく30周年を迎える今もなお、番組を再編集したDVDが発売され、新作を待ち望むファンの心を離さない。
現在、お2人は「水曜どうでしょう」のDVDやグッズ制作・販売のみならず、イベントをしたり、個々人でインターネット販売をしたり、YouTubeを始めたりと数々の“副業”をしている。今回はお2人が手にした「自由な会社員生活」についてお伺いしました。
番組のレギュラー放送終了後も変わらない会社との関係
―まずは現在のお二方の働き方についてお伺いできますか?
嬉野さん)定年を過ぎましたけどね、会社との関係は全く変わらないで、もらうものをもらってるっていう感じなので、会社員のときと変わらないですね。
藤村さん)我々はね、特にね、定年もない感じなんですよ。
毎年更新で、会社から条件が提示されているんです。僕も今年の5月で60歳になるので定年なんですけど、会社からは我々だけ基本的には定年という概念がないって言われていて、今の給与のまんまずっと、役職定年もないんですよ。
我々から会社に、具体的な条件とかは言ってなかったけど、まあ、昔から給料に関してごねていましたからね(笑)。
会社の人たちからすると「なんで彼らだけあんな好き勝手にやってんだ、会社も来やしねぇし」みたいな感じなんですけど、我々が会社外でYouTubeやったり、ニコニコ動画やったり、いろんなことをやっていることで、北海道テレビ“HTB”(以下、HTB)っていう会社も「水曜どうでしょう」っていう番組も、広く認知されているということを、会社も認めてくれているから、もう何をやるにしても、会社に申請も出してない(笑)。
嬉野さん)そう言えば、出張申請とか会社に出してないです。
藤村さん)新しい取り組みとかも、本当に事後報告。
嬉野さん)会社に出張申請を出すっていうルールを、よく分かっていないで出張していたもんですから、そのまま今になっちゃっているんです。
藤村さん)うん。色んな申請は、もう出さなくても良くなってる。
嬉野さん)HTBの体質として、一回、「まぁ、いいか」ってなったら、もうそのままダラーっといく(笑)。
藤村さん)そういうところ、ありますよね。
嬉野さん)ね。なし崩し的に。
藤村さん)そう。なし崩しで自由になっていくところがありますよね。
来年、「水曜どうでしょう」も30周年みたいな感じなんですけど、ここ10年ぐらいですかね。会社がそうやって、本当にもう「好き勝手にやっていいよ」みたいな感じになってきた。
―「水曜どうでしょう」が、うまくいったなって思ったのはどれぐらいの時期ですか?
嬉野さん)もう最初っから。最初のロケに行った時から。
藤村さん)番組の上がりとして最初から満足していたところがあるんじゃないですかね。
嬉野さん)ありました、ありました。
「イケてるよね」みたいな感じじゃなかったですか?
藤村さん)うん。番組は人気になるよなっていう風に思っていたから、たまに視聴率が悪かったりすると、本当に「おっかしいなぁ?お客さんの方がおかしいんじゃないかぁ?」ぐらいに思っていましたからね。あんまりお客さんの反応っていうのは、そこまで気にしていなかった。番組が始まって2年経った1997年に「ヨーロッパ21ヵ国完全制覇 」企画をしていたぐらいの頃には視聴率もね、どんどん上がっていったし。
嬉野さん)視聴率が一番良かったのは多分ね、その頃だね。
藤村さん)1999年からは秋田朝日放送でも番組が流れるようになって。そりゃあ、面白いと思うよな、みんな(笑)っていうのは思ってましたから。
10年近く会社に掛け合った結果、フリーランスよりフリーになれた
―「水曜どうでしょう」が会社にすごい利益をもたらすようになってから、働きやすくなったとか、会社に意見を言いやすくなったとか変化はありましたか?