「卒業したら、何になりたいですか?」
誰でも就職する前に、自分の将来を考えたことがあるだろう。
なりたい自分をイメージし、その実現のために努力する。
そして、人によってはその道に進み、人によっては途中で別の道を目指す。
進む道は、人それぞれだ。
今回お話を伺ったのは、竹内忍さん。
高校の頃、「人の身体を治す仕事がしたい」とマッサージ師になることを目指し、
いちどはその道を断念したが、
「手技治療」と出合ったことで再びマッサージ師の道を目指すことを決意。
40歳で「手技治療院」を開業し、「人の身体を治したい」という思いの実現に向け、日々技術習得と治療に奔走しています。
治療院を開業するまでの紆余曲折を、お聞きしました。
<プロフィール>
竹内 忍さん
竹内手技治療院 院長
神奈川県立大清水高等学校を卒業後、
日本指圧専門学校に入学し「あん摩マッサージ指圧師」の資格を取得。
卒業後、地元のマッサージ店に勤めるが、
「人の身体を治したい」という自分が目指したい姿とは違うと感じ、
25歳のときに別の業界に転職。
いちどはマッサージ師の道をあきらめるが、その後「手技治療」に出合い、
やはり「身体を治す仕事がもう一度したい」と改めて決心。
訪問マッサージの会社で2年働いたのち、
40歳で「竹内手技治療院」を開業。
いちどは諦めた、高校の頃に抱いた「マッサージ師になる」夢
-なぜ「マッサージ師」になろうと思ったのですか?
正しくは「あん摩マッサージ指圧師」と言います。国家資格になります。
高校のころ、将来サラリーマンにはなりたくないと思っていました。学校の勉強は好きではなかったですし、興味もありませんでした。高校を出て仕事をするなら、何か「手に職」がつくものがいい、自分が興味のあることがよいと思い、いろいろ考えていました。その時に、中学のバスケットボールの部活動で怪我をした際にマッサージ師さんに直してもらったことを思い出し、「人の身体を治す仕事がしたい」と思い、マッサージ師を目指すことにしました。
-高校卒業後は、どうされたのですか?
竹内さん
まずマッサージ師の資格を取るため、日本指圧専門学校に入学しようと思ったのですが、当時は「あん摩マッサージ指圧師」の専門学校が少なかったため競争倍率が高く、結果的に合格するまで2浪しました。入学後の3年間は、実家から東京の後楽園にある専門学校まで毎日1時間以上かけて通い、技術を身につけました。
専門学校を卒業後、地元駅近くのマッサージ店で働きはじめました。しかし、2年で辞めてしまいました。
-せっかく働き始めたのに、2年で辞めてしまったのですか?
竹内さん
マッサージ店での施術は、お店に来るお客さまの「左肩が凝っていて」などといった要望をお聞きし、そこを揉みほぐして一時的に凝りをほぐす、というものでした。「治療」というよりは一時的に凝りをほぐす「リラクゼーション」的なサービスでしたので、「身体を治す仕事がしたい」と考えマッサージ師になった私の考えとは違っていました。
その後、他のマッサージ店でも働いてみましたが同じでしたので、1年で辞めました。今思えば、その頃はまだ「いい治療」に出合えていなかったんだと思います。
-その後、どうしたんですか?
竹内さん
ちょうどその頃、当時付き合っていた今の奥さんと結婚しました。奥さんがパティシエだったので、マッサージ師はあきらめて将来ケーキ屋さんを開こうと考え、そのための資金を貯めるため、運送会社に転職して働き始めました。25歳の頃です。
ただ転職してからも、専門学校時代の友人とは連絡を取り合っていました。ある日、その友人から「東京ですごい治療のセミナーがある」と連絡がありました。
そのすごい治療とは「手技治療」というものでした。友人に聞いてセミナーに行き、実際に施術を受けてみて、衝撃を受けました。他のマッサージとは、施術後の感覚が全然違うのです。「治療で身体が治るって、こういうことだ。これはすごい」。
私はこの「手技治療」という技術を身につけて、もう一度「身体を治す仕事」をしようと決心しました。