夢や目標。
「こんなことをやってみたい。事業を通してこんな世界を作ってみたい。こんな自分になってみたい」――。
そんな強烈なモチベーションを持って、独立・起業に挑戦する人も多いのではないでしょうか。
今回お話を伺ったのは、作曲家の夏海ルイさん。
ミュージシャンとして始まった夏海さんの音楽活動。現在は紆余曲折の末、作曲家として活躍しています。
自身のキャリアを振り返りながら「初志貫徹が向かないなら、紆余曲折を楽しめばいい」と語る、夏海さん。今回はそんな夏海さんのキャリアと、夢や目標との向き合い方について伺いました。
<プロフィール>
夏海ルイさん
作曲家高校時代からバンド活動をスタートさせ、学生時代はプロのミュージシャンを目指しバンド活動に明け暮れる。
ガールズバンドを結成し、大学を卒業してからは会社員生活とバンド生活の二足の草鞋で活動する。
夏海ルイさん
作曲家高校時代からバンド活動をスタートさせ、学生時代はプロのミュージシャンを目指しバンド活動に明け暮れる。
ガールズバンドを結成し、大学を卒業してからは会社員生活とバンド生活の二足の草鞋で活動する。
バンドが解散した後、付き合いのあった音楽プロデューサーに誘われ、作曲家として就職。後にフリーランス作曲家として独立。
現在は主にBGMや劇伴といった楽曲の制作を中心に、YouTubeでの発信など、作曲家として活動の幅を広げている。
“夢は武道館”のバンド女子から、商業作曲家へ。夏海ルイさんのキャリアを聞く
――フリーランスの作曲家として活躍されている夏海さん。まずは音楽に興味を持った経緯から聞かせてください。
夏海さん
音楽は、小学生くらいの頃から興味がありましたね。両親が海外のロックバンドが好きだったので、小さい頃からよく聞いていたので。本格的に音楽活動を始めたのは、高校生の頃。
音楽は、小学生くらいの頃から興味がありましたね。両親が海外のロックバンドが好きだったので、小さい頃からよく聞いていたので。本格的に音楽活動を始めたのは、高校生の頃。
当時はまだ「音楽で食べていく」なんて全然考えていなかったのですが、大学へ進学し、より音楽にどっぷりと浸かったことで、徐々に「音楽で生計を立てていけたら……」と思うようになっていって。
大学を卒業して社会人になった後も、ガールズバンドを組んで活動していたのですが、その時は「武道館でライブができるアーティストになりたい」と、結構本気で思っていましたね。
――作曲に関してはいつ頃から始められたのでしょうか?
夏海さん
ガールズバンドを結成してからですね。バンドメンバーの中で、曲が書ける人が誰もいなかったので、最初は成り行きで……(笑)。簡単なコード進行にメロディをつけて。そこからはメンバーに持ち寄ってみんなで一緒にアレンジを加えていく、というような作曲スタイルでした。
ガールズバンドを結成してからですね。バンドメンバーの中で、曲が書ける人が誰もいなかったので、最初は成り行きで……(笑)。簡単なコード進行にメロディをつけて。そこからはメンバーに持ち寄ってみんなで一緒にアレンジを加えていく、というような作曲スタイルでした。
しかしそのバンドも、2年ほどで解散をすることになってしまって。
――そこから作曲家としてのキャリアを歩み始めたんですね。
夏海さん
結果的にはそうですね。バンド時代から付き合いのあった音楽プロデューサーに誘われて、クリエイター(作曲家)として、その人が社長を務める会社に就職をしたんです。
結果的にはそうですね。バンド時代から付き合いのあった音楽プロデューサーに誘われて、クリエイター(作曲家)として、その人が社長を務める会社に就職をしたんです。
――会社員として作曲家を始められたと?
夏海さん
はい。作曲家というと、個人事業主として活動する方が多いんですけど、私はたまたまそういった縁から、就職することになって。これまで自分が所属していたバンドで曲を作ったことはあるものの、商業作曲家(自分や自分の所属するバンドの楽曲ではなく、クライアントの楽曲を作る人)としてはほぼ素人だったのですが、会社員時代にたくさん経験を積ませていただいて。
はい。作曲家というと、個人事業主として活動する方が多いんですけど、私はたまたまそういった縁から、就職することになって。これまで自分が所属していたバンドで曲を作ったことはあるものの、商業作曲家(自分や自分の所属するバンドの楽曲ではなく、クライアントの楽曲を作る人)としてはほぼ素人だったのですが、会社員時代にたくさん経験を積ませていただいて。
その3年後に、フリーランスの作曲家として独立したんです。