世の中、知られていないことはたくさんあります。
インターネットが発達し、
誰でも手もとのスマホで検索すれば、世界中のいろんな情報が手に入る時代です。
それでも世の中に知られていない情報はまだまだたくさんあり、
多くのマッチングビジネスがそれらを見つけ、つないで届けています。
今回お話を伺ったのは、山口拓也さん。
現在、山口さんは千葉県の金谷を拠点に
WEBメディア制作、コワーキングスペースやコミュニティ、合宿の運営を通して、
世界と日本、学生と企業、田舎と移住者をつなぐビジネスを展開しています。
その原点は、大学時代に世界一周の旅で感じた
「架け橋をつくる」という山口さんの思いにありました。
<プロフィール>
山口 拓也さん
株式会社Ponnuf 代表取締役
1989年、埼玉県さいたま市生まれ。
大学在学中に世界一周の一人旅に行き、
帰国後に国際フェス「世界市」を手掛ける。
人材ビジネスで長期インターンを経験したのち、
大学卒業後の2012年10月にフリーランスとして独立。
2014年1月に株式会社Ponnufを設立。
「架け橋をつくる」という理念のもと、
千葉の金谷を拠点にWEBメディアの運営、運営受託から、
コワーキングスペースやコミュニティ、合宿の運営を手掛けている。
世界一周の旅で見えてきた「架け橋をつくる」という理念
―現在に至るまでの経緯を教えてください。最初に独立起業を考えられたのはいつ頃ですか?
山口さん
小学校の頃です。最初は独立起業というより「社長になりたい」と思っていました。当時流行っていたあるスゴロク系ゲームがきっかけです。日本中を回って、物件を買って資産を増やしながら競い合うゲームですが、社長になって日本にある資源や建物を買って独占していけば、誰かの指示に従うのではなく自分の思い通りにできるということを、ゲームを通して知りました。
実は、小学校の授業ではまわりのレベルに合わせなければならないことに少なからず窮屈さを感じていて、小学校3年の時に学習塾に通い始めてから、自分のペースで進められることが楽しくて、小学校時代に高校レベルの数学まで学んでいました。
この頃なんとなく感じていたのは「他からの指示を受けず、自分で考えて自分でやっていく方が、成果を出せて活躍できるのではないか」ということ。当時は明確に言語化できませんでしたが、心の中ではそう思っていました。
その後、中学、高校に進むうちに、「社長」は役割でしかないことに気づき、一時期は「自分で考えて自分でやっていく」小説家や映画監督などのクリエイターを意識していましたが、結果的に「ビジネスのクリエイター=社長が面白そうだ」と考えるようになっていました。
ただ、まだその頃は単に「社長になりたい」と考えているだけで、具体的に「これがしたい」という起業のアイデアがあったわけではありませんでした。
―小学生の頃から「社長」を目指していたのですね。大学進学後はどうされたのですか?
山口さん
大学3年の時に経験した世界一周の一人旅で、世界中のたくさんの人と出会い、「世界の面白さを、日本で発信しよう」と考えるようになりました。 「架け橋をつくる」という理念の原点は、この頃に芽生えたものです。
具体的には世界一周から帰国後、「海外の面白さを、雑貨を通して伝えよう」と思い、海外雑貨専門のフリーマーケットを始めました。どうせやるならよりよい企画にしよう、と思い「フリマに人を呼ぶにはステージ企画があった方がいいかな」「飲食店もあった方がいいよね」といろいろ工夫しているうちに、フリマではなくフェスという形になり、最終的には国際フェス「世界市」を開催しました。
―すでに大学時代に「世界と日本の架け橋をつくる」取り組みをされていたのですね。その後はどうされたのですか?
山口さん
「世界市」では、企画運営をたくさんの学生メンバーに協力してもらったのですが、彼らはみんな個性的で、とても優秀な仲間でした。しかし就職活動になると、みんな普通に見えてしまいます。
私はこの状況を見て「優秀な学生と企業をより良い形でマッチングさせる架け橋をつくりたい」と考え、人材関連の事業を始めました。
その取り組みの中で生まれた縁で、人材系ベンチャー企業の長期インターンを経験。そのまま就職することも考えたのですが、まずは稼げる力を身につけようと考え、大学卒業後の2012年10月にフリーランスとして独立しました。
独立後はWebサイト制作をしていました。学生時代の人脈も活用して仕事を集め、独立1年後には収入が月100万円を超えるようになりました。もともと月の売上が100万円になったら法人化しようと決めていた私は、2014年1月に株式会社Ponnufを設立しました。