自分の個性を活かす。
個性とは不思議なもので、小さい頃から「個性を活かしなさい」と言われることはあっても、いざその個性が目立つと周りからのけものにされてしまうケースを多く目にします。
学生時代も社会人になってからも、人は多かれ少なかれ、自分の個性との付き合い方に折り合いをつけて生きているのではないでしょうか。
今回お話を伺ったのは、藤井準人さん。
藤井さんはフリースクール「DE-SCHOOL」の代表であり、大学を卒業してすぐに「DE-SCHOOL」を立ち上げました。
「DE-SCHOOL」では個性を伸ばす教育を大切にしているそうで、それは生徒1人1人で勉強している内容がまるっきり違うという徹底っぷり。
一体なぜでしょうか。
藤井 準人さん
フリースクール「DE-SCHOOL」代表同志社大学在学中に、オランダやアメリカ、フィリピン、シンガポールへ渡り、各国の様々な教育について学ぶ。
大学を卒業後、Gftd Japan株式会社の資金の提供を受け、フリースクール「DE-SCHOOL」を設立する。
努力は正しい方法で力を入れれば、必ず結果が出る。藤井さんが教育に興味を持った理由
―藤井さんがフリースクール「DE-SCHOOL」を立ち上げるまでの経緯を教えてください。そもそも教育事業に興味を持ったのはなぜですか?
教育事業へは大きく2つのきっかけから、興味を抱くことになりました。
1つ目が大学受験を経験したことです。
高校生の当時、僕は野球漬けの毎日を送っていました。朝から晩まで練習をして、授業中は寝る、みたいな生活だったので、勉強は全くしていなかったんですね。
高校2年生でbe動詞の意味が分からない、みたいなレベルで(笑)。当然ですが、そんな状態で大学受験なんて夢のまた夢です。一応、運動をずっとやっていて体力だけはあるので、とりあえず、近くの私塾に入って、教えられたことを愚直にやりました。
けれど、be動詞がわかっていない生徒の受験なんてあまりやってなかったのか、英語なんか最初から長文を読まされ、全然わからない(笑)。
努力はするけど、全然結果は出ないし、改善の気配もない…
その頃はもう、自暴自棄になっていました。「あー、自分は勉強の才能ないんだろうなぁー」って。勉強も完全に止まってしまいました。
そんな時期がかなり続いたのですが、とはいっても、その状態では、絶対に受かることはできない。
そこでイチから考え直し、どうすれば受かるのかな? と考え抜いた結果、長い野球生活の中で培った「努力の仕方」を生かして、その体験を応用すれば良いのでは、とある時、気がついたんです。
―「努力の仕方」ですか?
はい。努力って、正しい方法をかけ合わせないと、結果は出ないものだと思うんです。例えば、自分がbe動詞も分からないなら、周りの違う学習レベルの高校生たちと同じ授業を受けても意味がない。
それは、自分の努力に対して、正しい方法が合っていないということです。
野球でも同じようなことがあり、それと同じだな、と思ったので、そういった周りに合わせた学習を一切やめ、どの項目を、どの手順で勉強すればよいのか、から調べ、そこから学習をスタートさせました。
すると、明確に、自分の努力量に比例して、ぐんぐん成績が上がったんですね。その結果、1年浪人して同志社大学に合格することができました。
この体験が、自分の教育の熱意とかかわっています。
というのも、大学に受かるまでの自分は、自分を”勉強できない人”と思っていたんですね。けど、しっかり考え抜いて、学習すれば、普通に、勉強はできた。
ただ、その自分の目標に対してできるかと思う感度って、環境とか教育にめちゃ依存してますよね。自分は野球しかやってなかったので、勉強に対する自信なんて、まったくなかったですし、ましてや、私塾に行って結果が出なかった時は、もうやる気ゼロでしたし(笑)
自分はたまたま、考え抜いて、結果が出たんですけど、その何か目標を持ったときに、自分がそれをいける、と思う、思わないで、行動って結構変わってしまうんですよね。
このある個人が目標を持ったときに、それに対して、達成できると思うかどうかの感度のことをを心理学では、自己効力感※、と言ったりするんですが、それって教育のアプローチで、変えられるところあるんじゃないのか?と思いました。
結局、そういった自己効力感は、先程話にあったように、人が育ってきた環境や教育に影響を受けているのではと思ったんですね。
そこで、人の自己効力感の向上をサポートして、変化を与えてあげられるようなアプローチを、教育でできないかな、そういった教育を自分で作りたいなぁ、と思い、教育に興味を持ち始めました流れになりますね。
※自己効力感……ある状況を変化させる手段を遂行することに対する自己評価で、遂行できるという確信の程度のこと
―他の理由はなんでしょう?
2つ目は、日本の学校教育への疑問です。1つ目の理由で挙げたように、大学には苦労して入ったのですが、大学教育の内実が一方通行になりがちだったんです。これは構造的な問題もあって、教授陣はもともと研究者であり教育の専門家ではない、という理由もあるのです。しかしそういった教育の弊害からか、学生の士気も低い。
こうした状況下にある教育をよりよくできるのでないか、と常に考えていました。