自分らしく生きる。
楽しく生きるためにも重要なことだと分かっていても、つい他の誰かと比べてしまったり、人の目を気にしてしまったり……。自分らしく生きるって、案外難しいものですよね。
今回お話を伺ったのは、鶴岡そらやすさん。
鶴岡さんは埼玉県越谷市で学習塾を経営し、教壇に立つ傍ら、自身がトランスジェンダーであることから、LGBTに関するセミナーや書籍の出版を手がけるなど、その活動は多岐にわたります。
今回はそんな鶴岡さんのこれまでのキャリアとともに、教育業とLGBTの発信、2つの活動の根源について伺いました。
鶴岡そらやすさん
教育実践家
まんてんトラスト越谷本部校教室長
大学卒業後、教員の道を志し小学校教諭の職に就く。
中学校へ異動した期間を合わせ、15年間教員を勤めた。
教員を退職後は、飲食店を開業。現在は自立型学習塾を経営する。
また幼い頃から自分が女性であることに違和感を持つトランスジェンダーでもある。学習塾の経営の傍ら、自分らしく生きることができる社会をこどもたちに手渡すため、講演やセミナー、書籍執筆といった発信活動にも力を入れている。
「やっぱり教育だな、と」。15年の教員生活、そしてピザ屋を経て、学習塾の開業に至るまで
――現在学習塾の経営、及びLGBTに関する発信活動など、幅広い活動をされている鶴岡さん。まずは学習塾の開業に至るまでの経緯から教えてください。
学習塾を開業する前、私は15年ほど小学校と中学校で教員をしていました。
小学校を10年担当した後、私が勤めていた地域で交換人事(小学校の先生が中学校へ、中学校の先生が小学校へ異動する)の機会があって。
それで3年間だけ、中学校で教員をしていたんです。
中学校の生徒たちは、非常に元気いっぱいな子たちばかりでした。授業を行うのも難しいほどハードで、大変ではあったんですが……(苦笑)。その分、彼らの卒業を見届けた時の感動はひとしおで。
そんな激動の中学校3年間を終えて、小学校に帰って来てすぐに、当時の上長から「そろそろ現場ではなく管理職をやらないか」と勧められたんです。
年齢的にもキャリア的にも、現場ではなく管理職の側に回って欲しいという意図だったと思うのですが、私的には教育をやるからにはこどもたちとガチンコで向き合いたいなと。
そして小学校に帰ってきて2年が経った、教員生活15年のタイミングで退職を決意したんです。
――それで学習塾の方にシフトしたんですね。
いえ、教員を退職してすぐこの教室を作ったわけではなくて。
最初はピザ屋を開業したんです(笑)。
――なぜピザ屋を?
実は私の実家は喫茶店を経営していて、自営業だったんですよ。その影響で飲食店にも興味があって。
そうしてピザ屋を1年半ほど経営していたんですが、店には昔の教え子や保護者の方も来るようになっていきました。そしてなぜかカウンターごしに、教育相談を受ける機会が増えていったんですよね。
その時に改めて「やっぱり教育だな……」と。
そうしてピザ屋と並行して学習塾を開業し、今年で7期目となりました。現在は学習塾1本で事業を運営しています。