働き方やライフスタイルのヒントをお届けするポッドキャスト番組『安居楽業 ライフとワークを整える』。前回に引き続きゲストは、メジャーバンドでの活動を経て、現在は社労士とドラマーの“二足のわらじ”で活躍する山中綾華さん。
今回は、演奏やレッスンを通じて築いたドラマーとしての現在地や、香木の香りに癒される朝の習慣、そして「ライスワークとライフワーク」を分けるという新しい働き方の哲学に迫りました。情熱と柔軟さを両立しながら進むキャリアの在り方から、“自分に正直に働く”ヒントを伺いました。
人気バンドのドラマーから社労士へ|安居楽業~ゲスト山中綾華さん(前編)
アニメソングから始まった音楽の道〜“好き”が育んだドラムとの出会い

西川あやの:
元々、高校生からドラムを始められたっていうことで。
山中綾華:
はい。
西川:
ドラムを始めたきっかけは何だったんですか。
山中:
とある曲に出会ったことがきっかけなんです。その曲自体は幼稚園の頃から知っていて、とにかく大好きだったんですが、当時はどのアーティストの曲かは知らないままでした。
それを中学2〜3年生のとき、初めて演奏している映像を見て、その方が女性で、ドラムを叩きながらボーカルを務め、ステージの真ん中に立っている姿を見たときに「かっこいいな、私もやってみたいな」と思ったのが、ドラムを始めるきっかけでした。
そのアーティストが「rumania montevideo」さんという方で、アニメの主題歌を担当されていたのですが、本当にかっこよくて、「絶対にドラムをやる!」と決意して始めました。
西川:
どうやってドラムを習ったんですか?
山中:
最初は独学といいますか、高校1年生から始めたんですけど。高校に軽音楽部があったので「とにかくドラムができるところに入ろう」と思っていたときに、2年生、3年生の先輩が体験入部で演奏をしてくれていて、そこで「自分たちは音楽を1から始めて、これぐらいできるようになりました。だから皆さんもここから始めても上手くなれます」みたいなことを言ってくれたんですよ。
西川:
へぇー。
山中:
それで頑張ってみようと思って、そこから独学で学んだり、先輩にたまに教えてもらいながら、ドラムの譜面を読みながら「これってこういうことなんだ」っていうのを試行錯誤して、勉強というか、練習をして習得したっていう感じです。
西川:
ドラムって本当に難しそうというか、体にリズムを染み込ませるのが他の楽器とまた違うところかなと思うんですけど、始めてみて「楽しい」とか「向いているな」って思ったんですか。
山中:
楽しいのはもちろん一番に感じていたんですけど、向いているかどうかは正直そのときはわかりませんでした。右手・左手・右足・左足をそれぞれ別々に動かすのが難しくて、最初は手足がつられてしまって。頭の中では音が鳴っているのに、実際には思った通りに演奏できないというギャップがあって戸惑いました。
でも、反復練習を重ねるうちに自然と身についてきて、「できるようになる」こと自体が楽しくて、続けられました。
西川:
特に軽音部とか、みんなで一緒にやると「ちょっとギターの動きが…」とか「ボーカルが…」とか、気になっちゃいますよね。
山中:
そうですね。
西川:
でもドラマーは、ずっと同じリズムを刻み続けなきゃいけない。
山中:
そうなんです。それも結構難しくて、「始めたてあるある」なんですけど、自分では「このテンポで合ってるかな?」と思っていても、ギターの音が少し速かったり遅かったりすると、つられてしまって。
結果として、バンド全体のテンポがどんどん速くなったり、逆にすごく遅くなってしまったり。私の部活のバンドでも、そういうことがよくありました。
西川:
山中さんにも、そんな時代があったんですね。
山中:
ありましたね(笑)。本当にいろんなミスや“あるある”を経験しました。
西川:
幼少期は、どういう音楽が好きだったんですか?
山中:
そうですね、私はアニメが大好きだったので、オープニングやエンディングで流れる曲をとにかくよく聴いていました。なので、最初は「このアーティストが好き」っていう感覚はあまりなくて、いろいろな方の曲を好きになっていた感じですね。
それに、家では常に音楽がかかっているような環境で、ロックやポップス、テレビから流れてくる曲を一通り聴きながら育ったので、「音楽って楽しいな」と思って過ごしていました。
高校でバンドを始めてからは、いわゆる“バンド系の音楽”に触れるようになって、「このバンドかっこいい!ライブ行っちゃおう」みたいに、どんどんのめり込んでいきました。
西川:
軽音部では、どんな曲を演奏していたんですか?
山中:
flumpoolさんとか、YUIさん、ねごとさんの曲なんかをやっていました。
西川:
世代が出ますね〜(笑)
山中:
きっと聴いている人の中にも「わかる!私もやってた!」って思ってくれる方がいると思います(笑)
西川:
そのときはガールズバンドでしたか?
山中:
男女混合のバンドでした。
西川:
だからいろんな曲ができたんですね。
山中:
はい。ボーカルも男の子のときもあれば女の子のときもありましたし、部内でいくつかのバンドを掛け持ちしていたこともあって、それぞれのバンドに合わせてコピーする楽曲も変えていました。










