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アナタには「本当にやりたいこと」がありますか? 独立・起業をするなら、アナタにとっての「本当にやりたいこと」を見つけてほしい、と、今回お話を伺った勝屋久さんは語ります。 勝屋さんは48歳にして、25年間勤めた会社からリストラ勧告を受けます。 しかしその後、奥さま(祐子さん)の支えもあり、自分の「本当にやりたいこと」を見つけ、プロフェッショナル・コネクター/LOVEコネクター、画家をはじめ、様々な領域で活躍し、「株式会社アカツキ」の上場にも貢献されました。 そんなご自身の経験、プロフェッショナル・コネクター/LOVEコネクターとして数多くの経営者をサポートされた経験を踏まえると、成功する人とは、唯一無二の「自分らしさ」を持っている割合が高いそうです。 勝屋さんの半生と共に、その理由を伺いました。
<プロフィール> 勝屋久(かつや・ひさし)さん 56歳 プロフェッショナル・コネクター/LOVEコネクター/画家 勝屋久 事務所代表/株式会社アカツキ 社外取締役/株式会社マクアケ 非常勤役員/株式会社エーゼロ 非常勤役員/株式会社クエステトラ 社外取締役/総務省 地域情報化アドバイザー/ビジネス・ブレークスルー大学 客員教授/福岡県Ruby・コンテンツビジネス振興会議理事/ビジネスプロデューサー etc. 大学卒業後、日本IBM株式会社に25年間務める。2000年には、IBM Venture Capital日本代表に就任。 しかし40歳半ばに前妻と離婚、48歳の時には日本IBM株式会社から、リストラ勧告を受け、人生のどん底に立たされる。 しかし現妻の支えや、自ら「プロフェッショナル・コネクター」を名乗り、活動し始めたことで、自分が「本当にやりたいと思える仕事」ができるようになる。 自身が社外取締役を務める「株式会社アカツキ」は一部上場し、その他にもスタートアップ企業の経営を支援。 画家や、大学の客員教授も務めるなど、活動領域は多岐に亘る。

25年働いた会社からリストラ勧告。48歳にして「自分の生き方」を職業にするまで

ー現在のような活動をされるようになった経緯を教えてください。
勝屋さん 私が若かった頃はまだ、年功序列・終身雇用制度が一般的な時代でした。 今のように、転職や独立が盛んに行われていたわけではありません。 そういった時代の背景から「いい大学に入って大企業に入社し、その会社で定年まで勤め上げれば、一生安泰」といった価値観が、未だ根強い世の中でした。 しかし、その価値観で言うならば、私は比較的順調なキャリアを歩んできたのかもしれません。 大学を卒業後、日本IBM株式会社に就職し、そこから25年間ずっと働いていましたから。
ーそうですね。日本IBM株式会社といえば、大企業ですよね。
勝屋さん 私も例に漏れず、小さい頃から「有名な大学に進学し、安定した大企業に入った方が良い」と、ずっと思っていたので、それを叶えるために努力してきました。 日本IBM株式会社に入社したのも、その会社での仕事をやりたくて入った、というよりは、どちらかといえば生活が安定するから、という理由が大きかったですね。 しかし働いてる中で、いくつか転機が訪れました。
ーそれはなんでしょうか?
勝屋さん 最初の転機は37歳の時でした。 会社から、自社の製品を売り込む営業の仕事を任されました。 その営業先で出会った人(スタートアップ経営者や投資家)の目に、衝撃を覚えたんです。 彼らは、私が知っている誰よりも、目を輝かせながら仕事をしていました。「自分の仕事に誇りを持って、めちゃくちゃ楽しんでいる」という感じがとても伝わってきたんです。
ー「仕事を楽しむ」という感覚が、当時の勝屋さんにとっては新鮮だったんですね。
勝屋さん そうですね。 この時から自分の働き方に、ふと疑問を持ち始めました。 「自分は、今の仕事を楽しんでいるのか」「このままこの仕事を続けていいのか」と。 でも、答えが見つかりませんでした。自分が本当にやりたいことが、よくわかっていなかったんです。
ー自分のやりたいことを探すって、難しいことですよね。どのようにしてその状況を抜け出したのでしょう。
勝屋さん きっかけは、現在の妻と出会ったことです。妻は私の価値観を大きく変えてくれました。 人間にとって「幸せ」とは、どこの企業に勤めているのか、どれだけお金を持っているのかで決まるものではない。 心理学に精通していた彼女は、私に「幸せ」について話してくれました。 これまで勝ち負けの世界、競争社会の中で生きてきた私にとって、それは目からウロコな考え方でした。 そんな時に、もう1つの転機が訪れます。
ーリストラのお話ですね?
勝屋さん はい。 会社からリストラ勧告をされ、いくつか次の転職先を勧められたのですが、やはり自分がやりたいと思える仕事はありませんでした。 妻から、「肩書きや収入・財産がなくなってもなんとかなるよ! 何なら私が働くし」と、こんな私の存在もOKと言ってくれたことがとても支えになり、そのことが原動力となって自分の心と向き合って、本気でやりたいと思える仕事を探そうと思ったんです。
ーそこで探したものが、今の勝屋さんの活動に繋がっているんですね。
勝屋さん そうですね。 自分のやりたい仕事を探そうと、自問自答していた時のことです。 友人から「勝屋さんは人と人を繋げるのが得意だから『プロフェッショナル・コネクター』っていう職業を作ってみるのはどう?」と言われました。
ープロフェッショナル・コネクターとは何ですか?
勝屋さん 「心でつながる場を創り、人が輝くお手伝い」と定義しているんですが、簡単に言うと、私が仲介して人と人(人や企業)を繋げています。 友人いわく私は昔から、誰かと誰か(もしくは何か)を繋げるのが得意だったそうです。 ある人に、心の底から喜べる人や企業との出合い、そしてその人にとっての「本当にやりたいこと」を提供する。 それをそのまま職業にしてしまったらどうか、という提案でした。

「自分らしさ」こそ、他者との差別化を図る、最強の武器になる。

ー勝屋さんは、プロフェッショナル・コネクター以外にも、様々なお仕事をされているとお伺いしました。現在の仕事を詳しく教えてください。
勝屋さん 私が携わっている仕事は、大きく3種類に分けることができます。 まず1つめが「LOVEコンサル事業」。 企業や自治体で働く人や経営者がより輝くために、どうするべきかを一緒に考えていきます。 昨年上場を果たした「株式会社アカツキ」は、私がこのプロフェッショナル・コネクターとしての活動を始めた頃から、社外取締役としてお手伝いさせていただいておりました。 2つめは「LOVEコミュニティ事業」。 BBT大学(ビジネス・ブレイクスルー大学:http://bbt.ac/)では客員教授として、自己エネルギー創造講義というユニークな講義をしています。 また、私と妻が主宰する「KATSUYA学院」では「新しいスタイルの生き方」をテーマとして、自分らしく生きるきっかけを生み出す場作りをしています。 そして3つめが「アート事業」。 私は50歳を過ぎてから、画家として活動を始めました。自分の絵を販売したり、個展を開いたり、ラベルやロゴのデザインなどもやっていますね。
ー画家としても活躍されているのですね…! しかし、なぜ画家の活動も始められたのでしょうか?
勝屋さん もともと絵が好きで、幼少の頃は、できれば画家として活動してみたいと思っていました。 しかし私は色弱だったということもあり、どこか自分で「無理だ」と決めつけて、絵を描くことをずっと諦めていたんです。 そして先のリストラ勧告の時、本当に自分のやりたいことを見つめ直した結果、やはり画家としても活動したいという思いがわきあがったのです。
ーそういった経緯があったんですね。
勝屋さん はい。その旨を妻に相談したら「いいじゃん、やってみなよ!」と後押ししてくれたんです。 自分が本当にやりたいと思っていることなら、たとえうまくいかなくても、とにかく挑戦してみようと思ったんです。 それで意を決して挑戦してみたら、絵でも収益を立てることができました。まさか、個展を開くまでに至るとは思っていませんでしたが(笑)。
ー本当に、すごいことだと思います。年齢関係なく、新しいことに挑戦し続ける勝屋さんの姿に、勇気づけられる人は多いのではないでしょうか。
勝屋さん そうだと嬉しいですね(笑)。 これまでの私の経歴から見て分かる通り、私はどちらかというと「挑戦」から縁の遠い人間でした。 挑戦よりも安定、独立よりも企業にいる道を選んできました。 しかしそういった生き方は窮屈ですし、何よりこれからの時代に適合できないと私は個人的に思うんですよね。
ーこれからの時代に適合できない、と言いますと?
勝屋さん 上の絵を見てください。 よく私が講演などで使う絵なんですが、仕事を含めた人間の活動を表すにあたり、縦の軸(自分軸)と横の軸(他人軸)があると、私は思っています。 先程お話した、他人からの評価というのは、この図で言うと横の軸に当てはまります。 しかしこれからの時代、重要視されるのは縦の軸、すなわち「自分らしさ」なんです。 なぜなら「自分らしさ」こそが、自分と他者の違いを明確にし、差別化できるポイントだからです。
ーどういうことでしょう?
勝屋さん これだけ大量の情報が簡単に手に入る世の中では、目的を達成させる手段や方法は、きちんと調べればいくらでも存在します。 それはつまり、手段や方法で他者と差別化を図ることは難しい、ということです。 一方で「自分らしさ」とは、自分が興味を持っている「こと」や「もの」、純粋な欲求です。 種類が他人と似ていることはあるにせよ、100%同じ価値観を他者は持ち得ません。 自分にしか持ち得ないところにこそ、差別化のポイントが埋まっているのです。
ーそれは、独立・起業を考えている方にとっても、とても重要なキーポイントだと思います。
勝屋さん そうですね。 私も今の職業柄「これから起業したい」と思っている方の相談に乗ることが多いのですが、 この「自分らしさ」の重要性については、必ず皆さんにお話します。 なぜなら、この「自分らしさ」が揺るぎない人ほど、独立・起業を成功に導く可能性が高いと思っているからです。

手段や方法をいくら磨いても、「答え」は自分の中にしかない。

ー「自分らしい」生き方・働き方を実践してブレイクスルーをされている、勝屋さんだからこそ、重みのある言葉、考え方ですね。それでは、勝屋さんの今後の目標を聞かせてください。
勝屋さん 「究極のKachaman」になることが、私の目標です。 「Kachaman」とは私の愛称ですが、生き方であり働き方でもあります。 プロフェッショナル・コネクター/LOVEコネクター/画家などの肩書きよりも今ここの愛で全てのつながりを創る存在そのもの、あり方そのものを重視して、より自分らしさを前面に出して活動していきたいですね。 この活動を始めてもうすぐ8年になりますが、まだまだ私は、自分が思い描く「想定内」に留まっていると思っています。 もっと、どうなるか想像もつかないような「想定外」の世界に、行ってみたいですね。
ー最後に、独立・起業を考える人へ、アドバイスをいただけますか?
勝屋さん 人と人や、人と企業を繋げること。絵を描くこと。 「自分の本当にやりたいことは?」と考えた結果生まれた、私なりの答えです。 もし皆さんが独立・起業を考えるなら、この問いに対する自分なりの答えが、必要になってくると思います。 そしてその答えは、外(手段や方法)には存在せず、自分の中にしかないのです。 皆さんなりの「本当にやりたいこと」が見つかることを、心から願っています。
仕事内容にも環境にも慣れた30代。 そろそろ新しい世界へ飛び込み、新しいことにチャレンジしたいと思う半面、働き方を抜本的に変えることは、なかなか難しいものですよね。 今回お話を伺ったのは、今年の4月まで日本フットサルリーグ(Fリーグ)のバルドラール浦安に所属し、現在も日本代表選手として活躍している星翔太さん(2018年シーズンから名古屋オーシャンズに移籍)。 星さんは、30歳を迎えた時にプロデュースカンパニーでインターンを始め、現在では株式会社アスラボの代表としてもご活躍されています。 今回は、現役のプロアスリートでありながら会社を立ち上げるまでに至った経緯、そして新しい領域へ挑戦するにあたって必要な心構えを伺いました。 (さらに…)
自分の大切なモノを修理する。 何かを修理に出そうと思った時、できる限り信頼のおける人に依頼したいものです。中でも楽器のような、高価で愛着のあるものの手入れをするなら、なおさらですよね。 今回お話を伺ったのは、楽器リペアマン・石川哲也さん。 石川さんの工房は、個人開業のため、決して大規模なリペアショップではありません。けれども石川さんの工房には、多くのお客さまが集まり、着実にリピーターを増やし続けています。 なぜ石川さんのリペアショップは人気であり続けるのか。 「ギターの修理だけを提供するのではなく、お客さまに楽しんでもらえる環境を作ることが大切なんです」と話す石川さん。 リペアマンとしての強いこだわりをお聞きしました。
<プロフィール> 石川哲也(いしかわ・てつや)32歳 弦楽器工房「Path」代表 大学卒業後、地元の栃木県で管理業務を行う一般企業に就職するも、不規則な勤務時間に苦労し、再就職を決意。 専門学校に入学し、楽器のリペアを学習後、自身の工房を立ち上げる。 立ち上げ時はアパートの一室に工房を構え、地道にリペアの経験を重ねる。 自身もギタリストとして活動しながら、その経験を活かしてギターのリペアを1人で請け負っている。お客さま1人1人への手厚い接客は評判が高く、リピーターが多数。 「お客さまに寄り添う」ことを第1に、リペアだけではない豊富なサービスを提供する。

待っていても自分に「箔」は付かない。自分の価値を高めたいなら、行動あるのみ!

ー石川さんのこれまでの経歴を教えてください。
石川さん 小学生の頃から両親の影響で音楽を聞き始め、高校生の時に母の勧めで、ゴスペルを始めました。 その後大学に進学してからもゴスペルを続けようと思って、ジャズ研に入ったんです。
ー大学生になるまではギターではなく歌うことがメインだったのですね。
石川さん そうですね。 ジャズ研に入ってコピーバンドを結成した時に、初めてギターと出合いました。 ギターを弾く楽しさに、すぐのめり込み、大学生の間はずっとギターを弾いてましたね(笑)。
ー大学卒業後はどのような道を進んだのですか?
石川さん 音楽とは離れて、一般企業に就職しました。 私は栃木県出身なんですが、その会社の事業所が栃木にあったので、地元に帰って働きました。 しかしその仕事がとても大変だったんです。 私はもともと喘息持ちで体が弱かったので、しばしば体調を崩していました。このままではまずいと思い、1年半ほどでその仕事を辞めて次の仕事を探し始めました。 前職の辛い経験の後ということもあって、次は自分が好きなことを仕事にしようと思いました。
ーそこで音楽を仕事にしようと思ったのですね。
石川さん はい。自分の好きなギターを仕事にしようと思ったんです。 弾くのももちろん好きなんですが、ギターをいろいろいじることも好きだったので、リペアを仕事にしようと思い、渋谷にある「代官山音楽院」(現、島村楽器テクニカルアカデミー:http://academy.shimamura.co.jp/)という専門学校で2年間学びました。 そこで本格的に、楽器のリペアについて勉強したんです。 専門2年目の時、ギターのリペアの仕事を求めて就活を始めました。 普通であればリペアマンは、まず大手の店舗で販売職を経験してから、工房に入ってリペアの仕事を始めます。 もしくは、自分の師となる人を見つけて、その人に弟子入りしてから独立することが一般的です。 しかし当時の私は26歳で、年齢的に余裕がある訳ではなかったので、焦っていました。 「自分に箔が付いてないと、誰もリペアを依頼してくれない」と思っていたので、最初は有名な工房に弟子入りを考えました。 しかし、そもそも弟子入りできる工房が少ない上に、実務経験の少ない私は門前払いされることが多いので、途方に暮れていましたね。
ーリペアマンになる道は、簡単ではないということですね。その状況をどう乗り越えたのでしょうか?
石川さん 専門学校の先生方や、リペアマンとして実際に働いている方に「自分はどうするべきか?」を聞いて回りました。 すると共通して「自分に箔が付かないといけないって思って迷っている間は、箔は付かない。ゼロからでも、自分で始めてしまった方が良いのでは?」とアドバイスされました。 かなり悩みましたが、弟子入りできる目処が立っていませんでしたし、遅かれ早かれ独立して工房を立ち上げるなら、と、アドバイスを活かして自分のギターリペアショップを立ち上げました。 上手くいく勝算があったわけではないのですが、まずは工房を立ち上げてみて、そこから考えてみようと思ったんです。 とはいえ最初は、資金も場所もなかったので、自室として借りていた小さなアパートの一室を工房としてスタートさせました。
ー自分の価値は自分の行動力で高めるのが大事、ということですね。最初はどのように利益を得たのでしょうか。
石川さん 最初はとにかく知り合いに頼んで、安い値段でも楽器を直させてもらいました。地道に実績を重ねていくうちに、口コミで段々とリペアを頼んでくれる人が増えていきました。 そして、27才の頃転機が訪れました。 私は自分の工房を経営する傍ら、音楽のスタジオでアルバイトをしていたのですが、偶然にもロックバンドの「THE NOVEMBERS」(http://the-novembers.com/)のメンバーさんと知り会いました。 そこで「THE NOVEMBERS」の皆さんにリペアを頼まれたんです。
ー「THE NOVEMBERS」といえば、人気のロックバンドですよね?
石川さん はい。私もびっくりしたのですが、誠心誠意仕事をさせてもらいました。 すると気に入っていただけたのか、その後も定期的に私にリペアを依頼してくれるようになったんです。 この出来事をきっかけに、さらに口コミも広まり、私にリペアを依頼してくれる人が急増しました。 このあたりから、リペアの仕事だけで安定した収入を得ることができるようになりました。
ー石川さんが根気強く行動した結果、チャンスを掴み取ることができたのですね。
石川さん そうかもしれません(笑)。 あの時に思い切って独立して良かったと思っています。 自分から行動し続けたことで、自分の仕事に自信を持てるようになりましたし、「THE NOVEMBERS」さんと出会えたことで、今までよりさらに”出会い”を大事にするようにもなりました。

リペアだけでは終わらない。個人経営だからこそできる、リピーターを増やす方法

ー現在はどのようにお店を経営されているのでしょうか?
石川さん お客さまからリペアの依頼を受けて、実際に楽器に手を加えるまで、私が1人で行っています。
ー従業員は雇わないのですか?
石川さん はい。これからも私1人で経営も実務もやっていこうと思っています。
ーそれはどうしてでしょうか。
石川さん お客さまのニーズに応えることができるからです。 私のような個人にリペアを依頼するお客さまの多くは「こちらの要望を正確に汲み取って、リペアしてほしい」という思いを抱えていらっしゃいます。 大手のリペアショップだと、お客さまが要望を伝えた相手と、実際にリペアする人が違う場合が多いです。 そうなると伝達が上手くいかずに、お客さまの要望通りにリペアされないこともあります。 その点、私はヒヤリングからリペアまで、全て1人で行うので、お客さまと十分に話し合ったうえで、要望を正確に把握することができます。 細かい要望にも柔軟に対応できるので、それこそが私の強みであり、私に依頼してくれる意味であると思っています。
ーそれはかかりつけのお医者さんと似ていますね。ギターの専門医みたいな。
石川さん まさに、そんな感じですね。 実際にカルテのようなものを作っていますよ。 「どんな問題点があったか」「どのようにリペアしたか」などを記録しておけば、またリペアを依頼されてもすぐに対応できますし、お客さまにとっても安心ですから。
ーしかし、全てお1人でやられると、リペアできる数が限られるのではないでしょうか?
石川さん そうですね。だから、どうしても1回のリペア代は高くなってしまいます。 価格が高くなってしまう分、お客さまに「この人なら要望通りにリペアしてくれる」と満足度を提供できるよう、1人1人のお客さまに全力で対応するようにしています。
ー石川さんは、あくまでお客さまに寄り添うことを大事にしているのですね。
石川さん そうですね。 お客さまとは、仕事以外でも関係を継続しています。例えば、私はリペアを依頼していただいたお客さまのライブに積極的に足を運ぶようにしています。
ーなぜですか?
石川さん 仕事だけの関係になってしまうと、お客さまの本当の要望を掴みづらくなってしまうからです。 なにより自分が手掛けたギターが、ステージでちゃんといい音を出しているかを確認したいですから。 しっかり演奏されているのを確認して、ようやく私の仕事が完了したなと確認できるというか(笑)。
ーそこまでされると、お客さまもまた石川さんにリペアを頼みたくなるでしょうね。
石川さん 私のような個人のリペアマンにとって、お客さまには要望以上のことを提供するのが大切だと思っています。 だから、お客さまからリペアを依頼されていない箇所でも、手を加えた方が良い箇所があれば手を加えますし、若干不調でもあえて修理せずにそのままの音を維持することもあります。 そのギターを使って、どのような音や音楽を作るか、という点が私とお客さまとの間でしっかりと握れているかどうかがキーポイントになってくるのです。

修理だけがリペアマンの仕事ではない。お客さまに楽しんでもらう環境作りの大事さ

ー石川さんの工房に足を運ぶのは、どういった層のお客さまが多いのでしょうか。
石川さん プロのミュージシャンの方から学生まで、幅広くリペアを依頼してくださいます。 中には、進路相談をしたいという大学生もいますよ(笑) 一般企業に就職した方が良いのか、音楽を諦めずに続けた方が良いのか、という相談が多いです。 私も経験したことなので、親身になって相談に乗るようにしています。
ー修理に関わること以外の相談にも乗っているのですね?
石川さん そうですね。 お客さまに「また来たい」と思っていただくためには、修理をすることが全てではないと思っています。 先程のライブに足を運ぶこともそうですし、進路の相談に乗ること、ここにある大量のゲームソフトで一緒に遊ぶことなど、お客さまにとって居心地がいい環境を作ることが大切だと思っています。
ーお客さまとゲームで遊ぶのですか(笑)?
石川さん はい(笑)。 リピーターの方だと、ゲームだけしに来ることもあるくらいです(笑)。 もはやギターの修理には何も関係ありませんが、そうやってお客さまが「また来たい」「楽しい」と思っていただける環境を作ることが、結果として仕事にもつながりますから。
ーその点も、個人経営ならではですね。最後に、これからの展望を教えてください。
石川さん 今後も、高い満足度をお客さまに提供できるよう、丁寧な仕事をしていきたいですね。 また今後はリペアだけじゃなく、ギターそのものを作り、それを販売してみたいです。 近年、ギターに使われる木材が減少し、価格が高騰しています。一方で、少子高齢化の影響で使われなくなった空き家が増えています。 そこで家の柱などで使われた良い木材を、ギターの材料として再利用するのです。 お客さまの思い出の家や家具がなくなっても、ギターとしてまた一緒に同じ時間を過ごすことができる。 そんな素敵なお手伝いができたら、嬉しいですね。
自分の身体を大事にしていますか? 「ブラック企業」という言葉がニュースでよく取り上げられ、膨大な残業時間や出勤日数などが問題視されることが多い、現代社会。 自分の身を削ってまで仕事をして、過労死してしまうというケースを耳にすることも。 今回お話を伺ったのは、沖知子(おき・さとこ)さん。 沖さんは、働いている人たちの身体と心を健康にしたいと考え、企業などにヨガの体験を提供する、株式会社ブレストランを立ち上げました。 沖さん自らが足を運び、提供するヨガの体験は、大手有名企業からも支持されています。 身体だけの健康では意味がない、と語る沖さん。 様々な健康法がある中でヨガを用いる理由は、身体だけでなく「心」をケアすることにあるそうです。 その真意を、伺いました。
<プロフィール> 沖知子(おき・さとこ)28歳 株式会社ブレストラン 代表取締役/初代「ミス・ヨガ」(2016) 日本人で所有しているのは35人しかいない、ヨガ発祥の地・インドの政府が公認する、プロフェッショナルヨガ検定の所有者。 その他にも多くの資格を所有し、自らが積み上げた知識と経験を元に、様々な企業にヨガのサービスを提供する。

健康でいることは当たり前じゃない。父の死を乗り越えて、選んだ道

ー現在はヨガのインストラクターとして活動されている沖さん。これまでの経歴を教えてください。
沖さん 大学卒業後に、大阪でオーダーメイドの枕を取り扱う企業の営業職に就きました。もともと大学で人間福祉に関することを学んでいたので、人の健康に携わりたいと思っていました。 また社会人になってから、仕事終わりに運動の一環としてヨガ教室に通っていました。 人の健康に携わる仕事をする者として、まずは自分自身が健康になるべきだと考えていたので。
ー沖さんがヨガと出合ったのは、社会人になってからだったんですね。健康を保つために、様々な手段があったと思うのですが、なぜヨガだったのですか?
沖さん 最初は社会人でも手っ取り早く始められる健康法として、ヨガスクールが近くにあったので通い始めたんです。 ヨガについて深く勉強していく中で、健康とは、身体だけでなく「心」にも深く関係していることを学びました。 そして就職してから1年半ほど経った頃、父が病気で亡くなりました。
ー突然だったのですか?
沖さん はい。最初は本当に驚きましたし、全く実感が湧きませんでした。 しかし、徐々にその現実を受け入れ始めた時に、大きな悲しみに襲われたんです。
ーそれはおつらかったですよね…。沖さんは、お父さまの死とどう向き合い、そしてどう乗り越えたのでしょう?
沖さん 自分も家族も悲しみに暮れる中で、光を灯してくれたのが、ヨガの存在だったんです。 父が亡くなってからも、ヨガは日課として続けていましたし、瞑想をしている時はどこか心が落ち着いたんです。 そしてより深くヨガについて学ぶようになりました。
ーどのようなことを学んだのでしょう?
沖さん ヨガは身体はもちろん「心」の健康を保っていくために、様々な教えが存在します。 その中に「健康や愛する人など、今その人の身の回りにある物事は、かけがえのないものである。それらに感謝をして満足することが真の幸福への近道だ」という教えがありました。 自分にとっての身近な人、父の死によって、よりヨガの教えを実感しましたし、救われたんです。 そこから少しずつ父の死を受け入れて、前を向いて生きていこうと思ったんです。 そして、勤めていた会社を退職して、ヨガのインストラクターの道を志しました。
ーなぜ、ヨガのインストラクターになろうと思ったのでしょう?
沖さん 私と家族がとてもつらい思いをした時に、ヨガが近くにあったから立ち直ることができました。 健康で生活できることは当たり前ではない。当たり前のようにそこにある健康の大切さを伝えていくために、今度は私が、ヨガを教える側になりたいと思ったんです。

働く人の健康レベルを底上げする。株式会社ブレストランを発足させたワケ

ーヨガのインストラクターになるにあたり、周囲からはどのような反応があったのでしょうか?
沖さん 私は両親とは離れて暮らしていたのですが、残された母からすると、私には実家に戻ってきてほしかったんじゃないかなと思います。 そんな母の気持ちを察しながらも、私自身、自分の限りある人生をどう生きるかを考えたんです。 そして「自分がやりたいことをやる」という道を選びました。 母には申し訳ないことをしましたが、その分「絶対に結果を出さなきゃ」という思いが強くなりました。
ー相当な覚悟で独立を決めたんですね。最初はどのようにインストラクターとして活動されたのでしょうか。
沖さん ヨガの指導をするには資格が必要なので、すぐに資格を取得しました。 その後はヨガのスクールやスタジオなどでアルバイトを始め、クラスを受け持って指導実績を積んでいきました。 個人で活動を始めてしばらくしたある時、ヨガインストラクターの知人から「ミス・ワールド」の出場を勧められました。
ー「ミス・ワールド」とは、なんでしょう?
沖さん 「ミス・ワールド」というのは、「ミス・ユニバース」や「ミス・インターナショナル」と並んで世界3大ミスコンと呼ばれています。 その中でも「ミス・ワールド」の評価基準には、美貌とは別の、「Beauty of The Purpose(=目的のある美)」という尺度があります。 すなわち美しさだけでなく、その人ならではの活動や個性も評価され、総合的にもっとも優れている女性を選ぶんです。 そこで私は、ヨガインストラクターとしての活動を評価してもらう良い機会だと思い、出場してみることにしました。
ー結果は、いかがだったのでしょう?
沖さん 残念ながらグランプリに輝くことはできませんでしたが、特別賞を受賞しました。そしてその特別賞の名は、私の活動にちなんで「ミス・ヨガ」というタイトルでした。 私のヨガインストラクターとしての活動が評価され、特別賞をいただけたことは、本当に嬉しかったです。
ー「ミス・ヨガ」に選ばれて、何か変わったことはありましたか?
沖さん 「ヨガを広めたい」という私の想いを、いろいろな方に肯定されたような気がして、大きな自信につながりました。 また、改めて自分の活動をより効果的に広めていくためにどうしたらいいのかを考えるきっかけにもなったのです。
ーその問いの答えが、株式会社ブレストランを立ち上げることに繋がるのですね?
沖さん そうですね。 スクールやスタジオでヨガを教えていて、ある事実に気づきました。 それは「自らヨガを習いにくる人」は、概ね健康に対する意識が高い人である、ということです。 私が真に健康の大切さを伝えていきたいのは、既に健康に対しての意識が高い人ではなく、どちらかというと自分の健康にあまり興味がないという人です。
ーたしかに、自分の健康に興味のない人にこそ、ヨガを広めていく価値はありそうですね。
沖さん そうなんです。 そこで、私が新たにお客さま像として選んだのは、企業に務める会社員の方たちでした。 働いていると忙しくて、自分の健康に気を遣いたくても時間がなくてできない、という人が多いですから。 「働く人へヨガの体験を提供し、日本の健康レベルの底上げをする」。 それが、株式会社ブレストランの事業理念です。

身体だけの健康では意味がない。こどもも大人も身につけるべき「心のケア」

ー具体的には、どのようなサービスを提供しているのですか?
沖さん 依頼があった企業さまへ直接出向き、そこで働く社員の方を対象にヨガを教えます。 先程お話したヨガの心構えや坐法(ポーズ)、呼吸法など、ビジネスパーソンがすぐに実践できるものを中心にお教えしています。 しかし、ヨガは1回やっただけですぐに大きな変化が現れるものではないので、定期的にオフィスへ伺い、社員みんなでヨガをやる習慣を作っています。
ーどのように営業活動をしたのでしょうか?
沖さん 広報を担当してくれている知人からの紹介や、私のヨガレッスンを受けてくださった、企業さま同士の口コミなどですね。 ありがたいことに、徐々にではありますがいろいろな企業さまにお声をかけていただいております。 また最近では、食に関する事業も始めています。 ヨガで体を動かしたら、次に大切なのは食です。ヨガを体験していただいた後に、オーガニックで身体に優しいご飯を一緒に摂るといったイベントの開催も行っています。
ー他にも考えていますか?
沖さん ヨガや食といったキーワードを元に、会社だけでなく学校など教育の現場にも広めていきたいなと考えています。 実は海外で、ヨガを教育の現場で既に実践しているところもあるんですよ。 ヨガの優れているところは、健康な身体を作ることだけでなく、健康な心を作るところにあると思っています。 ケガをしたら傷口を洗って消毒して絆創膏を貼る、ということは学校でも教えてくれますが、とても悲しいことが起こった時、心がケガをした時の傷の治し方は学校では教えてくれません。 だからこそ、小さい頃からヨガに触れて、心のケアの仕方を身に着けてほしいんです。
ーそれは学校教育の現場だけでなく、心のケアの仕方を知らない大人たちにも言えることですよね?
沖さん その通りです。身体だけの健康では意味がありません。 だからこそ私は、企業へ足を運んでヨガを広めています。 こどもも大人も関係なく、日本における身体と心の健康レベルの底上げに、これからも尽力していきたいですね。
おそらく誰しもが一度は考えたことがあるであろう、自分の夢。 夢を叶えるために経験を積み、努力し、失敗し、そして成功する。 読者の皆さんの中には、自分の夢を叶える手段として、独立・起業を考えている方も多いのではないでしょうか? 今回お話を伺ったモデルのAoiさんは「パリ・コレクション」のランウェイを歩くという夢を叶え、現役モデルでありながら起業家、マナー講師としても活躍されています。 そんなAoiさんですが、自身のことを決して特別ではない、普通の人だ、と語ります。 そう述べる理由はなぜでしょうか? モデルとして夢を叶えるまで、そして叶えた後の人生について伺いました。
<プロフィール> 井畑 “Aoi” 博康 株式会社AOSTA・代表取締役社長 モデル・マナー講師 2009年に文化服装学院、デザイン科卒業。 同年から、モデルの仕事を始める。 2013年に、パリ・コレクションデビュー。 現在、日本、パリ、シンガポール、香港、ソウルのモデル事務所に所属。 その一方で、2014年にイメージコンサルタント事業aostaを立ち上げ、2016年5月に株式会社AOSTA設立。 企業や学校で、マナーや印象作りの講師を行うほか、 ハイブランドを含むイベントの運営を行っている。

自分の“得意”を仕事にする。職業・モデルを活かした新たな稼ぎ方

―Aoiさんはどのような経緯でモデルになられたのでしょうか?
Aoiさん ウェディングデザイナーになるために、服飾系の専門学校に入学したのですが、リーマンショックの影響で、内定が白紙になってしまいまして…(笑)。 その後、社会人になってどうやって生活していこうか考えた時に、おばあちゃんから「モデルをやらないのかい?」と言われたことがきっかけで、モデルを志しました。
―Aoiさんのモデルとしてのキャリアを見出したのは、おばあさまだったのですね!
Aoiさん そうなりますね(笑)。 小さい頃から私はおばあちゃん子で、おばあちゃんにだけは「芸能人になりたい」とか「有名人になりたい」と打ち明けていたんです。 それが大人になるにつれて、自分の中で「なんとなく無理だろうな」と思い、普通に就活をしたんです。 しかしまさかの内定白紙になってしまい、さらにおばあちゃんからの後押しもあったので、思い切ってモデル事務所に履歴書を送ってみたんです。 すると、事務所から返事があって、晴れてモデルとして事務所に所属することができました。
―おばあさまはAoiさんの才能を的確に見抜いていたんですね。その後はモデル1本で活動していたのでしょうか?
Aoiさん いえ、さすがに最初はモデルだけでは生活できなかったので、事務所と関連のある、ハイブランドのドアマンやバー、服飾ブランドショップなど、いくつかのアルバイトを掛け持ちしていました。
―しばらくはモデルとアルバイトを両立させて暮らしていたのでしょうか?
Aoiさん そうですね。 そんなある時、知り合いの先輩から、化粧品の発表会イベントの案内係を頼まれたことがありました。 現場で人手が足りずに困っていたイベント制作会社の方に、私と同じようにモデルとして活動しながら、ブランドショップで働いていた同僚を紹介したらとても喜んでくれて。 同僚は仕事が増えて嬉しい、先輩は人手を増やすことができて嬉しいという、お互いにとって良い関係が生まれたんですよね。 その出来事がきっかけで、モデルとアルバイトのほかに、イベント業界で紹介業もするようになりました。
―自分の職業の特性を活かして、新たな収益ポイントを作ったんですね。
Aoiさん はい。モデルという職業柄、また有名ブランドでアルバイトをしていた経験から、ルックスが良く美しい所作ができる知り合いがいました。 イベントのお誘いがあるごとに、そのイベントの特性に合った人を紹介して、紹介料をいただいくようにしたんです。 そしてモデルの仕事とイベントでの紹介業を合わせて、それなりに生活できるようになりました。

求められたことに対して全力で取り組む。行動力と縁で掴んだ、パリコレの舞台

―イベントでのモデル紹介業の傍ら、自身も着実にモデルとしてのキャリアを積んでいったAoiさん。パリ・コレクション(パリコレ)に出場された経験もあるそうですが、どのような経緯でパリコレに出場したのですか?
Aoiさん モデルを始めた当初から、目標は海外で仕事をすることでした。 活動を始めて3年が経った頃、そろそろ海外へ挑戦しようと思い、それまでお世話になっていた事務所を退所し、ファッションの本場、フランス・パリやイタリア・ミラノへと渡りました。
―現地に何かコネクションのようなものはあったのでしょうか?
Aoiさん 特別なコネクションなどはありませんでしたね(笑)。 ただ、パリに渡る前、おばあちゃんと韓国へ旅行に出かけました。 そのついでに、韓国でモデルの仕事を受けていたんです。 また、当時在籍していた同じ韓国の事務所にフランス人モデルがいて、その人がパリでショーに出ていたと聞きました。 「パリのショーに出る人と同じ事務所に所属しているなら、私にもチャンスがあるんじゃないか」と思い、何のツテもなかったのですが飛び込みで行ってみたんです。
―その後、パリへ向かわれてどうされたのですか?
Aoiさん とりあえず手当たり次第、現地で事務所探しから始めました。 パリに到着し数日が経った頃、新卒時代からイベント設営でお世話になっていた方と、現地でお食事に行く機会がありました。 そこでご一緒させていただいたデザイナーさんに偶然、翌日のショーのモデルに欠員が出たという連絡が入ったんです。
―そして、その場にAoiさんがいるということは…?
Aoiさん はい、その場ですぐ「もし人が足りなくてお困りなら、私にやらせていただけないでしょうか?」と聞いてみました。 そして翌日に行われたショーに出ることになったんです。
―若い頃から、人とのご縁を大切にされてきたAoiさんだからこそ、掴んだチャンスだったんですね。
Aoiさん そう言われると照れてしまいますけどね(笑)。 でも、このお話をいただけたのは、若い頃から「人から求められたことを一生懸命やってきたから」なんじゃないかなと思っています。 モデルもイベント業も、その積み重ねができていたからこそ、素敵なご縁にも恵まれた。 きっとモデルだけでも、イベント業だけでも、このご縁をいただくことはできなかったんじゃないかと思います。

おごらずに歩き続ける。「特別でない人」が夢を叶える方法

―Aoiさんは現在、モデル業の傍ら、株式会社AOSTA・代表取締役としてイベントを運営、マナー講師もされているとお聞きしました。モデル業からなぜ、起業という選択をされたのでしょうか?
Aoiさん パリを経験後にシンガポールや香港でも仕事をする機会があり、モデルとしての夢、すなわち「海外で仕事する」という夢を達成してしまいました。 その後、モデルだけでなく新たな領域に挑戦してみたいなと思い、自分には何ができるのかを考えてみたんです。
―そして行き着いた答えが、ビジネスマナーの講師という職業だったんですね。
Aoiさん はい。もともと幼い頃からおばあちゃんに、マナーを厳しくしつけられてきたので、大人になって人から所作を褒められることが多かったんです。 そしてイベントで人を紹介するにあたり、その人にマナーをレクチャーする機会も多かった。 そこで接客接遇検定など、ビジネスマナーに関する資格をいくつか取得し、マナー講師の研修課程をパスしました。 現在は、私の母校である専門学校を中心に、マナーに関する講義を受け持っています。
―現役モデルで起業家、マナー講師という人はなかなかめずらしいですよね?
Aoiさん そうですね。 この事業を立ち上げるにあたり、私の過去のキャリアを活かしながら、マナーを教えることで付加価値が加わるなと思ったんです。 私がこれまで感覚知として実践してきたことを、資格の勉強などを通して、誰にでも分かりやすくロジカルに説明できるようになりました。 会社としては、モデル時代に行っていた紹介業の延長で、企業さまのイベントのお手伝い(企画、運営、スタッフ派遣など)をさせていただいておりますが、弊社から派遣するスタッフ(モデルと兼業の人がほとんど)にも、もちろん一通りのマナーを教えています。
―モデル・紹介業・マナー講師。Aoiさんの過去の全てのキャリアや経験が、今につながっているんですね。
Aoiさん 私は、自分のことを「特別な人」だなんて、思っていません。 モデルをやるにあたり、身長など体型面では恵まれていたかもしれませんが、勉強やスポーツ、仕事も、誰もが驚く突出した才能に恵まれていたわけではありません。 そんな、いわゆる「普通の人」がなぜパリコレに出て、起業できたのか。 自分で言うのも恥ずかしいですが、おそらく人から求められたことを一生懸命やって、目の前の仕事に懸命に取り組んできたからなんじゃないかと思います。 「自分は何がしたくて、何ができるのか?」 その問いに向き合い続けるのは簡単なことではないですが、そこから目を背けずに自分ができることもできないことも、客観的に受け止める。 そして自分の目標に向けて、おごらずに地道に歩き続ける。これができたから、目標が達成できたんじゃないかなと思います。

大きすぎる夢は、小さい目標達成の連続

―Aoiさんの夢を叶える方法、とても参考になりました。独立・起業を考える読者にとっても、勇気づけられる内容だと思います。
Aoiさん そうだと嬉しいです(笑)。 私の体験談から皆さんの夢を叶えるために、まず今すぐ行動できることを落とし込むと、 ・人に求められたことを全力でやる ・できることを増やす ・やりたいことと求められることは別と認識する この3つになるかなと思います。 自分の向かう方向によって差異はありますが、大抵の場合はこれを徹底的にできれば夢に近づくのではないかなと思います。
―これから何かを目指す方へ、メッセージをいただけますか?
Aoiさん 「夢」と聞くと、とても大きなものに思えてしまい、自然と自分の中で「なかなか達成できないもの」と認識してしまいますよね。 私自身、モデルになった時に「絶対パリコレに出てやる」という夢を明確に掲げていたら、おそらく理想と現実とのギャップに、メンタルをやられていたんじゃないかなと思います(笑)。 そこで「夢」をもっと、実現可能なレベルの「目標」にまで落とし込むと良いのではないかなと思います。 私自身「海外で仕事をしたい」というぼんやりとした夢に向けて、日々の仕事に向き合い、モデルの傍ら紹介業も並行して仕事をしてきました。 その結果、モデルとしては海外で仕事ができるようになり、紹介業での経験を活かして起業、マナー講師になることができました。 「夢」は持ちつつも、求められることを真剣に、1つずつしっかりと達成していく。 その先に、大きな「夢」があるのではないでしょうか。
起業家、経営者にとって大事なのは、世の中を見抜く力です。1つの事象をどう捉えるかで、ものの見え方も、そこから得られる情報も大きく変わります。そうした「着眼点」、実はトレーニングによって鍛えることができるのです。累計20万部を超えるベストセラーとなった『戦略思考トレーニング』シリーズでおなじみの経営コンサルタント・鈴木貴博氏に解説してもらいましょう。 (さらに…)
近年、政府が推し進める「働き方改革」達成の有効的な手段として話題の、複業(副業)。 今働いている会社に在籍しながらも、就業前後や休日を使って、新たに会社とは別の仕事を始める方も増えています。 今回お話を伺ったのは、柳谷智宣さん。 柳谷さんは20代から手に職をつけようと、ライターとしてのキャリアを積む一方、都内に4店舗構える飲食店「原価BAR」の経営者としての顔も持っています。 さらに、海底熟成ウイスキー販売、飲食店人材育成サービス、NPOでの活動など、合計5足のわらじを履いているのです。 なぜ、柳谷さんは数多くの事業をされているのでしょうか? 今回は、柳谷さんのキャリアを振り返るとともに、複業(副業)で稼ぐためのポイントについて、教えていただきました。
<プロフィール> 柳谷智宣さん ライター・編集者/株式会社ハイテンション・共同創業者 ITやビジネスといったカテゴリーで執筆しているライター。キャリアは20年目。 雑誌やムック、単行本、新聞といった紙媒体から、Web記事、メールマガジン、プレスリリースなども手掛ける。 現在は、執筆だけでなく、企画提案から編集までを行う。 2011年に株式会社ハイテンションを起業し、専務取締役に就任。「原価BAR」の1号店を五反田に出店。 ライター/「原価BAR」の経営の他に、飲食店人材育成サービス・株式会社レベリング、海底熟成ウィスキー販売を扱う・株式会社トゥールビヨン、高齢者のデジタルリテラシー向上を支援する団体・「DLIS(ドリス)」を立ち上げるなど、その活動領域は多岐に亘る。

手に職をつけて、ストック型ビジネスを実践。柳谷さんがライターという職を選んだ理由

―現在に至るまでの経緯を教えてください。
柳谷さん 20代前半はふらふらしていたのですが、それでも食えるだけの生計は立てられていたので、特に生活に困っていませんでした。 しかし、20代も後半となり、そろそろ何かしら手に職をつけて、一生続けていける職業を探そうと思ったんです。
―そこで選んだ職業が、ライター業だったのですね。
柳谷さん そうです。 自分が「どんな職業でならがんばれるかな?」と考えてみたところ、消去法でクリエイターになるしかないと思ったんです。
―なぜでしょう?
柳谷さん もともと文字を書くことが好きだったこと、手に職をつけて実力の世界で勝負してみたいと思ったからです。 とはいえ、どうやってライターになったらいいのかはまったく知りません。 そこで編集プロダクションの求人に応募し、業務委託としてジョインしてライターとしてのキャリアをスタートさせました。
―始めてみていかがでしたか?
柳谷さん 文章を書くことは好きだったので、苦ではありませんでしたが、当然仕事としては未経験だったため、最初はとにかく必死でしたね。 そして入社して3ヶ月ほど経った時に、転機が訪れました。 IT系週刊誌の雄、「週刊アスキー」(http://weekly.ascii.jp/)の6ページ分の特集に挑戦してみないかと、上司から声をかけられたんです。 まだキャリアも短く、右も左も分からないままでしたが、いろいろとアドバイスを受け、書き上げました。 何日も徹夜して苦労しましたが、それでもなんとか無事出版され、雑誌に載っている自分の名前を見て、衝撃を覚えました。
―苦労して作り上げたものが世に出るのを見ると、感動しますよね。
柳谷さん そうなんです。 あの衝撃は今でも忘れられないくらいのものでした。その成功体験があったからこそ、20年間ライター・編集者としての腕を磨いてこれたんです。
―その後ライター・編集者としてどのようなお仕事をされたのでしょう?
柳谷さん 記事作りから雑用まで、基本的に任された仕事は全て行ってきましたね。 当時はインターネットの黎明期だったので、Webサイトやフリーソフトなどに関する内容を中心とした特集を多く扱っていました。 仕事をしていく内に、自然とインターネットに関する知見が身についていたこと、たまたま編集プロダクションで働いていたことから、単行本を出させていただくチャンスもいただきました。
―まさに先程おっしゃっていた、ライターとして「手に職をつける」形になったのですね。
柳谷さん 当時はどの仕事もかなり大変でしたけどね(笑)。 「手に職をつける」とはすなわち、ストック型のビジネスです。 例えば有名企業に就職して、その中でトッププレイヤーになったとしても、その会社内じゃないと、その人がどれくらいすごいのかって、なかなか伝わらないですよね? それよりも「本屋に行けば、僕の本が5冊置いてあります」みたいな方が、手っ取り早く自分がどんな仕事をしているのかをアピールできると思ったんです。 (もちろん、今の時代なら前者の人でもメディアやインターネット、SNSを通じてアピールできますが) 僕の時代は、なかなか自分で発信できるものがなかったので、ストック型ビジネスとなるライターという職業はまさに僕の理想にピッタリだったんです。

原価の秘密は「入場料」にあり! 3方良しのビジネスモデル

―前職での実績が、会社をやめられてからも「ITライター・柳谷智宣」として活躍される布石になったわけですね。「原価BAR」を出店することになった経緯を教えてください。
柳谷さん もともとお酒がとても好きだったことから「質がよくておいしいお酒を、安価で飲めるお店」をずっと探してきました。 僕は普段から本当にたくさんのお酒を飲むので、少しいいお酒を飲むと、1人で会計が数万円になってしまうこともザラにあります。 かといって飲み放題のお店に行くと、安かろう悪かろうなお酒が出てくるケースが多く、悩んでいたんですよね。
―そこで思いついたのが、「原価BAR」の構想だったんですね。
柳谷さん そうですね。 2007年頃から自分でお店を持ちたいと思いはじめて、現場に立ってくれる相棒を探していました。 その後、通っていたバーのマスターと意気投合して、彼を代表として株式会社ハイテンションを起業。 バーのマスターと合同出資(一部銀行から借入)という形で、「原価BAR」1号店を五反田にオープンさせました。
(原価BAR・五反田店) ―なぜ相棒が必要だったのですか?
柳谷さん 僕はお酒は好きですし、お店も持ちたいと思っていましたが、自分がマスターとして現場に立つことは考えていなかったんです。 ライターの仕事は今後も続けていこうと考えていたので。 起業とともにお世話になっていた会社を退職し、フリーライターと「原価BAR」の経営者、2足のわらじを履き始めました。
―「原価BAR」のビジネスモデルについて教えてください。
柳谷さん 先程お話した通り「質がよくておいしいお酒を、安価で飲めるお店」を作ることをコンセプトとしていました。 酒の質だけを求めるとどうしても高価になってしまいますし、安価だけを求めると酒の質を下げる、ないしは卸業者に無理な交渉をせざるを得ません。 そこで思いついたのが、入場料制というシステムです。
―入場料制とは?
柳谷さん 入店する段階でお客さまからお金をいただき(1,600円〜)、お酒やフードは全て原価で提供する、という仕組みです。 このシステムを使うと、お酒は原価のみお支払いいただくので比較的安価で飲めますし、入場料でお金をいただいているので、場所代や人件費もきちんと回収できるというわけです。 お客さまもお店も卸業者も、3方良しのビジネスモデルと言えます。
―1号店を出店してから、業績はいかがでしょうか?
柳谷さん 五反田店は開店後、すぐに大行列となり人気を博しました。 その後すぐにその上のフロアも借りて、五反田2号店をオープン。その翌年に赤坂、銀座、ウランバートルと、着実に店舗を増やしています。

アウトプットに対する責任を持つこと。複業をする際に心がけるべきポイント

―先程柳谷さんは、ライターの仕事をされながら、「原価BAR」の経営の2足のわらじを履かれているとおっしゃいました。どのように両立されているのでしょう?
柳谷さん ライターの仕事の比率が多く、「原価BAR」の事業は、現代表と現場のスタッフたちが回しているので、今はあえて深くコミットしていません。 もちろん、「原価BAR」を立ち上げる時はかなり時間も労力も費やしましたし、今でも経営には参画していますが。 「質がよくておいしいお酒を、安価で飲めるお店」を作ることは僕の悲願だったので、今後は店舗数を少しずつでも増やして、成長させていきたいですね。
―ほかにも事業を起こされているとお聞きしましたが…?
柳谷さん はい。ほかには大きく3つの事業を起こしています。 1つ目は、海底で熟成したウイスキーの制作・販売事業。 ウイスキーを海底で熟成させると、よりおいしくなるんですよ。その製造は前から行っていたので、それを流通させる事業を行っています。 2つ目は、ITライターとして培ってきたの知見を活かして、IT企業を起業しました。 内容は、ITに関するリテラシーが低い人へ向けた、ゲームを応用したEラーニングを作る事業です。「原価BAR」などの飲食店で働くスタッフへの社員教育に、利用しています。 3つ目は、デジタルリテラシーの低い高齢者を狙った犯罪を防ぐための活動を、NPO法人として立ち上げています。 いずれも「ITライター」としてのスキルや「お酒」といった趣味がこうじて、始めたものばかりですね。
―立ち上げるのは大変だったのではないですか?
柳谷さん それなりには大変でしたけど、起業に関しては1度「原価BAR」を作る際に会社を立ち上げていたので、手続きにそこまで手間取ることはありませんでした。 もちろん立ち上げ期から落ち着いてからも、ライターを中心とした別の仕事も並行して行っているので、限られた時間・リソースの中で仕事をするのは大変ですけどね。
―そこまで数多くの事業を回すためのモチベーションはどこにあるのでしょう?
柳谷さん 全ての事業が自分の得意な領域の仕事であり、何より好きだからだと思います。 複業として仕事を始めると、どうしてもどっちつかずになって言い訳をしてしまいがちになります。 「本業で稼げているから、2つ目(もしくはそれ以降)の複業では赤字を出さない程度に稼げていればいい」。そういった意識でいると、自然と時間にも成果にもこだわらなくなってしまう。
―だからこそ、得意な領域であり、好きな仕事を複業として選ぶべき、ということですね?
柳谷さん そうですね。 その複業を趣味としてではなく、事業として、ビジネスとして始めるなら、プロとして仕事をするべきだと思います。 お客さまからお金をいただいているのですから。 アウトプットに対する責任をきちんと果たしつつ、仕事を楽しむことができれば、2つと言わずに3つ4つと、複業できるようになると思います。
―これから複業(ないしは副業)を始めようとする方にとって、とても重要な心構えですね。最後に読者の方へ、メッセージはありますか?
柳谷さん きちんとお客さまからお金をいただくシステムを作れば、自分もしっかり仕事をしなきゃいけないなと背筋が伸びます。 中途半端に「儲からなくてもいいや」と思うのではなく、まずはきちんとお金を稼ぐという認識を持つことはとても大切だと思います。 そして、本業がある中で仕事を始めるなら、必然的に時間の制約が厳しくなります。 その制約の中で仕事をずっと続けていくためには、やはり自分の好きなことじゃないと続かないと思っています。 自分の得意な領域、好きな仕事をきちんとよく見定めて、複業に挑戦してみると良いのではないでしょうか。
脱サラして独立・起業をする際は、できるだけ息の長い職業を選びたいもの。 しかし、昨今ではAIやテクノロジーの発達で将来的に消滅する職業が予想されるなど、職の興亡はさらに激しくなることが予想される。 実は、このような職業の入れ替わりは、歴史上何度も繰り返されてきたことだった。 今回は、明治・大正・昭和の1300の職業と詳細を綴った「近代日本職業辞典(松田良一著・柏書房)」から今は存在しない職業を紹介し、現代でも活かせる仕事のアイデアを提供したい。 日用品を修理する「鋳掛屋(いかけや)」や、季節ものの商売「お宝売り(おたからうり)」など、時代とともになくなってはいるものの、そのビジネスの本質は現代の商売に通じるものがあった。 時代は変わっても商いは人が行うもの。本や映画の古典を今でも楽しめるように、人の本質はそうそう変わるものではない。過去に存在した職業とそのエッセンスから、独立・起業のヒントを得ることができるだろう。

【修理】 エコ志向の今だから流行るかも? 「鋳掛屋(いかけや)」

リサイクルやリユースが当たり前になった昨今、職業として再び成り立つのでは? と思わせるのが鋳掛屋。 この職業は江戸時代から大正時代にかけて、町を回り、穴の開いた鍋や釜などを修理して回った職人だ。 今でこそ100円ショップで鍋が買える時代だが、江戸時代から大正時代にかけて鍋や釜はひとつひとつ手で作られ、日常的に使う煮炊きの道具だったので値が張るものだった。 「月夜に釜を抜かれる(明るい月夜に泥棒に釜を盗まれる、転じてひどく油断する意味)」ということわざがあったくらいなので、中古品でも売れば高い値が付いたのだろう。 このように高価な鍋や釜はおいそれと買い換えるわけにもいかず、修理をしながら大切に使われた。 鋳掛屋は路上で修理を行いながら、修理用の“ふいご”や“コテ”を道具箱に入れ、家から家に歩いて回ったという。 現代では、日頃よく使うものを修理する職の代表格として、スマホ修理屋がある。 割れた画面や液晶の修理は、おそらく誰もが1度は依頼したことがあるのではないだろうか。 このほか、出張自転車修理屋では、お店が閉まった深夜でも電話1本で駆けつけてくれ、パンクしたチューブなどを修理してくれるところもあるそう。 日用品を売るのではなく、修理する仕事はいつの時代も必要とされるのだろう。

【財産保護】江戸時代の簡易倉庫職人「穴蔵屋(あなぐらや)」

「穴蔵屋」とは、穴掘りを仕事にする職業である。 穴掘りが仕事になる、と聞くと少し奇妙に思わないだろうか? しかし、江戸時代から明治時代にかけて、穴掘りが仕事になった時期があったのだ。 穴蔵屋が手がけたのは、穴蔵と呼ばれる地下倉庫。 これは商人が財産となる金銀を蓄えるために作られた簡易倉庫で、火事に強く、蔵を建てるよりも安く建てられたため、商人を中心に一定の需要があったという。 なぜこの職業に需要があったのかというと、江戸に火事が頻発したからだ。 「火事と喧嘩は江戸の華」と言われたように、建物が密集し、乾燥した気候の江戸では、大火事がよく起こった。 江戸時代には合計100あまりの大火が起き、2〜3年に一度、町を焼き尽くすような大火事が起きたという。 このように、自らの財産を守る商品はいつの時代でも高い需要がある。 東日本大震災以降、災害に対する自衛に注目が集まっている。 非常時に使う防災用品の販売や安否の確認サービスは多くの人が必要とするものではないだろうか。

【人材紹介】江戸時代の職業案内所「請宿(うけやど)」

現代では職を求める際に、求人サイトや転職エージェントなど様々な窓口が選べるが、明治から昭和にかけて人々はどのように就職先を求めていたのだろうか? その窓口となっていたのが請宿だ。今でいうところの、職業案内所に近いと言っていいだろう。 請宿は、商家や武家の奉公人や下男・下女(雇い先に住み込みで働く男性や女性)などの仕事を、人々に紹介していた。 知り合いの口利きで仕事にありつくことも多かった当時は、このような職業案内所は重宝され、様々な人が請宿の敷居をまたいだという。 現代では公共の職安をはじめ、インターネットを見れば求職情報はよりどりみどり。 自分の余った時間を切り売りできるネットサービスも登場しているので、仕事に困ることは少ない。 仕事を求める人は多くても、個人では少し行いづらい仕事かもしれない。

【季節イベント】季節限定の縁起物商人、「お宝売り(おたからうり)」

お守りや酉の市の熊手などが飛ぶように売れていく様子を見ると、古くから人は、ついつい縁起物を買ってしまうものだと感じてしまう。 お宝売りとは、江戸時代から明治期にかけて繁盛した商売で、正月2日の夕方頃に「お宝〜、お宝〜」と声をあげて宝船が描かれた絵を売り歩いていたそうだ。 正月の夢は初夢と言って、1年の運勢を占う機会になっていた。 初夢で縁起のいい夢が見られるようにと、人々はお宝売りから宝船の絵を買い、枕の下に敷いていたそうだ。 これらの絵は、商家がお得意さまに新年の挨拶代わりに配ることもあり、とても人気があったという。 季節ものということもあり、稼げる時期が限られているが、東京ではクリスマス限定で出張サンタ「東京サンタクル」というサービスが提供されている。 ハロウィンなら衣装の貸し出しサービスや出張おばけ、お正月ならレンタルの門松貸し出しサービスなど、アイデア次第で季節のイベントはビジネスチャンスになるだろう。

【自分だけが持ち得るスキル】活動写真時代に活躍した「映画弁士(えいがべんし)」

3D映画が当たり前のように見られるようになり、最近ではにおいや振動まで体験できる4Dも登場した映画だが、登場した当初は映像だけが流されていたことをご存じだろうか? 映画弁士は、「活動写真」と呼ばれた音声のない映画(映像)に、声や効果音をあてた仕事だ。 弁士は映画の登場人物のセリフだけでなく、筋書きの説明などもこなし、最盛期は複数の弁士がそれぞれの登場人物のセリフを受け持っていた。 映写技術の発達でこの仕事は激減したが、今でも弁士の技術を持つ人がいて、無声映画に声を当てるイベントなどで活躍しているという。 SNSが一般的になった現代において、特殊なスキルは注目されやすい。 最盛期の弁士ように、大きな需要はないかもしれないが、自ら固有のスキルを持っていれば珍しがられてイベントなどで活躍できるだろう。 自分だけのスキルは、どんどんアピールしていきたいところだ。

時代や職種が変わっても、商いの基本は同じ

仕事は日々の糧を得るだけでなく、それを通して地域や社会と繋がるためにある。 もしお金のなる木が手元にあって、金銭的に困らなくても、仕事がなければきっと毎日は退屈になってしまうに違いない。 ご紹介したように、今は存在しない仕事の中には「日用品を修理する」「防災意識に働きかける」「季節のイベントにまつわる品を売る」など、商いのエッセンスが詰まっていた。 時代が変わり職種がなくなっても、根本的なコツをつかめば現代に応用できることも多い。 独立・起業を考える上で役立つのではないだろうか。 とはいえ、好きな仕事はなるべく長く続けたい。成功例や失敗談など情報をできるだけ多く集めて、順風満帆な事業にしていきたいものだ。 文:鈴木雅矩
仕事が片づかずにあれもこれも溜まってしまう…。 独立・起業を考えている方だけでなく、多くのビジネスパーソンが抱えている悩みだと思います。 今回、心理学者の内藤先生に伺ったのは、仕事を「すぐやる」ようにするためのメソッドです。 人はなぜ「すぐやる」ことができないのか。そしてどうしたら「すぐやる」ようにできるのか。心理学の知見から解説いただきます。

アナタが「すぐやらない」理由は、怖いから? 「リスク認知」を乗り越えろ!

人が行動できない理由は「その行動に対して、リスクを感じている」から、だと言われています。 この現象を心理学では「リスク認知」と言います。この「リスク」という言葉を言い換えると、怖い、恐怖、不安といった感情のことになります。 ある行動に対して、そういった感情が根底にあると、人間はなかなか行動しづらいのです。 例えば「男性が女性に対して声をかける」という行動についてお話しましょう。 女性と話すことが苦手な人は「何か変なことを言ってしまわないか」「嫌われたらどうしよう」といろいろ考えてしまい、結果的に「女性に対して声をかける」という行動のハードルが高くなってしまいます。 一方で、そもそも女性と話すことが苦手ではなく、得意な人はそんなリスクは考えず(もしくは苦手な人と比べてリスクを感じづらく)、難なく「女性に対して声をかける」という行動を取ります。 今回のテーマである「すぐやる」人、つまり仕事を意欲的にこなそうとする人というのは、仕事に対する「リスク認知」が低い人であるということが、言えるのです。 自分が仕事に対してどれだけ「リスク」を感じているかで、自分がすぐにやれる人かどうかが分かるでしょう。

魅力的なリーダーは、「リスク認知」を感じていない

ここで1つ、データをお話しましょう。 カリフォルニア州立大学のケビン・グローブスは、64の企業の108人のリーダー(もしくはマネジャー)と、そのリーダーの直属の部下325人を対象に、2つの調査を行いました。 1つは、直属の部下たちに、自分のリーダーは「カリスマ的であるか」「仕事に対して意欲的に挑戦しているか」といった質問の回答を得点化し、数値化しました。 一方、リーダーたちに対しては、仕事における「リスク認知」をどれだけ感じているか、新規のプロジェクトや案件に対して、どれくらいの「リスク認知」をするのかといった質問の回答を得点化し、数値化しました。 この2つの調査で出た得点には相関が見られ、すなわち「リスク認知を感じていないリーダーほど、部下から魅力度が高いリーダーであった」という結果になりました。 本来「リーダーシップ」とは、チームを率いるという意味だけでなく、「率先して行動できる人」という意味もあります。 そういう意味でも、「リスク認知」が低く率先して行動できる人が魅力的なリーダーであると言う結論は、納得できます。

新しいことに挑戦して、「リスク認知」を低下させる!

ここまでお話してきたように、「すぐやる人」になるためには、仕事に対する「リスク認知」を低くする、必要があります。 ではどうしたら「リスク認知」を減らせるのでしょうか? 人間は、自分にとって経験のない、初めての出来事に対して特に「リスク認知」を感じやすいと言われています。 だからこそ仕事以外で、自分が挑戦したことのないことを見つけて、1つずつ挑戦してみる、というやり方をおすすめします。 仕事と直接関係のない、遊びや習い事でも「新しいことに挑戦する」という経験こそが、大切なのです。 これまでバンジージャンプを飛んだことがないなら、バンジージャンプでもいいですし、新しい外国語の勉強でも、何でも構いません。 その経験が多ければ多いほど、自分の中で新しい出来事に対する「リスク認知」が下がっていきます。 ここで留意していただきたいのは、肝心なのは「挑戦する」ことであって「上手くやる」必要はない、ということです。 上手くやろうとすると、多かれ少なかれ理想と現実の間のギャップに苦しむことになり、結果的にせっかく挑戦しても、途中で辞めてしまったり、モチベーションが下がることになりかねません。 「新しいことに挑戦する」。そしてその挑戦を楽しむ、という習慣が仕事における「リスク認知」の低下につながるのではないかと、私は思います。 新学期、新年度がスタートする、この4月。「すぐやる」を身につけるためにも、新しいことに挑戦しては、いかがですか?
【独立に役立つ心理学シリーズ:バックナンバーはコチラから!】 ・人を操り、動かす。独立後に役立つ「人たらし」のブラック心理術 https://entrenet.jp/magazine/10218/ ・自分をより知的に見せる!心理学者・内藤誼人が教える2つのポイント https://entrenet.jp/magazine/10648/ ・”横綱相撲”は絶対取るな! 心理学者・内藤誼人が教える「勝てる交渉術」 https://entrenet.jp/magazine/10925/ ・エンマ様にも舌を抜かせない! 人を喜ばせる「上手な嘘」のつき方 https://entrenet.jp/magazine/11329/ ・※ただしイケメンに限らない! 自分を魅力的に見せる、3つの「モテ力」【独立に役立つ心理学・第5弾】 https://entrenet.jp/magazine/11940/ ・経営者はギャンブルが上手? 独立して稼げる人と稼げない人の違い【独立に役立つ心理学・第6弾】 https://entrenet.jp/magazine/12383/ ・こちらのペースに引きずり込め!商談を成功させる「雑談と交渉」【独立に役立つ心理学・第7弾】 https://entrenet.jp/magazine/12569/ ・麻雀で経営を学んだ? 有名経営者から学ぶ勝負の仕方【独立に役立つ心理学・第8弾】 https://entrenet.jp/magazine/12957/
プロフィール:内藤誼人(ないとう よしひと) 心理学者。慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程修了。 大学院在学中より専門の心理学を活かした執筆活動を開始し、卒業後に有限会社アンギルドを設立。 ビジネス心理学を実践的に応用するアドバイスには定評がある。 新刊に、「心の闇」をパワーに変える心理術(すばる舎) 「人前で緊張しない人はウラで「ズルいこと」やっていた」(大和書房)など。 講演会・セミナーの依頼は、システムブレーンまで。 システムブレーン(講演・セミナー情報問い合わせ先) http://www.sbrain.co.jp/
日本の伝統的な文化である、日本舞踊。 古くからある「舞」や「踊り」を合わせたものであり、近年では国際化に伴い、諸外国で「Nihonbuyo」とも呼ばれています。 今回お話を伺ったのは、花ノ本以津輝(はなのもと・いづき)さん。 花ノ本さんは、日本舞踊を教える「花ノ本流」の師範でありながら、日本舞踊や殺陣(たて)といった表現者を擁する和洋折衷バンド「破天航路(はてんこうろ)」のメンバーとしても活躍されています。 そして、よりバンドに力を入れるために、2017年10月に起業。株式会社WISTERIENCEの取締役としてもキャリアをスタートさせました。 日本舞踊家であった花ノ本さんは、なぜ「破天航路」を結成し、起業に至ったのか。 そこには「日本の文化の素晴らしさをもっと身近にしたい」という熱い想いがありました。
<プロフィール> 花ノ本 以津輝(はなのもと・いづき) (表紙写真・1番左) 日本舞踊 花ノ本流師範/公益社団法人 日本舞踊協会会員 株式会社WISTERIENCE取締役・「破天航路」日本舞踊担当 2歳より伯母である師匠の元で日本舞踊を始め、4歳で初舞台を踏む。 幼少よりピアノ・電子オルガン・太鼓・篠笛・三線などの楽器、 声楽、ジャズダンス等を学びながら育ち17歳で花ノ本流師範となる。 桐朋芸術短大芸術科演劇専攻ミュージカルクラスに入学し、様々なジャンルの音楽や演劇・ダンスの基礎を学び、市川亀治郎丈(現・猿之助丈)主催、2010年 第8回亀治郎の会「上州土産百両首」にて女優デビュー。 現在、日本舞踊家として国立劇場等で行われる舞台に出演、またTVやワークショップなどで指導にあたる他、日本の伝統文化を国内外に発信するため、様々なジャンルの音楽や表現とのコラボレーションを積極的に行っている。 2016年には、ギター×バイオリン×日本舞踊×殺陣×ダンスといったメンバーを擁するバンド「破天航路」を立ち上げ、国内外問わず活動を展開。 2017年7月にはフランス・パリで行われた「JAPAN EXPO in Paris 2017」に於いてスタンディングオベーションの大喝采を浴びる。

「やる人」も「見る人」も減っている日本舞踊をなんとかしたい。和洋折衷バンド「破天航路」が結成されるまで

―日本舞踊家である以津輝さん。以津輝さんのキャリアから教えてください。
以津輝さん 私は幼い頃より日本舞踊に触れて育ってきました。 「花ノ本流幹部師範」である伯母・寿以知のもとで2歳から稽古を始め、4歳の時には初めて舞台に立ちました。 その後、日本舞踊をやりながらも演劇や歌など、自分が興味を持ったことは一通り経験してきました。 そして高校生の時に、蜷川幸雄さん演出の、シェイクスピア作品を歌舞伎にアレンジした舞台に衝撃を覚えたんです。
―どういったところに衝撃を覚えたのですか?
以津輝さん とにかく自由だったんです。 舞台全面を鏡張りにするなど、歌舞伎を初めて見る方も惹きつける演出と分かりやすさ、そしてきちんと歌舞伎の要素もある。 日本舞踊や歌舞伎など、なじみのない方からすると「分かりにくさ」というのはとても大きな壁なんです。 そこに漠然とした課題を感じていた時に、その舞台を見たのでとても驚きました。 そして、日本の伝統文化もやり方次第で、まだまだ新しいファンを獲得するチャンスがあるな、と思ったんです。
―やはり日本舞踊や歌舞伎の世界において、新規ファンの獲得は難しいのでしょうか?
以津輝さん そうですね…。 伝統芸能を教える人も教わりたい人も徐々に減っているので「やる側」の人が少なくなっている上に、先程お話した「分かりにくさ」に加え、「敷居の高さ」も相まって「見る側」の人も少なくなっています。 私は日本舞踊だけでなく、いろいろなものを経験してきましたが、やはり日本舞踊にルーツがあるので、この現状をなんとかしたい、といつしか思うようになったのです。
―その問いの答えとして行きついたのが「破天航路」だったのですね?
以津輝さん そうなります。 以前「レディー・ガガ」の曲のダンスを、日本舞踊でアレンジして踊ったことがあり、その時に周りの人から称賛されたことがありました。 そこで、今風の音楽に日本舞踊などといった要素を融合させれば、敷居の高さを感じさせず、もっと身近に年齢層の幅も広いお客さまたちに、受け入れてもらえるのでは? と思ったんです。 そんなことを自分の知り合いに話していたら、私と同じように「日本の文化をもっといろんな人に知ってほしい」と思っている方を何人か紹介され、志が同じ仲間が、9人揃いました。 そして、バンド×日本舞踊・殺陣・ダンスといった異色の和洋折衷バンド「破天航路」が自然に結成されたのです。

一過性ではなく継続して「和文化の良さ」を広めるために選んだ、起業という選択肢

―「破天航路」について教えてください。
以津輝さん 「破天航路」は、ギター・ベース・ドラム・バイオリンといった洋楽器を担当するメンバーと、日本舞踊や殺陣、ダンスといった動きを担当するメンバーとで成り立っているバンドです。 「和文化を正しく踏襲した上で新しいモノを創る」というコンセプトのもと、メタルといった斬新な切り口で、古典的な『和』を表現しています。 ダンス、日本舞踊、殺陣パフォーマンスを演奏中に繰り広げるので、聞いても楽しい、見ても楽しい舞台となっています。
―なぜ「バンド」という形式をとったのでしょう?
以津輝さん バンドって、解散しない限りはずっと続いていきますよね。 私たちは、継続的に「日本の文化の良さを発信していきたい」と思っています。一過性のものではなく、常にメッセージを発信していきたい。 そのためにはコンスタントにステージに立っていなければなりません。 バンドという形であれば、自分たちのワンマンライブだけでなく、イベントへの出演がしやすいですし、なによりバンドとしての成長を見守っていただきやすい。 だから、バンドという形を取りました。
―そして、昨年10月に株式会社WISTERIENCEを発足し、以津輝さんは取締役に就任されました。会社を立ち上げた理由を教えてください。
以津輝さん 「破天航路」のライブを行う会場が大きくなったり、海外での活動が増えるにあたって、関わる人が増えていきます。 バンドのミッションを支える意味でも、しっかりとした地盤を作るために、会社を立ち上げた方が良いのではないかと考え、起業を決意しました。
―どのような事業をされているのですか?
以津輝さん 株式会社WISTERIENCEでは目下、「破天航路」のグッズやWeb・SNSの運営、ツアーの会場などを管理する制作会社として運営しています。 また、日本舞踊における所作、着付けの指導やワークショップの開催、舞台音楽の制作やアーティストのサポートも行っております。
―以津輝さんをはじめ「破天航路」で活躍する皆さんのスキルを活かした事業なんですね。
以津輝さん はい。日本舞踊家の私だけでなく、メンバーはダンス、殺陣、楽器など、その道プロフェッショナル達です。 それぞれの仕事や活躍が「破天航路」の幅を広げることにも、つながればいいなと思っています。

JAPAN EXPOでは1,000人の観衆がスタンディングオベーション! 娯楽の未来をつくるために

―「破天航路」としての、最近の活動を教えてください。
以津輝さん 昨年フランスで行われた「JAPAN EXPO」(http://www.japan-expo-france.jp/jp/)では、ありがたいことに1,000人を超える観客の皆さまに、スタンディングオベーションをしていただきました。
―それはすごいですね…! ライブを見てくださった、フランスのお客さまはそれだけ「破天航路」のパフォーマンスに圧倒された、ということですね。
以津輝さん そうだと嬉しいですね(笑)。 でも見に来てくれたお客さまとお話させていただいた時に、和文化が好きな海外の人はやはり「目が肥えていらっしゃるな」と思いました。 だからこそ、こちらもより上質なパフォーマンスをしないといけないなと、身が引き締まる思いでした。
―海外でも圧倒的な人気を誇る「破天航路」ですが、国内でのライブにも力を入れているとお聞きしました。
以津輝さん はい。 国内外問わず、和文化の良さを伝えるというのが、私たちのミッションなので、もちろん国内でも積極的にライブを敢行していきます。
直近のライブはコチラから! 破天航路 単独公演 2018 牛若 -USHIWAKA- 2018.4.3.(THU.) OPEN 18:30 / START 19:30 浅草六区ゆめまち劇場 https://hatenkohro.wordpress.com/
―今後の展望をお聞かせください。
以津輝さん 伝統的な日本文化に特化した大型フェス、「和文化フェス」の開催を目指しています。 能狂言・歌舞伎・文楽・日本舞踊といった純古典から、「破天航路」のような和洋折衷で和文化を体現する新進気鋭のアーティストなどを一同に集結させ、和文化をエンターテインメントとして、お客さまと一緒に楽しむ。 そんなイベントを作りたいなと思っています。 そしてそうした活動を通して、もっと和文化への敷居を低くして、和文化を楽しんでくださいる人を増やしていきたいですね。 私たちがきっかけで、日本舞踊や歌舞伎といった和文化が、皆さんにとっての「娯楽」の1つになっていただければ幸いです。
大手の会社に勤めたあと、家業を継ぐという方も多いでしょう。 今回お話しを伺った経営者専門のスーツ仕立屋を経営する末廣徳司さんも大手アパレルブランドでの仕事を経て、家業の婦人服店を継いだキャリアをお持ちです。 ですが、その後、家業の社長業を引退し、独立の道を選びます。経営者が副業として見つけた新しい道です。その過程を伺いました。 (さらに…)
資本主義経済を基盤とする、現代社会。 個人や企業が利潤を追求し、様々な財やサービスを生み出す。まるで弱肉強食と言わんばかりに、淘汰されていく世界です。 そんな競争原理の価値観が支配する世界からの脱却を考え、始まったのが「ヒッピー文化」だと言われています。 今回お話を伺ったのは、鯉谷ヨシヒロさん。鯉谷さんは、23歳からヒッピーとして世界各地を転々としているそうです。 なぜ鯉谷さんはヒッピーになったのか。どうやって生活をして、普段どんなことをしているのかを、伺いました。
<プロフィール> 鯉谷ヨシヒロさん ヒッピー/株式会社REVorg代表 大学を卒業後、23歳からヒッピーとして世界中で旅を始める。 現在はヒッピーとして世界中を旅しつつも、「株式会社REVorg」の代表として、Coビレッジに住む体験を扱うサービス『NuMundo』の運営、及び世界的なイベント「コズミックコンバージェンス」の立ち上げを行っている。 ヒッピー(英: Hippie)は、伝統・制度などの既成の価値観に縛られた人間生活を否定することを信条とし、また、文明以前の自然で野生生活への回帰を提唱する人々の総称。 出典:Wikipediaより https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC

常識とは、18歳までに身につけた「偏見」である―。鯉谷ヨシヒロさんが、23歳でヒッピーになったワケ

ー鯉谷さんがヒッピーになった理由を教えてください。
鯉谷さん きっかけは、大学生の時でした。 大学3年生になると僕の周りにいた友人はみんな「ミュージシャンになりたい」とか「絵かきになりたい」とか、それぞれの夢を語っていた割に、就活の時期になったら、スーツを着て面接を受けに行っていて。 それがどうしても嫌だったんですよね。自分のやりたいことを我慢できなかった、というか。 そんなことを考えていた時に、ロバート・ハリスという作家が書いた『エグザイルス』という本に出合いました。 『エグザイルス』には、世界中を放浪した著者の、まるでフィクションのような体験談が描かれていました。 その内容に衝撃を受け、彼のように様々な世界を見てみたいと、思うようになったんです。そして、大学を卒業したら旅に出ることを決意しました。
ーいわゆる、バックパッカーとして旅に出る、ということでしょうか?
鯉谷さん よく間違えられるんですが、ヒッピーとバックパッカーはその性質が全く異なります。 バックパッカーは、いろんな世界を見たいと思って旅に出て、その後は自国に帰ってくる。すなわち「行って帰ってくる」人のことを指します。 そういう人たちはお金を貯めて海外へ行って、安宿に泊まって観光地などを周ります。 それに対してヒッピーとは、「行きっぱなし、旅に出っぱなし」なんです。旅に目的を求めるのではなく、旅そのものが日常であり、人生なんです。 だからお金も基本的には必要ない。安宿に泊まるのではなく、現地の人と仲良くなってその人の家に泊めてもらう。
ーなるほど。ヒッピーになる方は、鯉谷さんのようにどなたかに憧れて、ヒッピーになられるのでしょうか?
鯉谷さん 人によりけりですが、「資本主義経済による競争社会に疲れて、ヒッピーになった」という人が多いですね。 日本でもそうですが、僕たちは小さい頃から「競争に勝つ」ように教育されてきました。 今でもまだ根強く残っている、こどもの受験競争。どこの大学に入って、どんな企業に入るか…。 この競争社会で生き残っていくためには、他者よりも優位に立つためにひたすら努力し続けなければなりません。
ーそういった世界に辟易した人たちが、競争ではなく自由を求めて、ヒッピーになると。
鯉谷さん そういうことですね。 「常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである」と、アインシュタインも言っている通り、これはあくまで「資本主義経済の中での」価値観でしかありません。 そんな多様な価値観に触れるために、大学を卒業して旅に出たんです。

競争が苦手な人が、無理にその価値観に染まる必要はない

ーヒッピーとは、普段どのように生活しているのですか?
鯉谷さん 先程もお話した通り、世界中を旅しながら生活しています。 行く先々の現地の人の宿に泊めてもらったり、同じヒッピー同士で助け合ったりしています。 ヒッピーには、まるでFacebookのような口コミのコミュニティがあるんです。世界中の、数百万人という数のヒッピーは「全員仲間であり、家族である」という共通認識があります。 いわば、1つの宗教・思想に近いかもしれません。
ーなぜ、そういった共通認識があるのでしょうか?
鯉谷さん それは、彼らが「資本主義経済から逃れて、生きていくための1つの術」として、「全員仲間であり、家族である」という思想を40年以上前に確立し、それが今まで脈々と受け継がれているからです。 普段は都会で働いている方からすると、少し想像するのが難しいかもしれませんが、この日本にも「全員仲間であり、家族である」という価値観に近いものもあります。
ー日本にも、ですか?
鯉谷さん はい。それは都会ではなく、田舎にあります。「おすそ分け」という言葉がある通り、よく田舎に住んでるおじいちゃんやおばあちゃんが、野菜や食べ物をくれたりとかしますよね? そこにお金は介在しません。コミュニティとは本来、お金のやり取りではなく、お互いを助け合っていくものなんです。 ヒッピーの世界でも、日々同じことが行われているんです。数百万人もの超巨大コミュニティの中で「全員が家族だ」という思想のもと、たとえ初めて会うヒッピーでも助け合います。 だから泊まる場所を手配する必要もなければ、ご飯も誰かが食べさせてくれる。その代わり、自分が何か手伝えることは率先して手伝い、助け合う。
ーその助け合いの精神は、全世界のヒッピーの共通認識なのでしょうか?
鯉谷さん そもそも「全世界のヒッピー」という捉え方が間違っています(笑)。 ヒッピーに国境はありません。もちろん生まれ育った国はそれぞれですが、「今いる国が自分の国だ」という認識を持っています。いわゆるワールドシチズン(世界人の意)ですね。 四方を海で囲まれた島国だからか、日本では特に、国境の壁が高いですね。 僕は海外で、日本人のことを「人口の多い“少数民族”」だとよく説明しています。 これは人口は1億人以上いるにも関わらず、単一民族なので日本人は日本人とばかり一緒にいるし、日本語しか話さない。 ひいては価値観の種類が少ない、ということです。
ーそして、日本人は「資本主義経済」の考え方に囚われすぎである、と?
鯉谷さん そう感じる場面は多いです。 もちろん資本主義経済の価値観が自分に合っている、という方もたくさんいらっしゃるでしょうし、資本主義経済の全てが悪いわけではありません。 しかし、競争が不得意である人が、無理にその価値観に染まる必要はないと思っています。 僕は長年のヒッピー生活で、世界には資本主義経済だけでない、もっと多様な価値観があることを知りました。 だからこそ今、僕はそんな価値観を広めるための活動を世界各国で行っているんです。

満員電車に揺られることだけが、人生ではない。ヒッピーでの体験から、立ち上げた事業

ー鯉谷さんの現在の活動について、教えてください。
鯉谷さん ヒッピーとして世界各国を周る傍ら、「生きる本質をデザインする」をコンセプトに、「株式会社REVorg」(http://revorg.co/)という会社をやっています。 「資本主義経済で生きていくことだけが、人生ではない。あらゆる選択肢を知ってほしい」という想いで始めました。
ーどんなサービスを展開しているのでしょう?
鯉谷さん 「エコビレッジ」(住む人同士が支え合い、環境に負荷の少ない暮らしを追い求めるコミュニティ)や「パーマカルチャーセンター」(永続的な農業をもとに、人と自然が共生できる環境を作る場)にある生活共同体を「Coビレッジ」と呼びます。 その「Coビレッジ」を探して、実際に住む体験ができるプラットフォーム『NuMundo』(https://numundo.org/centers?lang=ja®ion=japan)を運営しています。 新しい生き方を実践しているコミュニティに、直接足を運ぶことができるサービスです。 いわば「エアビーアンドビー」(宿泊施設・民宿を貸し出す人向けのサービス)の、エコビレッジ版、みたいな感じです。
ー日本にいながらまるでヒッピーのような、資本主義経済から離れた暮らしを体験できる、ということですね。
鯉谷さん はい。 その体験を通して「こんな暮らしをしても、生活していけるんだ」ということを、実際に肌で感じて欲しいんですよね。 満員電車に揺られて、分刻みのスケジュールで動くことだけが、人生ではない。 あらゆる選択肢を知った上で、自分に合った人生を送ってほしいなと思っています。
ー他には何かなされているのですか?
鯉谷さん あとはイベントを立ち上げたりしています。
鯉谷さん 「コズミックコンバージェンス」 (https://www.jp.cosmicconvergencefestival.org/) といういわばフェスに近いものをグアテマラで開催しています。 しかし、ただのフェスではありません。 音楽・アート・ワークショップ・ヒーリング・ライブパフォーマンスなどを楽しむだけでなく、その後にマヤ族の儀式も体験できます。 主体団体は「REVorg」だけでなく、ビジネスの最先端、シリコンバレーのスタートアップたちなので、世界各国からハイセンスな人たちが集まります。 人数はおよそ数千人規模。かなりオルタナティブなイベントなので、参加した多くの人が衝撃を受けて涙も流している人も多いですね。 こちらのイベントの立ち上げ、および公式オーガナイザーとして、日本からの参加者を募っています。
ー最後に、鯉谷さんから「雇われない生き方」を実践してみたいという人に対して、アドバイスをいただけますか?
鯉谷さん 今いる環境ではないところに飛び出してみると、世界が広がります。 例えば『NuMundo』のようなサービスを利用して、知らない街のエコビレッジに泊まってみたり、思い切って長期休暇を取って海外へ行ってみるとか。 もちろん、全ての人がヒッピーになる必要はないとは思いますが(笑)、世界は「雇われる」か「雇われないか」という二者択一だけではありません。 何度もお伝えしている通り、あくまでそれは資本主義経済の中、都会の中の話でしかないんです。 だからこそ「どう生きるか」を軸に、転職でも独立でも、自分の思うようにもっと気軽にやってしまっていいと思っています。 「雇われない生き方」や「自由な生き方」を実践したいなら、まずは1歩外に出てみると、全く違った景色が見えてくるかもしれません。
心理学者・内藤誼人先生に、心理学の観点から、独立・起業に役立つ知識やノウハウを学ぶ、アントレnet Magazineの人気企画「独立に役立つ心理学シリーズ」。 今回は内藤先生に、昨年11月、元SMAPの3人が出演し、インターネット上でとても大きな話題となった「72時間ホンネテレビ」の仕掛け人、株式会社サイバーエージェント社長・藤田晋さんのビジネスの仕方について、心理学的観点から解説していただきます。 インターネット黎明期からその大きな可能性を見据え、わずか20年で国内4位の広告会社へと成長を遂げた、株式会社サイバーエージェント。 その舵を取る藤田さんの魅力を、内藤先生の視点で、紐解いていきます。

ビジネスで勝ちたいなら、「セルフスターター」になれ!

藤田さんは、インターネットの黎明期からその大きな可能性を見据えて事業を展開されてきました。 ビジネスにおいて、後発で事業を始めて「勝てる」というのは、非常に稀だと言われています。ビジネスで勝つためには後発ではなく、先発にならなければなりません。 他の人の後を追従するのではなく「自分でスタートを切れる」、という意味から、先発のことを心理学では「セルフスターター」と呼びます。 ドイツのコブランツ・ランダウ大学のガンター・ミュラーという心理学者が行った研究では、独立・起業をして成功している人は「リスクを大きく捉えていない」「反射神経よく、自分で物事を始めることができる」という、共通の特徴があることが分かりました。 「藤田さんには先見の明があった」とよく言われていますが、先見の明があるだけではビジネスにおいて成功はできません。 大切なのは「こういうビジネス(藤田さんの場合は、インターネット)が来るんだろうな」と思った時に、反射神経よくスタートできるかどうか、行動を起こせるかどうかということです。 気づいていてもリスクに怯えて動けなかったら、チャンスを失い成功をつかむこともできないのです。

ギャンブルから学ぶ、勝負に出るべきタイミング

ではなぜ藤田さんは、ミュラー博士の言う「リスクを大きく捉えず」行動することができたのでしょうか? もちろんインターネットに関して相当な研究をして、準備したというところもあるのでしょうが、私が注目したいのは、彼の趣味です。 実は藤田さん、大の麻雀好きとして知られています。 AbemaTVで放送されている麻雀番組に自らプレイヤーとして参戦し「ビジネスで大切なことは、麻雀から教わった」と言うほど、麻雀がお好きです。 このギャンブラーとしての素養が、起業家としての成功を支えたのではないかと、私は思っています。 人間は、本能的に保守的な性質があると言われています。要するに「守り」に入ってしまう、ということですね。 その保守的な性質を乗り越えて行動を起こすためには、リスクを「リスクとしてだけ(すなわち良くないモノ)」認識するのではなく「リスクとどう向き合うのか」を冷静に捉えられるかどうかが大切です。 藤田さんのような経営者に限らず、勝負の世界に身を置く人は、ギャンブルを嗜む人が多いです。 勝負に出て、勝てる時はどんどん挑戦し、負けてる時は潔く引き下がる。「勝負の世界に慣れる」ための手頃な手段として、自分の中で麻雀を意味づけているのではないでしょうか?

ビジネスの鉄則は「勝てる時はどんどん挑戦し、負けている時は潔く引き下がる」こと

「勝負に出て、勝てる時にはどんどん挑戦し、負けている時には潔く引き下がる」という思想は、株式会社サイバーエージェントの制度にも色濃く出ています。 この会社の大きな特徴として「優秀な社員にグループ会社を積極的に設立させる」というものがあります。 なので「新卒1年目の社員が社内ビジネスコンテストで賞を取り、グループ会社の社長を務める」といった話もあるそうです。 こちらの制度も、様々な意図があると思いますが「とにかく社員にたくさんの勝負をさせたい、場数を踏ませたい」という藤田さんの意志を強く感じます。 セルフスタートを切れる人材を多く育てることで、仮に事業が失敗しても、その反省を活かして次のチャンスを掴みに行ける土壌を作っているのでしょう。 また藤田さんは、社員にグループ会社の社長を積極的に任せる一方で、上手く行かない時の撤退に関しても早いそうです。 これも麻雀の「負けている時は潔く引き下がる」にあるように、勝負を下りるタイミングも早ければ早いほうがいい、という経験があるからではないでしょうか。 積極的に抜擢人事をして、社員のモチベーションを高める一方、きっちりとリスクヘッジをする、藤田さんの経営スタイルが垣間見える制度だと思います。 藤田さんに限らず、セルフスタートの切り方、勝負の出方、そして引き下がり方など、成功者から学べるポイントはたくさんありますので、独立・起業を目指す皆さんもぜひ意識してみてください。
【独立に役立つ心理学シリーズ:バックナンバーはコチラから!】 ・人を操り、動かす。独立後に役立つ「人たらし」のブラック心理術 https://entrenet.jp/magazine/10218/ ・自分をより知的に見せる!心理学者・内藤誼人が教える2つのポイント https://entrenet.jp/magazine/10648/ ・”横綱相撲”は絶対取るな! 心理学者・内藤誼人が教える「勝てる交渉術」 https://entrenet.jp/magazine/10925/ ・エンマ様にも舌を抜かせない! 人を喜ばせる「上手な嘘」のつき方 https://entrenet.jp/magazine/11329/ ・※ただしイケメンに限らない! 自分を魅力的に見せる、3つの「モテ力」【独立に役立つ心理学・第5弾】 https://entrenet.jp/magazine/11940/ ・経営者はギャンブルが上手? 独立して稼げる人と稼げない人の違い【独立に役立つ心理学・第6弾】 https://entrenet.jp/magazine/12383/ ・こちらのペースに引きずり込め!商談を成功させる「雑談と交渉」【独立に役立つ心理学・第7弾】 https://entrenet.jp/magazine/12569/
プロフィール:内藤誼人(ないとう よしひと) 心理学者。慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程修了。 大学院在学中より専門の心理学を活かした執筆活動を開始し、卒業後に有限会社アンギルドを設立。 ビジネス心理学を実践的に応用するアドバイスには定評がある。 新刊に、「リーダーのための『貞観政要』超入門」(水王舎) 「人前で緊張しない人はウラで「ズルいこと」やっていた」(大和書房)など。 講演会・セミナーの依頼は、システムブレーンまで。 システムブレーン(講演・セミナー情報問い合わせ先) http://www.sbrain.co.jp/
独立・起業、と聞くと「リスクの高いもの」と考える方も多いのではないでしょうか? たしかに融資を受けて、大きなビジネスをこれから展開していく、と考えるとそのイメージはあながち間違ってはいないかもしれません。 ですが、それだけが独立・起業の形ではありません。 今回お話を伺ったのは、音楽専門のPRエージェンシー「Gerbera Music Agency(ガーベラ・ミュージック・エージェンシー」を経営している金野和磨さん。 金野さんは現在、自身の会社を経営しながら、株式会社インフォバーンの編集者としてもご活躍されています。 「現在は起業におけるリスクを、限りなく小さくできる」と語る、金野さん。音楽事業と、編集者という仕事を、どのように上手く両立させているのでしょうか?
<プロフィール> 金野和磨(こんのかずま)さん 1987年生まれ。宮城県気仙沼市出身。 新卒で入社した人材系会社で新規営業に3年従事した後、株式会社ワールドスケープでアーティスト支援サービス「Frekul」の営業・企画を担当。 その後、株式会社インフォバーンで編集者として働く傍ら、2014年にエージェント(ミュージシャンの代理人)として活動を開始。 そして2015年10月、ミュージシャンのブッキング(出演交渉)とPRを代行するGerbera Music Agency(ガーベラ・ミュージックエージェンシー)合同会社を設立。

営業力がある“だけ”では、音楽業界で生き残れない。「営業×マーケティング」の力で果たした独立

-現在に至るまでの経緯を教えてください。
金野さん 経歴だけをお話しすると、大学を卒業後に人材サービス会社で新規開拓営業を経験した後、音楽アーティスト支援サービス「Frekul(フリクル)」を運営する、株式会社ワールドスケープに転職し企画営業職として働きました。 その後株式会社インフォバーンへと転職して、編集の仕事を通じてデジタルマーケティングについて学び、現在は「Gerbera Music Agency(以下GMA)」という会社を立ち上げ、アーティストのPR支援を行っています。
-アーティストのPRを支援されているとのことでしたが、音楽業界にはもともと興味はあったのでしょうか?
金野さん はい。学生時代から音楽が好きで、本当は最初から音楽業界に入りたかったんですよ。 ですが就活の時に音楽業界の知り合いの方から、1社目のキャリアがレコード会社のような特殊な業界だと「潰しが利かず、他の業界に行きづらい」という話を聞きました。 ならばまず、どの業界に行っても通用するようなスキルを身につけてから、志望する業界に挑もうと思ったんです。
-なるほど。あえて他の業界で経験を積み、リスクマネジメントをしたわけですね。これまでにいくつかの会社でキャリアを積まれていらっしゃいますが、それぞれどのようなきっかけでご入社されたのでしょうか。
金野さん 最初に就いた人材サービスの職についてですが、こちらは先ほど申し上げたように「どこに行っても通用するような人間」になるために、まずはベンチャー気質で新卒にも仕事を任せてもらえる風土のある会社に入ろうと思ったからです。 そこで働いているときに、たまたま「Frekul」のサービス開発初期メンバーだった派遣スタッフの方と知り合いました。 「Frekul」とは、株式会社ワールドスケープが運営するアーティスト支援サービスです。 自分の楽曲をiTunesやSpotifyなどに配信できたり、ライブチケットの予約を取ってくれたりと、様々な側面からアーティストをフォローしてくれるサービスです。 アーティストの創作活動を支える仕事がやりたかったので、その方に「Frekul」を運営している株式会社ワールドスケープ代表の海保さんを紹介していただきました。
※株式会社ワールドスケープ代表・海保けんたろーさんのインタビューはこちらから! 収入よりもやりがいの”安定”を。「英雄になる」ために、ある男が選んだパラレルワークの道 https://entrenet.jp/magazine/7115/
金野さん その後は株式会社ワールドスケープに転職し、企画営業職として「Frekul」を広めるために、前職の経験を活かして営業活動を行っていました。 しかしそうして働いているうちに「このまま営業の力だけがついても、音楽業界そのものを支えられる立場にはなれないのではないか?」と考えるようになったんです。 今の時代、営業のノウハウを持っているだけではアーティストのプロモーションやPRをサポートできません。 なので、営業力の他に「どんなリスナーに、どんなタイミングで、どのように届けるのか」といったプランの全体像を考え、実施して結果を出せるだけのマーケティングの知識、PRの知識が必要だと考えました。 そこで日本のコンテンツマーケティングのパイオニア的存在である株式会社インフォバーンの門を叩き、編集者として働かせていただくことになりました。 編集者としてコンテンツを通じてどのようにクライアントの課題を解決していくか、株式会社インフォバーンで仕事をしつつ学んでいきました。 そこで得たノウハウをブログやSNS、YouTubeで発信し続けるうちに、あるバンドから「PRの相談に乗ってほしい」というお話をいただきました。 これが、GMAというアーティストのPR支援事業を立ち上げるきっかけです。 それから2015年の10月に会社を設立して、GMAの代表として、アーティストのPR支援をしています。 ただ、今後のGMAの活動を成功させていくためには、株式会社インフォバーンでさらに編集者としてのノウハウを蓄積させていく必要があると思ったんです。 なので現在はGMAの代表として会社を経営しつつ、株式会社インフォバーンで業務委託として働くという形で、パラレルワークを行なっています。

仕事の稼働率を制御せよ! パラレルワークを両立させる3つのスキル

出典:GMAより http://gerbera-music.agency/ -GMAの事業内容を詳しくお聞きしてもよろしいですか?
金野さん はい。 まず、音楽事務所やレーベルから「このアーティストをPRしてください」と依頼をいただくところから始まり、そこから依頼されたアーティストのPR、広告まわりのサポートをしていく、という流れになります。 もう少し具体的に話すと、そのアーティストが新譜を出したりツアーを発表したりする場合のニュースリリースの配信(国内・海外)やインタビュー、コラム、ライブレポートといったコンテンツを制作しています。 必要に応じてWebサイト制作やリニューアルも実施します。 さらに音楽番組や音楽フェスのブッキングも行い、リアルな場ではもちろん、マス・Webメディアでの露出を増やしていきます。 また、アーティストのミュージックビデオを制作してYouTube広告でそのアーティストと相性の良さそうなリスナーに配信したり、チケットの購買を促す目的で検索連動型広告を打ったり、TwitterやFacebookのSNS広告も請け負っています。
ーなるほど。本当にアーティストのPRにのみ、特化したサービスになっているんですね。GMAの事業はすべてお1人でやられているのですか?
金野さん 最初は個人事業主として活動を行っていたのですが、請け負うアーティストの数が多くなるにつれて、人手が足りなくなっていきました。 個人ではなかなか厳しいので、事業を法人化し、手伝ってくれるメンバーも増やしています。
ー金野さんは株式会社インフォバーンで編集者としても仕事をしていますよね? GMAの事業とはどれくらいの比率でやられているんですか?
金野さん 編集業務と音楽事業の割合は半々くらいですかね。 ただやはり、私にとって音楽事業は生涯続けていきたいと思っているものなので、音楽事業の質や領域を広めるために編集業務を行なっています。 なので今後は徐々に、GMAでの活動比率を高めていきたいですね。
ー2つの事業を同時に行うのは大変だと思いますが、どのように両立されているのでしょう?
金野さん 複数の事業を両立するという問題は、おそらくパラレルワークを実践されている全ての方にとって、悩みのタネだと思います。 どのように複数の仕事を両立しているのか、私なりの試行錯誤の末に行き着いた、仕事量が増えすぎてパンクしないための回避策についてお話します。 結論からお話しすると、自分に依頼が来た際に以下の3つを習慣づけることです。 ①詳細の把握:依頼を受ける前に、依頼の詳細内容を漏れなく把握し、その業務をやり切る力が自分にあるかを検証する。 ②レベル感の把握:依頼を受ける前に、依頼主から求められている成果物のレベルを把握する。 ③レベル感の握り:求められているレベルに対して、自分が出せる成果物のレベル感を依頼主に提示し、事前に理解しておいてもらう。 以上の3つです。 1つずつ詳しく説明していきましょう。 ①詳細の把握は、依頼された業務の詳細を漏れなく把握して、自分に受けられる依頼なのかどうかを正確に判断できるようにすることです。 フリーランスあるあるかもしれませんが、依頼主からザックリとした依頼が来ることも少なくないので、提出期限やボリューム、必要な知識やリソース、制約事項、ギャランティなど、その依頼を受けられるか判断できる材料を自分で集める習慣が必要だと思います。 以前、そのあたりをなぁなぁでやってしまい、「思っていたよりも大変な依頼だった!」と気付き後悔したことがあります。 ②レベル感の把握は例えば、「インタビュー記事の構成案をください」と依頼された場合、いきなり着手するのではなく、依頼主がどれくらいのレベル感の構成案が欲しいのか把握しておくことが大事ということです。 依頼主の要望が「概要を早く確認したいだけなのでメモレベルでもいいです」と、「上長にも構成案を見せたいので、その記事の詳細が明確にイメージできるレベルのものをください」では作成にかかる時間がだいぶ変わってきますので。 ③レベル感の握りは自分の得意・不得意を予め依頼主に理解しておいてもらうことです。 納品後に依頼主とトラブルになるリスクが軽減できます。 例えば依頼主に「詳しい構成案の作成は可能ですが、PowerPointなどで見栄えの良いものをつくるスキルはないのでWordで作成してもよいでしょうか」と条件の緩和が提案できると自分の負荷を軽減することができます。 パラレルワークでの仕事のタスク量が多すぎて、パンクする前に、この3つのポイントを心がけて仕事に臨むと、ある程度稼働量をコントロールすることが出来ると思います。

「ライフワーク」に活かせる「ライスワーク」を探そう! 金野さんが教える、パラレルワーク両立のコツ

ーここまでのお話を聞いていると、金野さんはいい意味であまりリスクを負わずに、自分のできる範囲で仕事をなされている印象を受けました。独立・起業というと「稼げるか」「稼げないか」という部分がある中で、非常に堅実に独立されているなと思います。
金野さん そうですね。今って、起業におけるリスクを限りなく小さくできる時代だと思います。 例えばGMAは株式会社ではなく、合同会社です。 なので起業する際の費用は10万円もかかってないんですよ。株式会社だと30万円以上はかかりますからね。 人件費においても、業務委託で収入を分配しているので、特に固定費もかかりません。 加えて、私たちは自分たちのスキルを提供してお金をもらっているので、原価も発生しないんです。 このように私の場合は、可能な限り起業におけるリスクを軽減しています。 逆にリスクを負って起業、例えば借金をして起業したりすると、倒産した時のリスクがそれだけ大きくなります。なにより私の場合は心理的重圧がかかると、精神衛生上良くないんです。 もちろん、大きくリスクを負って大きなリターンを求めることがダメ、というわけではありません。 ただ私は、急いで規模を拡大しなくてもいいからまずはこの仕事を継続していきたい。そう思ったからこそ、こういった生き方を選んでいるんです。
ー編集者と起業家である金野さんが感じる、パラレルワークを実践することの難しさ、楽しさを教えてください。
金野さん まず難しさについてお話しします。 私はライスワーク(生計を立てるための仕事)で得られる経験や知見を、ライフワーク(生涯続けていきたい仕事)にどれだけ応用できるか、というテーマを持ってパラレルワークをしています。 私は、ライスワークをWeb編集の仕事、ライフワークを音楽事業と位置づけています。 そして、編集業務で身に付けたノウハウを、どれだけ音楽事業に活かしていけるか、が私における「どれだけ応用できるか」に相当しますが、ライスワークから得た知見をライフワークに活かすのはなかなか難しいです。 たとえば、編集の仕事で身につけたSEO(検索エンジン最適化)の経験を活かして、検索に強く、かつクライアントアーティストの魅力が伝わるような記事を制作したとします。 そして目論見通り、その記事が狙ったキーワードの検索上位に表示されるようになり、たくさんの人に読まれたとします。 しかし、そのキーワードから流入してくる読者がそのアーティストと相性が悪く、結果としてあまりPRにつながらなかった…みたいな失敗を過去にしたことがあります。 つまり、編集の仕事から得た知見を「そのまま」音楽PRに活かすことって、ほとんどできないんです。
ーではどのように、編集の仕事を音楽事業に活かしているのでしょう?
金野さん 今お話した例で言うと、そのアーティストのことを好きになってくれそうなリスナーをもっと明確にイメージし、そのイメージから狙うべきキーワードを決めなければいけません。 試行錯誤を繰り返しつつ、必要な要素を抽象化し、応用力を身に着けていく必要があるのです。 逆に、ライスワークで得た経験・知見をライフワークに上手く活かせたときは、やっててよかったなと感じますね。 そこで起こせる価値は、異なる業界の仕事を二足のわらじで継続することでしか得られませんから。
ー 一見関係ない仕事でも、そこで得た知見が別の仕事でも活きる、ということですね。
金野さん はい、まさにその通りです。 片方の仕事で得たものをもう片方の仕事に活かし、実践して、失敗し、その教訓を元にさらなる質の高い経験・知見を得ようとする。 このサイクルの継続が、結果的にライフワークの成果につながるんだと、私は自分の経験から学びました。 好きな仕事に活かせるライスワークを見つけられると、パラレルワークを両立できる良い循環が生まれるのだと思います。
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大学2年生の頃、あなたはどんな日々を過ごしていましたか? 勉強・恋愛・サークル活動。あるいはすでに就職活動に向けて動き出していた人もいるかもしれません。 ですがあるサッカー青年は、“年齢”や“経験”という概念を飛び越えて「起業」にチャレンジしました。 (さらに…)
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