自分の夢や目標が叶わなかったら、あなたはどうしますか?
願い続けて挑戦し、それでも叶わなかったら。きっと諦めて途方にくれてしまう人がいても、無理はないでしょう。
今回お話を伺ったのは、元プロサッカー選手・現出版社社長の丸山龍也さん。
丸山さんは、日本でプロサッカー選手を目指すもケガを負い断念。完治後は、海外のプロサッカーリーグに挑戦し、スリランカで念願のプロ契約を結びました。
しかし世界中を飛び回ってサッカーをした後は、今度はマンガでサッカーの魅力を発信しようと、日本で出版社を立ち上げました。
そんな波乱万丈な人生を歩む丸山さんですが、大事な局面ではいつも持ち前の「諦めの悪さ」で乗り越えてきたといいます。
今回は、丸山さんの半生を振り返ると同時に、働く姿勢に対する丸山さんの考えを語っていただきました。
丸山龍也(まるやま・りゅうや)27歳
元プロサッカー選手/ワンディエゴ丸出版社 代表取締役社長
小学校からサッカーを始め、プロになることを目標に日々奮闘。高校卒業後は、当時岩手県リーグに所属していたアンソメット岩手(現在はFCガンシュ岩手に統合された)に入団。
しかし、2度の大ケガにより手術を3回経験。2年間サッカーができなくなる。
復帰後にタイのプロサッカーリーグに挑戦するが、ケガの影響があり、プロ契約まで至らず。
ケガが完治した後、スリランカのプロサッカーリーグに挑戦し、念願のプロ契約を結ぶ。
その後、ステップアップのためにリトアニアのクラブと契約を結ぶ。そしてスペインのクラブに移籍を目指すも、契約できず、2018年に入りサッカー選手を引退。
海外在住時にマンガコンテンツの影響力に惹かれ、日本に帰国後、ワンディエゴ丸出版社を立ち上げ、代表取締役社長に就任する。
全国各地に根ざしたご当地サッカー漫画を作ることを目標に、日々奮闘する。
3度の手術を経験。それでも、海外のプロサッカーリーグに挑戦し続けた理由
―現在はワンディエゴ丸出版社で代表取締役を務める丸山さん。現在に至るまでの経緯を教えてください。
小学生からサッカーを始め、中学校に上がると、サッカー部に入部。クラブチームでもサッカーをするようになりました。
最初は「ただサッカーが好き」という気持ちでプレーをしていたんですが、中学3年生の時に、クラブチームでブラジル遠征に行ったことが転機となりましたね。
―どんなことが転機になったのでしょう?
まずサッカー大国だけあって、技術力が抜群に上手い。でも1番刺激があったのは、年が近いブラジルの選手たちの意気込みでした。
彼らは将来お金を稼ぐために、プロになろうと本気で毎日サッカーをしていました。つまり、彼らのサッカーには文字通り「人生」がかかっていたんです。
そんな彼らの影響を受け、よりサッカーに夢中になりました。
―同世代の選手となると、より刺激を受けますよね。その後はどうされたのですか?
帰国の時期が、ちょうど高校の進路を決める時でした。サッカーの練習に打ち込みたかったので、定時制の高校に行くことにしたんです。
高校入学後は、午前中はクラブチームで練習をして、午後から授業に行くという生活をしていました。
―実際にサッカーに打ち込むことはできましたか?
サッカー漬けの毎日でした。
そのかいあって、高校卒業後にセレクションをいくつか受けて、アンソメット岩手から声をかけてもらうことができました。
でも入団してからケガが続いてしまって、3度の手術をしました。それで、2年間サッカーができない状態だったんです。
―2年間は長いですね…。辛くなかったですか?
めちゃくちゃ辛かったですね。
辛さを紛らわすためにアルバイトを始めて、そこでそれなりに活躍できたのですが、やっぱり自分はサッカーがやりたかったんです。
「俺、何やってるんだろう?」と、サッカーのできない状況に焦っていました。
―そこからどうやって立ち直ったのですか?
地道にリハビリを重ね、ケガが治ってきた頃から、またサッカーを始めたんです。知り合いを通じて、クラブチームでプレーさせてもらいました。
そして数カ月経った頃に、タイのプロサッカーリーグに挑戦できる話をいただきました。
―夢を諦めることなく行動したからこそ、先が開けたのですね。結果はどうでしたか?
タイでは自分の実力を出し切ることができず、プロ契約を結ぶことはできなかったのですが、次にスリランカのプロサッカーリーグに挑戦し、そこで念願のプロ契約を勝ち取ることができました。
―ついに夢を叶えることができたんですね。
はい。僕自身、選抜チームに選ばれた経験がほとんどなく、サッカーが上手いとは言えませんでした。周りから、「お前はプロになれない」と言われたこともあります。
でも僕、諦めが悪いんですよね(笑)。だから無理だと思うことでも、とにかく挑戦し続けてきました。そうしてきたからこそ、自分で夢を掴むことができたんです。