皆さんは、夢を叶えるためにどんな目標設定をしていますか?
誰しも「有名になりたい」「幸せになりたい」、あるいは「お金持ちになりたい」など、それぞれ思い描く理想像はあるでしょう。
しかし、成し遂げたい目標を明確にしなければ、いずれ進むべき道を見失い立ち止まってしまうと、今回お話を伺ったプロゲーマーのふ〜どさんは話します。
ふ〜どさんは、対戦格闘ゲーム『ストリートファイターⅤ アーケードエディション』を主戦場に世界で活躍し、数々の輝かしい成績を収めているトッププレイヤー。昨年にはグラビアアイドルの倉持由香さんと結婚し、家庭を持つプロゲーマーとしても注目されています。
今回はそんなふ〜どさんに、プロになるまでの経緯や夫婦であることの強み、そして今後の若い世代がプロを目指す上で必要なことを伺いました。
ふ〜どさん
Razer所属のプロ格闘ゲーマー
幼少期から自然とゲームで遊ぶ日々を過ごし、2005年に対戦型格闘ゲーム『バーチャファイター』の全国大会に出場。それをきっかけに、格闘ゲーマーとしての活動を始める。
2010年にウメハラが国内初のプロゲーマーになったことでプロを志すようになり、翌年のラスベガスで開催された世界最大の格闘ゲーム大会『EVO』に参加し、初優勝。その後、ゲーミングデバイスブランド「Razer」にスカウトされ、2011年より契約してプロ入り。
2015年 には『ガンスリンガー ストラトス2』の公式大会で優勝し、2018年にはカプコンプロツアー2018のプレミア大会、E-Sports Festival Hong Kong 2018『ストリートファイターV アーケードエディション』で優勝。
そして翌年の「South East Asia Major 2019」にて、CPTメジャー大会優勝を成し遂げた。
2019年11月5日には、約10年間の交際期間を経て、グラビアアイドルの倉持由香と結婚。現在は家庭を持つプロゲーマーとして活躍を続けている。
ゲームをこよなく愛する男が、「プロ」の世界に足を踏み入れるまで
ー現在に至るまでの経緯をお聞かせください。ゲームを始めたのはいつからだったのでしょうか?
僕の世代はゲームの全盛期なので、物心ついた時からゲームで遊んでいましたね。ファミコンやプレイステーションといった家庭用ゲーム機も出ていましたし、ゲームセンターも人気の時代でしたから。
その中で、初めて本格的にやり込んだのは、2001年に発売された『機動戦士ガンダム 連邦vsジオンDX』というアーケードゲームで、学生時代はめちゃくちゃやり込んでいました。
ーふ〜どさんは現在、プロ格闘ゲーマーとしてご活躍されていますが、格闘ゲームをやるようになったのはいつ頃ですか?
19歳の頃です。僕の出身は千葉県船橋市なのですが、地元で対戦型格闘ゲーム『バーチャファイター』の全国大会の予選が開催されまして。
「地元だし、出てみようかな」という軽い気持ちで参戦してみたら、優勝することができたんです(笑)。
それで新宿の本戦に出場したら、ゲーム好きの友達がすごく増えて。それを機に、一気に格闘ゲームにのめり込んでいきましたね。
ーそのあたりから、プロゲーマーを志すようになったのでしょうか?
いえ、全国大会に出た2005年当時は、まだプロという地位は確立されていなかったので、ゲーマーを職業にできるとは思っていませんでした。
なので高校卒業後は、地元にあるシェアハウスに住みながらゲームの攻略本のライティングなどをしていました。
シェアハウスで一緒に住んでいた人の中に、ゲーム系の本や雑誌を出版している会社の方がいて、お仕事を依頼してくださったので。
それに加えて、ゲームデバッガーのアルバイトもしていました。バーチャファイターのつながりで、人気パズルゲーム『テトリス』を製作した「アリカ」という会社の社長と仲良くさせてもらっていたので、よく開発中のプログラムをチェックしていたんです。
という感じで、好きなゲーム関連の仕事をしながら生計を立てていましたね。
ーでは、プロになるきっかけは何だったのでしょう?
やはり、プロゲーマーの先駆者であるウメハラさんが、2010年にプロ格闘ゲーマーとなったことがきっかけです。
そのニュースを知った僕は「お、これは楽しそうだな」と。プロになることに興味を抱くようになりました。
ですが、プロになりたいからと言って、すぐになれるものではありません。なのでまずは結果を残すべく、2011年にラスベガスで開催された世界最大の格闘ゲーム大会『EVO』に自費で参加したんです。
そうしたら「スーパーストリートファイターIV AE」部門で優勝することができまして。それを機に、複数企業がスポンサーの話を持ち掛けてくださいました。
そして翌年、ゲーム周辺機器メーカーの「Razer」とスポンサー契約を締結し、26歳でようやくプロゲーマーになることができたんです。
今思えば、日本にプロが誕生した瞬間、「なりたいなぁ」と思うだけではなく、すぐに行動に移せたのは、自分でも偉いなって思いますね(笑)。