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「俺ら40のおっさんっすよ? 時間ないっすよ!」ニブンノゴ!宮地ケンスケを変えた言葉

生ボイス

「俺らもう40のおっさんっすよ? 時間ないっすよ!」。

これは今回お話を伺った、お笑いトリオ・ニブンノゴ!の宮地ケンスケさんを変えた、ある演出家の言葉です。

芸人として、20年以上キャリアを積み上げてきた宮地さん。そんな宮地さんは現在、構成作家としても活躍されています。

なぜ宮地さんは、構成作家の道に進もうと思ったのでしょうか?

今回は宮地さんのキャリアについて振り返るとともに、構成作家として活動するようになった理由について伺いました。

<プロフィール>
宮地ケンスケさん
芸人/構成作家高知県出身。
同じ高校の後輩であった大川知英さんと、高校の文化祭をきっかけにお笑いコンビを組む。そこに森本英樹さんが加わり、1997年にお笑いトリオ・ニブンノゴ!を結成する。
以降は、所属事務所である吉本興業の所有する劇場を中心に、お笑い芸人として活躍。

近年では、構成作家としても活躍しており『全力!脱力タイムズ』『千鳥のクセがすごいネタGP』(いずれもフジテレビ)などを担当している。

チャンスがあるならチャレンジしたい! 宮地さんの情熱の火が灯った、ニブンノゴ!結成秘話

――芸人として20年以上のキャリアを積み、現在は構成作家としても活躍されている宮地さん。芸人から構成作家の活動をされるようになった経緯から、聞かせてください。

宮地さん
芸人としては1997年に大川、森本(※)と一緒にニブンノゴ!を結成しました。初めてお笑いというものに触れたのは、高校3年生の頃。

高校の文化祭でお笑いライブをすることになったのですが、当初相方になるはずだった同級生の最終面接が文化祭当日と被ってしまって。

急遽代わりの相方を探した時に見つけたのが、当時1年生だった大川だったんです。大川は学校中で有名な面白いやつだったので(笑)。

その後、専門学校に入学したのですが、今度は専門学校の学園祭で同じようにお笑いライブをすることになったんです。

そこで大川と再び組むことになったのですが、大川から「もう1人面白い同級生がいて」と紹介されたのが、森本でした。

※ニブンノゴ!のメンバー・大川知英さん、森本英樹さん

――そうして、現在のニブンノゴ!の形になったと。結成したタイミングでプロになろうと思っていたのでしょうか?

宮地さん
いえ。僕の実家が土産屋をやっているので、専門学校を卒業したら家業を継ごうと思っていたんですよ。でも専門学校の学園祭の時に、たまたま見に来ていた高知県の職員の方の目に留まって。その方にいろいろ後押しをしてもらい、定員400人ほどの場所でライブをさせていただいたりと、一時期はご当地タレント的な活動もさせていただきました。

そうした活動をしていく中で、大川と森本から「真剣にお笑いをやりませんか?」と誘われたんです。

当時はまだアマチュアながら、芸人として活動をさせていただいていてとても楽しかったですし、何より一度しかない人生、チャンスがあるならチャレンジしてみようと。

なんというか、自分の中で情熱が燃え始めたんです。

親も最初は反対していましたが、最終的には理解を示してくれて。そして3人で、東京へと向かいました。

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上京、デビュー。そして「キングオブコント」での挫折を経て、構成作家へ転身した理由

※本記事は取材当時の情報を基にしており、団体名、サービス名、法令等が現在と異なる可能性があります。しかし、取材時の想いや状況を正確に伝えるため、内容をそのまま掲載しています。ご了承ください。

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