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脱サラ

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「独立・開業」を目標に実際に起業活動を進めている方の年間密着取材、第2シーズン。開業までのプロセスや想いを中心に、苦労話や失敗談まで、リアルな姿を追いかけるドキュメンタリー。
山本晋也さんプロフィール 大学卒業後、学生時代にアルバイトをしていた大手の学習塾に入社。退職後、フランチャイズの学習塾を開業。雑誌の取材を受けるなど経営は順調だったものの、理想とする塾のスタイルと違うと感じ塾を閉める。その後、大手の個別指導塾に入社し、個別指導の運営方法などを勉強。退職後、日本政策金融公庫で創業融資を受け、2017年3月に神奈川県に子別指導塾らぼという塾を立ち上げる。体験入学をスタートさせたばかり。

――とても明るい雰囲気の塾になりましたね。思ったとおりの内装に出来上がりましたか?

はい。うまくいったと思います。内装は爽やか且つシンプルに。塾というより、カフェに来たような、優しく落ち着いた雰囲気にしたかったので、壁紙や床のカーペットの色、素材にこだわりました。 毎日のようにここに通い、カーペットは全部自分で貼ったんですよ。 壁にある棚は物件についていたものです。参考書を中心に置いていますが、図鑑や地球儀など、こどもたちが勉強に興味を持つきっかけとなるようなインテリアをセレクトしました。 半年くらい前から、開校したら使えるものはないかと考えながら生活していたので、ホームセンターに行ったときなども、気になる素材やインテリアグッズを見つけたら、携帯で写真を撮って常に記録しておいたんです。

――それではこれで開校準備は完了したわけですか?

あとはエントランス部分がガラス張りなので、外から中が丸見えにならないように、シートで目隠しをしたり、面談用の席を勉強スペースとパーテーションで区切ったりすれば完成です。そのほかのものは必要になればその都度用意しようと思っています。

――すでに入校希望の問い合わせがあったと聞きましたが…。

毎日14時以降は教室にいるので、通りがかりの小学生がガラス越しに教室を覗いてくれて、そのこどもたちと顔見知りになりました。 すでに体験入学をはじめているのですが、自宅付近で塾を探していた方から問い合わせがあって体験に来られたり、説明を聞きにいらしたり…。申し込みをしてくださった方もいるんですよ。理由を聞いてみると、“工事中から気になっていて、雰囲気もよかった。なによりこどもが行ってみたいと思っている”ということで、決めてくださったようです。 過去にフランチャイズでも塾を開業しましたが、自分1人でイチから作った塾に入ってくれるというこの嬉しい気持ちは、今まで経験したことがないものでした。

――それは幸先がいいですね。販促活動はこれから本格的に始める予定ですか?

最初は自分でチラシのポスティングをするつもりだったのですが、外注することにしました。教室のマニュアル作成をはじめ、出勤簿、面談票や生徒用の入会規則、授業料のシステム紹介など、作成しなくてはいけない書類など、事務作業が多すぎて、販促まで手が回らなくなったんです。 たまたま近所でポスティング作業をしていた人を見かけたので、その人に会社を紹介してもらいました。 住所でチラシを配る範囲を指定するのですが、塾から徒歩1km圏内のエリアで依頼しました。以前フランチャイズで開校したときは、たしか開校2カ月くらいの間で何回かに分けて計10万部のチラシを新聞折り込みでいれましたが、今回は1部4円で1万部のポスティングを予定しています。 それからこの塾の隣がピアノの音楽教室なのですが、挨拶をしにきてくれて、チラシを置いてくれると言ってくださったので、お互いチラシを置きあうことにしたんですよ。

――フランチャイズで開業したときと違うと感じる点は何かありますか?

宣伝などは大変ですが、なんでも自分の思うとおりにできるのでやりがいがあります。料金のシステムをみてもそうなんです。 授業料や諸経費は学年が上がるにつれて高くなるという、よくある塾の料金体系がずっと気になっていたので、この塾では、学年に関係なく一律にしました。 もちろん大手よりは安い設定にしています。

――そうなんですね。すでに講師の先生も働きはじめているのですか?

大学時代の同級生の男性と、フランチャイズで開校したときにお願いしていたベテランの女性の2人を確保しました。男性スタッフはすでに開校準備でいろいろ手伝ってくれています。 ただ、今後、生徒が増えてから新たに講師を探すのでは間に合わないので、生徒の入塾状況を見ながら募集していく予定です。

――今後の予定をお聞かせください。

夏休みにむけて、生徒も先生も増やしていきたいので、今回の開校チラシの反響をみて、夏用のポスティングを考えています。まずは4月の状況をしっかり把握したいですね。

次回の更新は、2017年4月14日(金)予定。お楽しみに!

更新日:2017/4/7
文:堀家かよ 撮影:中村公泰

独立開業への道 365日 アンケート2

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起業しよう!という方にとってもそうでない方にとっても、何かしら事業に関わろうとするのであれば、どうあがいても避けて通ることのできない『マーケティング』。 現在進行系で悩まれている方も、多いのではないでしょうか? 今回はアントレ創刊20周年特別記念企画。リアルとデジタル、各業界のマーケティングリーダーお二人をゲストにお招きさせていただき、『歳の差20歳の社長対談』を開催。 それぞれの領域で大活躍されるお二人の、起業ストーリーとマーケティング論対談、ぜひお楽しみください。
福井 康夫(48)写真右 SVのアウトソーシングや店頭状況の暗黙知データ可視化など、リアルな流通業界に特化したマーケティング支援サービスをいくつも手がける株式会社メディアフラッグの代表取締役社長。近年は子会社であるImpactTVから人の動きを読み取るサイネージを用いたフィールドトラッキングソリューション「PISTA」をリリースするなど、IoT領域への進出でも注目を集めている。
渋谷 修太(28)写真左 アプリ分析プラットフォーム『App Ape』や、Webサイトをアプリに変換するアプリ作成サービス『Joren』などを運営するフラー株式会社の代表取締役CEO。2016年にはForbes「30アンダー30」にも選出された、デジタルのマーケティングにおける最注目人物。
国内アプリマーケティングの第一人者…といっても過言ではないフラーの渋谷さんに、リアル店舗のマーケティングをアウトソース化によって文字通り構造から作り変えてしまったメディアフラッグの福井さん。 まぁなんとも豪華なお二人ですが、果たして彼らは何をどう考えて起業し、なぜ現在の事業を起こすことになったのか?さっそく伺っていきましょう。

明確なイメージなし?「起業しなければ」という焦りからの ”割と平凡” なスタート

―まずは『なぜこの事業で起業を?』というところから。いわゆる「わかりやすい事業」ではないマーケティングの世界で、なぜお二人は今のビジネスをはじめられたんでしょう?
―福井
私はいわゆる『脱サラ組』なんですが、新卒で銀行マン ⇒ セブンイレブンの店長 ⇒ 本部 ⇒ 35歳で独立。。。という過程で、実は『起業したいという焦り』はあるものの、「この事業でやる!」といったような明確なイメージはもってなかったんですよ。 ただ漠然と30代後半をサラリーマンのまま迎える恐怖だけがあって、ちょうどそのころ流通業の上場ラッシュがあって…。「じゃあ流通業界で何かやろう」くらいな考えだったんです。
なんと。 いや、起業から数年でマザーズ上場を果たしたメディアフラッグの社長…というと、なんとなく『明確なビジョンを持って脇目も振らずに駆け抜けてる人』なイメージが勝手にあったもので。。。ちょっとビックリですね。 なんというか、妙に親近感が。
―福井
いや本当に。渋谷さんはもしかしたらそういう方なのかもですが(笑)僕は大手企業にいた時間が長かったせいか、割と『サラリーマン思考』な部分があるんですよ。 直接的なきっかけはセブン時代に『大きな会社だと新規事業って難しい!』と感じたことだったりしますが、いわゆる「ザ・起業家」てタイプでは無いんですよね。
と、そう語ってくれた福井さん。 具体的な起業時の思考としては以下のような「自身の経験値からのニーズ分解」だったそうですが、案の定周囲からは思いっきり心配されたんだとか。

福井さんの起業時マインドフロー

  • 流通業界での経験を活かしたい
  • 自分の在籍したセブンは強い。では何が強かったのか?を思考
  • SVとPOS(人とITへの投資)がすごいから強いと仮定
  • 他のフランチャイズに目を向けると(ほぼ)できてなかった
  • ではアウトソーシングできればニーズはあるのではないか?という仮説
  • 覆面調査、ラウンダー(メーカーの営業代行、店頭販促フォロー)サービスはあったが非効率的だった
  • ではそれをより効率化させてサービスにしてみよう
経験から得た「大手の強さ」に対し仮説を立て、そこに対するサービスの不足をチャンスと捉えた…ってとこでしょうか。いや、言うは易し行うは難し。って話なんでしょうけども。。。 ちなみに渋谷さんの場合、どんな感じだったんでしょう? 続けて伺ってみます。

やると決めたらまず行動。ルールの転換期を見逃さない決断のスピード

―渋谷
僕の場合、高専時代に「起業しよう!」てだけ友人と決めてたんですよ。で、大学在学中に1人でシリコンバレーに行ってみて『ITすげー!』てなって、新卒で当時黎明期のソシャゲ系ベンチャー入社 ⇒ 数年で起業。みたいな感じです。 福井さんと同じく…かどうかは分からないですが、あまり明確な事業イメージは持ってなくて、せいぜい『スマホすごい!これでなんかやろう!』くらいだったと思います。
おおお…。こ、これはまた何というか。 お手本のような『イマドキの起業家』って感じですね。それこそシリコンバレーの偉人たちのような。。。
―渋谷
いやいや、そんな大層な話じゃないですけどね(苦笑) 年齢が年齢だったんで焦り…みたいなものはあんまり無かったんですが、とにかく業界全体の勢いがすごかったんで。それに乗っからないとヤバイ。置いてかれる…!みたいなイメージはずっと持っていました。
渋谷さんの場合、ちょうどスマホが世界に現れ始めた時期にソーシャルゲーム系メガベンチャーに在籍。 マーケットそのものが突然巨大化する渦中にいたため、以下のようなマインドフローで起業までのスタートを切ったそう。

渋谷さんの起業時マインドフロー

  • ソシャゲ系ベンチャーでスマホ対応を担当
  • 業務をやりながら『いや、ここはアプリだろ!』と強く感じる
  • Webでは当たり前の数値系のマーケティング分析が当時アプリに無かったことに着目
  • ではそこにツールを投下できればニーズはあるのではないか?
  • とりあえずやっちゃおう!で起業
なんというか、間違いなくニーズが爆発することを確信していた…て感じのアクセルの踏み切り方ですよね。 iPhoneが誕生し、今まさにマーケットのルールが変わる!というタイミングにおいて、何よりもスピードを重視したこと。 あらゆる事業に言えることでしょうが、「期を見る」ってやはり重要なんですね。改めて感じさせていただきました。

増え続ける『取得可能なデータ』と、これからの経営者に求められる能力

―お二人とも形は違えど「マーケティング」がメイン事業。ということで、これから独立・あるいは副業などで事業を開始して、マーケティングと向き合うことになる方へ伝えたいことなどありますか? こちらの質問もまずは福井さんから。 それこそ数え切れないほどの店舗経営者さん達と一緒に事業を作ってきた福井さんからのアドバイス、気になります。
―福井
うーん。そうですね…。 例えば、リアルな店舗運営で「経営に役立ちそうなデータを集めよう」なんて考えると、それこそ本当に膨大なデータが取得できてしまうんです。今の時代は。 リアル行動における施策と結果の相関…だけではなく、例えばサイネージとカメラを使った人認証からの顧客特徴の取得。それに合わせたリアルタイムでのアプローチ…などなど。
―福井
ただ、どれだけそういったマーケティング上必要そうに見える情報を集めたところで、「見て知るだけ」では何の意味も持たないんですね。 なので、やはり重要なのは『何を重要とみるか?』という人間の判断だと思っています。それを完璧に我々がサポートできれば理想なんですが、やはり完全とは行かないですしね。
うーむ確かに。 現状暗黙知扱いされている「感覚的になんか正しい」って部分をデータによって可視化することができるようになった。それは素晴らしいこと…とはいえ、あらゆるデータを眺めて片っ端からなんとかする…なんてことは人間には無理ですからねぇ。 どの情報を重要と見るか?あるいは判断に足りない情報は何か? これを見るためのスキルは結局経営する側の人間にとって重要。ということですねぇ。
―渋谷
デジタルの世界はその傾向はさらに顕著かも知れないですね。とにかく取ろうと思えばあらゆるデータが取得できてしまいますから。 リアルよりも「なんとかするための施策が打ちやすい」ってのも理由の1つになるとは思いますが、とにかく『あれが悪いんじゃないか』『こうすればいいんじゃないか』って仮説を立てまくってカウンター撃ちまくればなんとかなる…てほど単純にはいかないんですよね。
と、そう続けてくれたのは渋谷さん。 確かに、それこそフラーで提供している『Joren』(50万買い切りでWebサイトをネイティブApp化できる)みたいな廉価なツールのおかげで打てる手が多くなっている分、デジタルこそこの課題は浮き彫りになりやすいかも…?ですね。
―渋谷
やれ『マーケティングだ!』と息巻いてデータをかき集めても、ただ闇雲にやったんでは、もはや人間が処理できる情報量じゃないんですよ。 なので、『自分たちの事業にとって見るべき相手(データ)はどこにあるのか』これを検討し、決めていくフローにこそ大事なポイントはあるはず。なんて思ってますよ。
ですよねーー。いや、ホント耳が痛い。 何というか、とても『当たり前の話』なんですが、それこそ、ソコを上手く突いて起業~事業拡大を成功させてきたお二人から聞くと、身が引き締まる思いです。 大量のデータ並べて「こうやったら○○なるんじゃないか?」なんて仮説思いつくとすごい仕事やった感ありますもんね。そうじゃない…というか、それだけじゃ駄目だよ。と。

1%の大手より、99%のマーケットに届く思考を

―では最後に『事業を上手いこと拡大していく』ために、お二人がどう考え、どうマーケットと向き合っているのか?お伺いしてもよろしいでしょうか?
―渋谷
大きな目で社会全体を見ることが重要なのかな?とは思っています。 巨大資本を持った大手相手に商売すれば、たしかに単発ではうまくいくことも多いんです。が、事業を拡大しようと思ったら「強い1%の企業をより強くする」という考え方より『99%の周回遅れの企業をどう引っ張り上げるか?』のほうが上手くいくんじゃないかな?と。
―福井
同感ですね。ウチの事業はまさにそのスタイルですし。 この国にはもっともっと「勘と度胸」のみの判断から、根拠をもったデータ・ドリブンな経営をするべき小さな企業がたくさんあるんです。そしてそれがひいては大きな意味での業界・事業・顧客の成長や成熟につながっていくと信じています。 遅れてしまった99%の企業にこそ、提供すべき価値のあるビジネス。これをしっかり創り上げていきたいですね。
な る ほ ど。 言われてみればその通り。一見派手に見える、実際金額も大きくなる大手との仕事ばかりに目が行きがちなのが、なんとなーく普通の感覚と思っていましたが、そうではなくそれだけでは足りない。と。 事業を起こすのであれば、より大きな視点で「どの業界、どのジャンルの、どんな99%の遅れに対し価値を提供していくべきか」これを持たなければ大きくはしていけない。ということですね。 コンシューマ相手の商売にせよ、企業相手の事業にせよ、どちらにも共通する大事な言葉、いただきました。 お二人とも、本当に多忙な中お時間いただきましてありがとうございました!

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神奈川県藤沢市で、農薬や化学肥料を一切使わずに自然栽培野菜をつくる中越節生さん。 もともとは優秀なビジネスパーソンでしたが、一念発起して大工を志し、さらに農家へと転職を果たしました。 安定して稼ぐ選択肢を捨てて、なぜ農家になったのか。「農業は宝の山」と言う中越さんに、大胆な決断の背景や自然栽培野菜の可能性、そして死ぬ時に後悔しない生き方についてうかがいます。
【中越節生さん・プロフィール】 無農薬・有機野菜農家。1970年東京都生まれ。日本大学農獣医学部水産学科を卒業後、不動産会社、そして外資系保険会社に勤務。2005年、大工になるために工務店で修業を開始。 その後、農業の道に進み、無農薬・無化学肥料の有機野菜の栽培に力を入れる。2012年8月、神奈川県藤沢市に直売所兼八百屋カフェをオープン。タレントつるの剛士さんへの農業指導、地元野菜のPR活動も行っている。

苦学生からエリート営業マン、そして家族に家を残そうと大工に

── 大学を卒業して、不動産の企業に就職したのはなぜですか?

中越節生(以下、中越)
大学2年になる前に、父が会社を潰して莫大な借金を背負うことになってしまったんです。 学費も生活費も自分で稼がなければならなくなり、1日4〜5件のバイトをこなしました。 長男だったので、就職してからも家族のために借金を返していかなければいけない。 そこで、固定給プラス歩合で稼ぐことのできる不動産の営業を選びました。

── 営業の仕事はいかがでしたか?

中越
厳しい職場でしたが、それでも辞めるわけにはいきませんから、必死に働き続けました。 やがて成績トップになり、営業部長にもなって、ようやく借金を全額返すことができたんです。

── そして転職をされるわけですよね。

中越
使命感がなくなってしまったのでしょうね。生活には余裕ができたけれど、幸せとは感じられなかったんです。 そんな時に顧客だった方からスカウトされて、生命保険会社に移りました。 そこで働くうちに、人の死について考えるようになって、自分が死んでも家族に家を残してやりたい、それなら大工だ、と。 ちょうど知り合った工務店の社長がいたので、修業をさせてくれと頼んで働き始めました。そして3年後に中古住宅を買い、それを壊して、自分の家を造りました。

── 成績優秀な営業マンから大工になることに、奥さま反対しなかったのですか?

中越
まだ結婚前でしたが、相談はせずに決めました。 「大工になったよ」って。借金はしないし、給料もきちんともらえるから、生活に困ることはないと説明しました。

── まったくの未経験から始めて、3年で家を建てるというのは、相当に大変なことだと思うのですが。

中越
修業しながら、大工の仕事以外まで含めて、家を建てることの全て見させてもらったんです。それで全体の仕組みを理解できたことが大きかったですね。 あとは、大学時代にとにかくいろいろなバイトをしたこと。あの時の経験は、何でもできるんだ、という自信につながったと思います。

農家は「いつまで経っても1年生」。だったら自分にもできるのではないか

── そして、次に農業へ。どのようなきっかけがあったのですか?

中越
家の近くの土手を走っていて、休耕地や休耕田が多いことに気がついたんです。それでいろいろと調べるうちに、農家の高齢化や食料自給率など、さまざまな問題があることを知りました。 これは何とかしなければ、誰かがやらなければと思っているうちに、それなら自分がやろう、という気持ちになっていったんですね。 そして市役所に相談しに行ったのですが、門前払いされてしまって。それで農業への熱がますます燃え上がってしまいました(笑)。 そこからは農作業をしている人に直接たずねたり、直売所で農家を紹介してもらったりしているうちに、有機農業をしている方と出会って、その農園で働くことになったんです。そこで1年働いて、独立しました。

── 勝算があったということでしょうか?

中越
野菜って、実はそれほど手をかけなくても意外にできるということを学んだんですね。それに、農家の方に話を聞くと、皆さん「自分はいつまで経っても1年生だ」とおっしゃるんです。 つまり、正解がないということ。だったら自分にもできるのではないかと思ったんです。また、売る仕組みについても、営業をずっとやってきた経験から、もっと良いものにできるという考えはありました。

── 具体的には、どのような販売方法を?

中越
宅配専門です。無農薬の自然栽培野菜を作り、お客さんを見つけて、直接届けるというスタイル。たとえば新しくできた大規模マンションを調べて、チラシをポスティングするんですね。 そんな営業を続けていくことで、お客さんを獲得していきました。また、それとは別に会員制の畑も作り、年間契約で野菜を定期配送する仕組みも作りました。

── 順調な一歩を踏み出せたようですね。

中越
そうですね。しかし、唯一の誤算が原発事故による放射能汚染です。震災当時、僕たちが農家を始める際に選んだ畑が、除染調査重点地域になってしまって、安全安心の野菜をうたうことができなくなりました。 ちょうどこども生まれる時期でもあったので、一時避難をし、新しい土地でまた畑をやるために動き始めました。それで2012年4月に、藤沢市に越してきたんです。

── 藤沢に決めた理由は?

中越
放射能値が低いこと、産休明けの妻の都内への通勤が可能なこと、そして市役所の方が非常に協力的だったことですね。また、有機野菜を作っている有名な方がいて、その人にも相談することができました。 こちらで野菜を作り始めると、ちょうど藤沢市の観光大使になったばかりのつるの剛士さんが畑をやりたがっているという話があって、その指導をしながら一緒に藤沢野菜のPR活動をするようにもなりました。

── 畑だけでなく、お店も始められましたね。

中越
畑一本でやるリスクを感じてしまったんですよね。それで、野菜を売りながら農業相談もできるお店をやろうと思い、物件を見つけて、自分で内装まで全てやってオープンしたのが「駅前直売所八〇八」です。

とことん考え、「みんなと違うことをやる」ことが大切

── 中越さんは、それまで続けてきたことをスパッと辞めて、新しいことに何度も挑戦してきました。その決断力の源になっているものは何ですか?

中越
僕の信念は、明日死んでも後悔しないように今を生きること。「あの時にああしておけばよかった…」と思いたくないんです。

── それでは今、後悔しないために一番力を入れていることは何ですか?

中越
自然な循環、ですね。誰か1人が勝つのではなく、あらゆるものがうまくまわる仕組みを作れたなら、みんなが幸せになれるのではないか、と。 僕の畑では、農薬も化学肥料も使わず、畑だけでまわしていきます。循環こそが一番調和がとれる方法であって、それは畑も社会も一緒だと思うんですよ。 そういった仕組みを作るために、売り先を見つけることが難しい新規就農者の野菜も買い取って販売しています。

── 仕事を変えたいという人に対して、農業という選択肢を自信を持って提示できますか?

中越
農業は宝の山です。やりたい人はぜひ藤沢に来てほしいですね。 実際、新規就農者は増えています。無償で借りられる畑もありますし、無農薬野菜を扱う飲食店やスーパーもたくさんあります。大きなチャンスだと思いますよ。

── 農業に限らず、独立して何か事業を始めるにあたって、一番重要なことは何でしょうか?

中越
とことん考えることです。あらゆることを想定して、失敗の芽をつぶし、うまくいく方法を自分の頭で徹底的に考える。そこまで考えてやったことなら、どうにかなるものです。 成功したかどうかなんて受け止め方で違ってきますし、そもそも自分で認めさえしなければ失敗にはなりません(笑)。 それともう1つ、相談に来た人に僕がかならず言っているのが、「みんなと違うことをやれ」ということ。成功例があるからといって、同じことをしてはダメです。 たとえば僕の場合は、車でしか行けないところによくある直売所を駅前に作りました。人が何を求めているのか、あったら良いけれど今はまだないものは何か、それをとことん考えた結果なんです。
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「サラリーマン生活をやめて独立しようか…」と考えていても「自分が一番やりたいことは結局どれだろう」と迷っていませんか?けれど本当は、あなたの一番やりたいことは心の中にしっかりとあるはず。 そこで、「本当にやりたいこと」をあぶり出す10の質問をご紹介。心理カウンセラー心屋仁之助氏が提案する「天職発見シート」で、自分ならではの道を発見しましょう。

心屋仁之助さん プロフィール

1964年生まれ。大手物流会社の管理職として勤めていたが、並行して心理療法を学んだのち、2006年に心理カウンセラーとして独立。あらゆる依頼者に、性格を変え、自分を好きになるための支援を行っている。『仕事が「ツライ」と思ったら読む本』(WAVE出版)など、著書51冊の累計発行部数は350万部を突破(2016年5月現在)。2015年からは音楽活動も開始。「魔法のうたⅠ」「魔法のうたⅡ」を続けてリリースしている。

恐怖と諦めを追い出せば、自分のやりたいことに心の天びんが傾く!

自分のやりたいこと、天職に対しての迷いを抱えて訪ねてくる人が多いと、心屋氏は言います。「でも、ほとんどの人にはやりたいことがちゃんとあるんです。ただ、そこから目を背けているだけ」。心屋氏によれば、多くの人はやりたいことがあっても「どうせ無理」と諦めて、選択肢から外しているだけなのだとか。 心屋氏自身も、心理カウンセラーとして独立する以前は年収1200万円を稼いでいた大手物流会社のサラリーマン。40歳前後でキャリアの行く末が見えてきた頃に心理学と出会い、一念発起したと言います。 「当時の年収を捨てるのは恐怖でしたし、非現実的だと最初は諦めていました。でも、定年までこのまま毎日を過ごすのか、と自分に問いかけ、『恐怖』と『諦め』を徹底的に排除したら、自然と『やりたいこと』に心の中の天びんが傾いたんです」 そんな、心屋氏本人も実践したノウハウを形にしたのが「天職発見シート」。これで心の中に巣くっている「恐怖」と「諦め」を取り除き、自分が本当に求めているものを発掘してみませんか。それが成功する独立・起業への一番の近道かもしれません。
天職発見シートは、手近な紙などに10個の質問への答えを書き込んでいくことでシートが完成します。紙を用意できたらさっそく読み進めて、質問への答えを紙へ書き込んでいきましょう!

【STEP1】やりたいことに立ちはだかる「恐怖」を探る

恐れを乗り越え、やりたいことを発掘するには「最悪の状況を想像する」のが大事。独立しても仕事がなく、家族に見捨てられ家を追われ…そんな未来をできるだけ具体的に想像してみましょう。そうすることで自分にとっての恐れの源を発見することができます。これは、過剰な恐怖心を自覚するのにも効果的です。最悪の状況を想像し、現実はここまでひどくないと気づくことで、恐れを取り除いていくのです。

Q1:やりたくないのにあなたが続けていることは何ですか?

これが天職発見シートの1つめの質問です。まずは、この質問で現状に思いを巡らせて紙に書き出してみましょう。出社から帰宅までの自分の行動を具体的に思い描くと答えやすいはず。

Q2:本当はやりたいのにしていないことはなんですか?

現状に思いを巡らせたら次は質問の2つめ。こちらでは仕事だけでなくプライベートにも目を向けて考えるのもおすすめです。どんなに小さくてもいいので「諦めていること」を思い出してみましょう。

Q3:「やりたくないのに続けていること」をやめると何が怖いですか?

「やりたくないのに続けていること」と「やりたいのにしていないこと」の2つが明確になったら、今度はこの2つを掘り下げて考えます。Q3では、Q1の答え「やりたくないのに続けていること」を続けている原因をできるだけ具体的に挙げてみましょう。なにを失うことを恐れているかが明確になります。

Q4:「やりたいのにしていないこと」をやると何が怖いですか?

やりたくてもできないことがあるなら、それは、あなたの恐怖心が行く手を阻んでいるため。Q2で答えた「やりたいのにしていないこと」を始めたら、こうなってしまうかもしれないという懸念を心の奥から呼び出してQ4の回答として書き込んでみましょう。 ここで重要なのはQ3「『やりたくないのに続けていること』をやめると何が怖い」か、Q4「『やりたいのにしていないこと』をやると何が怖い」かの2つ。この回答から導き出されるのが、あなたの「恐怖の源」です。例えばQ3で「リストラ対象になる」と書いた人は、社会人としての安定や職場環境そのものを失うことに恐怖を感じていますし、Q4で「実力不足で恥をかく」と書いた人は、失敗によりプライドが傷つくのを恐れていると判断することができます。 でも、思い出してください。自分にとっての最悪の状況と向き合っておけば、Q3とQ4で怖いと思っている事が前進を妨げる過剰な恐怖心にすぎないことを冷静に判断できるはず。 まずは、Q1からQ4の4問で、あなたの恐怖の源を克服しましょう。

【STEP2】 決心をくじく「どうせ」を消す

どんなに準備万端で大きな夢があっても、独立にあたって心配事がない人などいません。自信満々でなんの不安もなく起業する人はごく少数です。慎重になるのは決して悪いことではありませんが、この時「どうせ自分には無理」といったネガティブな自己イメージが強いほど、次の一歩が踏み出せず、成功への妨げにもつながります。 そこで、STEP2では、踏み出す一歩を阻む「言い訳」を逆手にとり、プラスに転化させるための質問に答えてみましょう。

Q5:何があれば、「やりたくないのに続けていること」がやめられますか。

ここでのポイントは、Q1で書き込んだ「やりたくないのに続けていることをやめるのに、必要な状況や条件」を考えてみること。それは資金かもしれないし、環境改善かもしれません。思いつくままに書いてみましょう。

Q6:何があれば、「本当はやりたいのにしていないこと」ができそうですか?

Q2で出した答えを思い返して、それを実現するために必要なもの、欲しいものを思い描きましょう。資格や人脈、経験などスキル的な要素から、資材や場所など具体的なものまで、いろいろと考えてみてください。

Q7:Q5とQ6で書いた「あればいいこと」が実現する確率・時期は?

「やりたくないのに続けていること」をやめるのに必要なモノ・コト、「本当はやりたいのにしていないこと」をやるのに必要なモノ・コトが、実現する確率はどのくらいありますか?そして、いつなら可能になりますか? その理由も含め、改めて自分自身に問いかけて書き込んでみましょう。

Q8:失敗してもお金・立場などを失わないなら、何をしたいですか?

この答えは、すぐに実現可能なことでなくても構いません。「歌手になる」「世界一周をする」などの突拍子もないことでもいいので、どんどん自由に夢をふくらませてみてください。 このSTEP2で最も重要なのはQ7。「○○さえ手に入れば独立できるのに」「××がそろわないとこの事業はムリ」などの言い訳は、及び腰が引き起こすないものねだりではありませんか? これを払拭するためには「どうせ自分には才能あるし」「どうせうまくいくんだから」などとポジティブな言葉をあえて口に出すことが効果的です。そうすることで自己イメージをプラスへ転換させるのです。 全ての言い訳をつぶしていけたら、Q8で、あなたが本当に実現したいことをしっかり意識に刻み込みましょう。

【STEP3】「悩み」と「興味」を踏まえて天職を決める

独立への意欲を妨害していた「恐怖」をSTEP1で、「言い訳」をSTEP2で意識し、これらを克服できる道すじが整ったら、残すところはあと2問。いよいよ、あなたの「天職」を発見する段階に入ります。

Q9:あなたがこれまでずっと悩んできたことはなんですか?

仕事でもプライベートでも、あるいはそのどちらでも結構です。ただし、ここでは直近の懸案事項といったものではなく、些細なことでもいいので、長い間、悩み続けていること を書いてください。

Q10:街角などで、つい目を奪われることは何ですか?

外出中についつい気になって見てしまうもの、ふと気づくと目に入ってくるもの、ぼんやりと考えてしまうものはありますか? ちょっとしたことでも、それが大きなヒントになります。 Q9でわかるのは、長く悩んでいたからこそ実体験を持って人に価値を提供できる、あなたの得意分野。そしてQ10で浮き彫りになるのは「実は本当に好きなこと」です。「誰でも、興味のあるものは自然と目に飛び込んできますよね。子どものころから教師に憧れていた私の場合は、人を教え導くことが、どうしても捨てきれない『実は好きなこと』だったんです」と心屋氏。あなたにも思い当たるなにかが必ずあるはずです。 さあ、これで全ての設問が終了しました。ここで浮かび上がってきた「悩み=強み」と「どうしても心惹かれてしまうもの」を融合させたものが、「天職」です。 「企業やプロジェクトを維持するには、持続的なエネルギーが必要です。怒りや嫉妬などの負のエネルギーは強力ですが長続きはしません。その点、楽しい・面白いと思えるものなら情熱は長く持続させることができます」(心屋氏) でも、それだけでは不十分だとも言います。「『悩み=強み』を通じて誰かに貢献できて初めてビジネスとして成立します。天職には、この2つの化学反応が不可欠なんです」。 ここで得られた「天職」を意識すれば、自分自身が熱意をもって取り組めるだけでなく、他人や社会に対して大きな価値を提供できる、あなたにしかできない使命を自覚できるはずです。

まとめ

「天職発見シート」を実践してみていかがでしたか。なんとなく曖昧に考えていたこと、つい目をそらしてしまっていたことに改めて意識することで、自分自身の内面だけでなく、今後歩むべき道を明確に見ることができたのではないでしょうか。 また、天職発見に限らず、自分の中に生まれてくるネガティブなイメージや言動を払拭して、自己を見つめ直すにも、とても有効なシートにもなっているので、迷いが生じたときや、なんだかうまくいかないときなど、定期的に行ってみてください。
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朝6時前、まだ辺りが暗い中一軒一軒のドアノブにつくりたてのパンが届けられます。 朝食用パンのデリバリー専門店「ぱん工場 寛」の店主・田中朋広さんは、パンづくりを全て1人でこなすと、できあがったパンを自転車で届けて回ります。雨の日も雪の日も360日、年末年始以外ほぼ休みなく走り続けること10年。 お客さまに心のこもったおいしいパンを直接届けたいという田中さんの情熱は、パンと一緒にほのかな温もりも届け続けてきました。 大手企業を退職してパンづくりに取り組んだ田中さんが独立起業に当たり、考えたのは「自分にしかできないこと」。その結果、導き出した答えが「注文生産」と「デリバリー」を組み合わせた画期的なパン屋でした。その発想の原点はどこにあるのでしょうか。詳しくお話をうかがってきました。
<田中朋広さんプロフィール> 1967年生まれ、「ぱん工場 寛」店主。大学で化学を専攻し、卒業後、大手電機メーカーにシステム設計者として入社。27歳で退職し、都内のパン屋2軒で修業。川崎の薬局勤務を経て、2006年、都立大学駅近くに「ぱん工場 寛」を開店。国産の原料にこだわったパンの注文生産、夜中から早朝にかけてのデリバリーで、信頼と人気を集める。 http://home.p00.itscom.net/pankouba/index.html

“パン”ではなく、“ぱん”。店名に込めた、ささやかな思い

◆電機メーカーを辞めて一念発起。パン屋の開業に至るまでの道のりをお聞かせください。

―田中朋広さん(以下、田中)
大学卒業後、大手電機メーカーに入社し、システム設計の仕事をしていました。入社後の配属先は新規事業をやっている部署で、現場を担当していましたが、10年くらいすれば管理職になるのが予想できたんです。 でも自分はずっと現場で仕事をし続けたかった。その頃、地元の両親にいろいろと事情があったのもあり退職を決めました。 退職を決め、何かお店を開こうと思った時にパン屋を選びました。たとえばイタリアンなどはセンス必要ですが、パン屋なら体力勝負でできるだろうと当時は思ったのです。 それで退職後、沼袋と新宿の2軒のパン屋で計5年間、修行しました。

◆それから独立したわけですね。

―田中
いえ、一度職を離れ、家内の実家が切り盛りしていた薬局で事務を手伝っていました。パンづくりの現場からは離れてしまいましたが、もともと経営・マネジメントには興味があったので。 それで薬局に5年間勤めた後、パン屋での修行経験を活かしてようやく開業に踏み切りました。

◆ビルの2階という目立たない立地。この場所を選んだ理由は何でしょう。

―田中
自宅が近いことからこの近辺(都立大学)で探していたところ、タイミングよく今の物件が見つかりました。ビルの2階ですが、もともと店頭販売にはこだわらないつもりだったので、大通りに面している必要はない。釜だけでも4〜500kg、重機の重さが1トン近いので、その点は大丈夫かといろいろと確認が必要でしたが、最終的に大家さんの了承も得られたのでここに決めました。 また、当時、ビル内にはスナックもあって、ママさんがパンを買ってお客さんにおみやげとして持たせてくれたんです。おかげさまでそこから口コミで評判が広がったりして、とても助かりましたね。

◆お店のネーミングを、あえてひらがなにしたのは?

―田中
“パン"よりも、“ぱん"のほうが親しみを感じませんか(笑)。カタカナだときつい気がするし、”ぱん”の見た目も合わせ、「やさしさ」や「やわらかみ」を表現したかったからです。店名からも、そうしたぬくもりを伝えられればと思っています。
田中さんの作る”ぱん”たち

「勝負できるもの」「自分しかやらないこと」を大切にすることが成功の要因

◆独立する際に、とくに意識した点はありますか?

―田中
「勝負できるものを持つ」ということですね。独立して成功するには「自分しかやらないこと」を探すことが重要だと思います。 たとえそれが尖っていたり突拍子のないことでも、世の中のニーズに合っていれば成功するでしょう。いわば早く始めた者勝ちということです。

◆田中さんの場合、それが「注文を受けてつくる」ことと、それを「お届けする」という今のお店のスタイルだったわけですね。

―田中
そうです。注文を受けたぶんだけを夜中に焼き上げて朝までに届ける。これは前例がないやり方でした。勝負どころは「お届けすること」。 お客さんからすれば重視しているのは「味」。つくりたてのデリバリーをするのはそのほうがおいしいからであり、それが自分のお店の個性でもあり最も重要な強みでもあると考えています。

◆注文制にしたのはなぜでしょう?

―田中
きっかけは、パン屋で修業中に経営や会計にも触れる機会があり、その時、毎日生じるロスを目の当たりにしたことにあります。どれだけつくれば売れるか、いくらデータ化しても、ずれが生じて無駄がなくなることはなかったのです。 それを見て、パン屋はなぜ注文に基づく生産をしないのかと考えました。注文制なら、生産側としてもベースは確保されますし、確実にお客さんが見込めて、経営的なロスが少なく、価格転嫁もせずにすみます。

◆経営面でのメリットが大きいわけですね。

―田中
それだけではありません。注文制だとつくる側は流れ作業でなく、より「一つ一つ、おいしくつくろう」という意識も生まれます。お客さんの顔を思い浮かべながらつくればパンは絶対においしくなる。 そうして一つ一つ丁寧に心を込めてパンをつくり続けていればお客さんにも喜んでもらえます。注文制にすることは、経営的にもお客さんにとってもメリットがあるのです。

これまでの10年間と今後。時代に流されず、シンプルな味を大切にしていきたい

◆競争の激しいパン屋業界で10年続けられた理由は何でしょう。

―田中
開業した当時、このお店のある都立大学駅周辺では、パン屋は続かないというジンクスがありました。その中でこれまで10年間続けてこられたのは、ひと言でいえばうちが「変わっている」パン屋だからだと思います。 具体的にいうと、1つは先ほど説明した「注文制」と「デリバリー」を組み合わせたサービスの独自性。そしてもう1点はパンの味わいです。うちの”ぱん”は、バターを使っていないので、日持ちもしないのですが、味付けがシンプルで素朴なんです。 ほかの味を邪魔しないため、自分でトッピングやバターなどバリエーションを楽しんでもらえます。つまり、飽きることがない。だから、これまで10年間もの長い間、愛され続けてもらえているのだと思います。

◆最後に今後の展開をお聞かせください。

―田中
小さなお子さんにもうちの”ぱん”の味を試してみてほしいと思っています。 というのも、うちの”ぱん”はバターもですが、保存料や着色料なども入っていません。北海道産の小麦粉と世界遺産・白神山地で発見された白神酵母をふんだんに使っているので、素朴な”ぱん”本来の味わいと嚙みごたえがあるんです。 食育という意味でも、マーガリンがたくさん入った給食のパンに慣れる前に、”ぱん”本来の味わいを知ってもらいたいのです。だから、まだ小学校に入る前の幼稚園か保育園くらいの子に、こういうシンプルな”ぱん”もあることを知ってほしいと思っています。

編集後記

360日を10年間、雨の日も風の日も毎朝”ぱん”を届けて、温かいうちに食べてもらいたい。”ぱん”づくりは余分なものを使わず、本来の味を楽しんでもらいたい―。 経営手法、商品、そして心構えまで、田中さんは常にものごとをシンプルに考える方だと感じました。 そのどこまでもシンプルな願いをひたすら追い続けてきたから、10年もの長い間、お店を続けることができたのだと思います。これからの「ぱん工場 寛」の発展が楽しみです。

2016年10月20日

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上場企業にも務め、企業で取締役までした50代後半の男性が「マラソンのメダルをかけるハンガーを作って起業する!」と言い出したとしたら? 通常の感覚であれば、通帳を取り上げて「待ちなさい」と言いたくなるお話。 今回インタビューさせていただいた服部さんは、そんなリスキーなチャレンジを選び、わずか2年で実際に商品を開発。 某国内最大級のマラソン大会公式グッズにまでブランドを押し上げ、その手腕からTV・雑誌・新聞など多くのメディアに取り上げられるスゴイ方です。 一体、彼が取った戦略とはどのようなものだったのでしょうか? 詳しく聞いてきました。

服部 真さん プロフィール

(株)ランビー代表取締役/東京都中央区。59歳。バンダイなど、玩具会社で商品企画に従事。2014年に独立し、(株)ランビーを設立。会社員時代の経験を生かしてジョギング関連の商品企画を行うほか、自らもジョギングインストラクターを務める。看板商品はメダルを飾る「メダルハンガー」。ジョギング歴は20年以上。

なぜメダルハンガーに?商品開発の着想ヒントは自身の愛するものから

―このメダルハンガーを商品化しようと思ったきっかけは何でしょう?

―服部
趣味のランニングの分野で起業しようというコンセプトは決めていました。その中でいろいろ考えているうちに、マラソン大会で完走した時にもらえるメダルを飾るアイテムがないな、ということに気づいたんです。そこでインターネットで検索をしてみたら、アメリカのウェブサイトで金属でできた「メダルハンガー」を見つけました。こんなのがあるんだと感心して、自分自身、ほしいなと思ったんです。 それからランナー仲間に聞いてみると「知らない!そんなのあるんだ」と同じように関心を持つ人もいれば、「でも、日本じゃデカいよね」という反応もあったり。アメリカの家はでっかい。だから、メダルハンガーも大振りなんですね。 その時、「確かに、日本の家だと大きすぎて絶対無理だな。でも、これをもっと小さくしたら売れそうだ」とひらめいたんです。そこで「ちょっと小さくしたらどう?」と聞いてみると「それだったら面白いんじゃない?」っていう感じになったんです。

―マラソン好きじゃないと気づかないニーズですね。その経験を生かしてメダルハンガーで起業したわけですね。

―服部
はい。中学のころから駅伝の選手をやってました。正式にフルマラソンに出始めたのは30過ぎからなのでランナー歴は30年以上ぐらいですかね。メタルハンガーに目をつけたのは、ある意味で私の趣味の延長でもあるわけです(笑)。

―着想から実際に販売にいたるまでは、どのような経緯だったのでしょうか?

―服部
一番最初はどこかの会社と組んで、自分の企画を持ち込んで採用してもらい販売してもらう。そうしてアイデア料をもらうみたいなビジネスモデルを考えていました。 ある企業とは話が進んで「やりましょう」って言われて、幸先いいな思ってたんです。でもしばらくして「やっぱり無理だ」って断られちゃいました。ロットがそんなに作れないし、うちの会社のリスクになるからとご破算になっちゃったんです。 その後、1ヶ月ぐらいすごく悩みました。自社で作ると在庫を抱えるリスクがあるので。だけどやっぱり自分発信で、Run Be(ランビー)のブランドで商品を出すことにしました。それが57歳のときのことです。

商品もブランドも知名度ゼロ。取った手段は正面突破

―57歳から起業するのって、結構大変じゃないですか。何よりも服部さんは、それまで会社の役員を務められていたので、そのキャリアを捨ててまでチャレンジするには、かなり勇気が必要だったと思うのですが。

―服部
そうですね。今、59歳なので「アラフィフ」ならぬ「アラ還」。前の会社ではずっと役員として部下も何十人もいて、それなりの年収もあって。そこから独立して起業するのは、大変といえば大変かもしれませんね(笑)。でもやっぱりやりたいことをやりたい。その気持ちが強かったです。 最初、自分のウエブサイトでメダルハンガーを売りつつ、スポーツ用品店や東急ハンズ様にメダルハンガーを置きたいなって思っていたんです。起業した10か月後の2014年11月には、期間限定ではあったんですけど、東急ハンズ様の新宿店で置いていただけることになりました。

―東急ハンズさんには、ご自身で直接営業なさったんですか?

―服部
そうですね。ランニング仲間のツテを頼りに正面突破で売り込みに行きました。この「飛び込み」なら飛び込んでも死なないですから(笑)。 ゼロからスタートなので、つまりビジネスでは弱者。地道にやっていくしかない。しかもお金かけないでやる。ブランドも知名度もない弱者なのですから当然ですね。 東急ハンズ様に置けたことで、次の段階につながっていきました。そのあと結構大変でしたが、スポーツ用品専門店のスポーツオーソリティ様に置いていただけたのです。次は、ブルーブルーエ様という100数店舗ある雑貨のお店や、ランニング教室のジャパンマラソンクラブ様でも売ってもらいました。 さらにランニング教室では、生徒さんたちにも営業していただいて売ってもらっています。今は、ヨガスタジオさんにも売っていただいるんです。そうしたツテやつながりをフルに使って、少しずつシェアを広げていきました。 ただ、売り場に行っても大体ダメ出しされるんですよね。でもその時、「役員までやってたのに」なんて考えると何もできないです。恥を考えちゃ何もできない。そう考えています。

―役員から一転、飛び込み営業なんてサラリーマン1年生になったようなものですね。その突破力で、国内最大級のマラソン大会の公式グッズにもなったのでしょうか?

―服部
国内最大級のマラソン大会には残念ながらツテがありませんでした(笑)。そこで、マラソン大会の公式サイトにあるお問い合わせフォームから提案をしたんです。でも返事が1か月くらいこなくて。まぁ、大体こないですよね(笑)。 でも1か月後、返事が来たんです!「返事が遅れてすいません。メダルハンガーについて詳しく聞きたいので来社してくれますか」という内容です。文字通り、その担当者のところへすぐ飛んで行きました(笑)。 取引条件では「服部さんができる範囲でいいですよ」と言われて、「じゃあ、それで」と言ったら、結局2日間で売り切れるほど大好評。おかげさまで来年も契約させていただくことになり、さらにちょっと増量しましょうということになっています。

恥を捨て、恥を忍ぶ。弱者のマーケティング戦略

―営業の他にも大変だったことは、たくさんあったのではないでしょうか?

―服部
そうですね。例えば事務や管理業務のバックオフィスの仕事。会社勤めだと、経理部とか総務があって、全部やってくれてるわけじゃないですか。でも起業すると、決算前には決算書や青色申告書も作らなきゃいけないし、税務署に行かなきゃいけない。 でも実際やり始めたのはいいけれど、当然四苦八苦する。それを見て友人の税理士さんがいつでも教えてあげると言ってくれたんです。その言葉に甘えて、しょっちゅう相談に乗ってもらっています(笑)。 さらに税務署でも教えてくれるので、税務署の職員に言われたとおりまた直して、また出直しますというのを繰り返して。結局、お金は一銭もかけませんでしたね(笑)。

―人と人で直接会話してなるべくコストを抑えるんですね。独立・起業といっても、やはり人に頼ることは大切ですか?

―服部
「人に頼る」っていうよりも、「恥を捨てて人に聞く」ってことが大事です。頼ろうとすると煙たがられますから。人は結構教えるのが好きなので「教えてよ」っていうと、「俺でいいの、しょうがないな〜」と言って聞いてないことまで怒涛ごとく教えてくれます(笑)。 聞き上手になって、いろんな人に聞きまくること。前職のちょっとしたツテでも自分でぶち当たっていけばいい。

―ひょっとして、人のつながりでメディアにも登場なさったのですか?

―服部
はい。メディアに出るようになったのは、私も会員になっている起業家向けのレンタルオフィスを運営している銀座セカンドライフ株式会社の片桐実央 社長とのつながりがきっかけでした。 片桐社長がある雑誌の企画で取材されたときのことです。レンタルオフィス会員の人も同時に取材したいということになり、「服部という人をインタビューしていいですか」と雑誌の担当者から聞かれたそうです。どうも私は片桐社長の会員では異色のようで。「変わっている」という恥を活かせたわけです(笑)。 そんな変わっている私がメディアに出ると、それを観た他のメディア関係者が検索して、直接ホームページから連絡が入ります。その連鎖で、マスコミからの問い合わせが多くなり、自然と登場する回数が増えていったという感じです。 銀座セカンドライフ株式会社で片桐社長と繋がらないで、自宅でコツコツやっていたらマスコミには登場できなかったです、きっと。「恥を捨て、恥を忍ぶ」。これがわたしなりの弱者のマーケティングだったんでしょうね。

独立・起業して成功する鍵はフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーション

―やはり人のつながりというのは大切なんですね。

―服部
人とのリアルなつながり、フェイス・トゥ・フェイスは、おそらく皆さんが考えている以上にずっと大事だと思います。先日、あるTV局の取材の時、電話取材だけにしたいという申し出がありました。でも、電話だけじゃ嫌だよといって断ったんです。 フェイス・トゥ・フェイスなら、相手の表情で「そんなこと聞いているんじゃないんだな」と察知して言い回しを変えたりできます。そうして初めて本当に相手が求めているものが提供できるようになります。こちら側としても相手の表情がわからないと、聞いてもらってるのかなって不安にもなりますよね。 きっかけは別にメールでいいんですよ。でも、踏み込んで聞きたいときは、やっぱり会ったほうがいい。

―独立・起業の成功のコツも実はそこに?

―服部
そうです。すべては、コミュニケーション。コミュニケーションを取り違えると大きな傷になって最後に違うね、となります。ビジネスも同じでしょう。コミュニケーションの取り違えさえなければ、結構自分のやりたいように仕事をして生きていけます。いかに最初をつかむかというのが大切ですよねぇ。

まとめ:コミュニケーションを大切にすれば50代でも独立・起業の道は開ける

大手玩具会社での商品企画の経験を活かして、ランニンググッズのビジネスを展開するのが服部さんのマーケティング術だと取材前は思っていました。 しかし、実際は、人のつながりをとことん活かして服部さんは事業をされてます。だからこそ、対面コミュニケーションの大切さを服部さんは強調されています。フェイス・トゥ・フェイスは、昔ながらのコミュニケーションの基本。そうした人とのつながりを活かしてTVや雑誌などのマスコミへの登場にもつなげる。そうした複合的なマーケティングに、独立・起業のヒントがありそうです。
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今から約10年前「サン・ゴールド介護タクシー」の代表・荒木正人さんは、当時としては珍しい介護タクシーのサービスを立ち上げるため、長年勤めた会社を早期退職。57歳にして起業しました。 独立して10年。酸いも甘いも知り尽くしている荒木さんにこれまでの歴史、そして今の仕事に対する想いをお聞きしました。

「車が好き」×「人から”ありがとう”を言われる仕事」それが、介護タクシードライバー

ー最近ではよく見るようになった介護タクシーですが、荒木さんは10年も前から介護タクシーの事業を立ち上げているんですよね。そもそも事業を立ち上げようと思ったきっかけはなんですか?

―荒木正人さん(以下、荒木)
前職のシステム系の会社にいたときから、シニアライフアドバイザーの養成講座に通っていました。そこで出会った先輩に影響されたことがきっかけです。 介護タクシーサービスをボランティアでやっているその先輩の講演を聞いて「私も介護タクシーの仕事をしたいのでノウハウを教えてください!」と、弟子入りを志願しました。 そこで車を調達したりサービスの認可を取ったりなどサービスを立ち上げるまでの手順を教えてもらいました。

ー弟子入りを志願してっていうのがすごい熱量ですね。なぜ介護タクシーを選んだのでしょうか?

―荒木
元々車を運転するのが好きだったのと、会社員時代からずっと「人から”ありがとう”を言われる仕事」がやりたいと思っていました。その2つがマッチングしたのが介護タクシーの仕事だったからです。

ーまさに荒木さんのやりたいことがマッチした仕事だったんですね。天職として始めた介護タクシーの仕事、立ち上がりはどうでしたか?

―荒木
滑り出しはまずまずよかったです。杉並と世田谷の2区を中心にやっているのですが、大きい家や有料老人ホームなどを狙ってポスティングをしたり、HPを作ったりして。最初は地道な営業活動をして徐々にお客さんを増やしていきました。 そんな時、HPを見たある病院から、患者の送り迎えを担当してほしいと声がかかったんです。そこからさらに人を雇って車を調達して。その後3、4年でグッと業績が伸びました。 当時は同業者も少なかったこともあり、順調に業績を上げていきました。タクシー業に病院の送り迎えと大忙しで、最盛期には7〜8人雇って運営していました。

病院との摩擦、収入3割減、ドライバーの引き抜き……順風満帆から一転、荒木さんを襲った”谷の時代”

ー立ち上がりから3、4年で仕事も人も増えて、業績も上がり、全てが順調だったわけですね。

―荒木
最初の5〜7年くらいはよかったんですが、実は今そんなに余裕はないんです。というのも、3、4年目から売れ行きがよくなって人も車も増やしたので、当然コストもそれに応じてかかってきます。 特に病院にはかなりの頻度で送迎をやっていたので、病院側に請求するお金もだんだん増えていって。コストが膨らんでいくにつれて、病院側との間に摩擦が生じてきたんです。

ー事業がある程度成熟してきたからこそ、出てきた問題なのかもしれませんね。費用に関して摩擦が生じたのは、他に競合がいたからなのでしょうか?

―荒木
いえ、競合がいたわけではないんです。ただ、額面上費用が上がってしまったので、病院側から「こんなに払えない!」と言われてしまったんです。 いろいろと交渉もしてみたのですが、結局今までいただいていた料金から、3割も引いた金額で取引をすることになってしまいました。

ー3割も引かれてしまうなんて……。

―荒木
それだけではありません。その後、今度は運転手の引き抜きがあったんです。休日に病院側が無断でドライバーを雇ったりだとか。 当時契約していた病院には車があったので、その車のドライバーとしてうちのドライバーを引き抜いたんです。当時は知識もなく、契約で引き抜きを禁止するなどのこともやっていなかったので、その様子をただ見ていることしかできませんでした。結局、その病院とは契約を解除して雇っていたドライバーの多くはやめてしまいました。

ー順風満帆から一転、大変なことになってしまったんですね。とてもお聞きしづらいのですが……、現在はどのように運営をされているのですか?

―荒木
現在はある病院と新たに契約して、現在8人の患者さんを週3で送り迎えしています。前回の反省を活かし専門家に契約周りから相談をしているので、引き抜きの心配もありません。 それ以外の仕事もあるのですが、やはりきちんと定期的に収入が入ってくる環境がひとつはないと、とてもやっていけませんから。 今は全盛期に比べると仕事は少ないのですが、やっといいドライバーさんが2人見つかって地道に、堅実に運営しています。

それでもこの仕事を続けたいのは、お客様の「ありがとう」が聞きたいから

ーまさに山あり谷ありの10年を過ごしてきた荒木さんですが、今後新たなビジネスを展開していこうとは考えているのでしょうか?

―荒木
もちろん、新しいビジネス案を常に考えてはいるのですが、現状あまりいい案が出てきてはないですね。私が事業を始めた10年前と異なって、今は競合もとても多くなりましたし、大手の企業さんもこの市場に目をつけて手を打ってきています。 やるとしたら、企業さんができない個人レベルならではのサービスがいいのですが……。むしろいい案があるなら教えてほしいくらいです(笑)。

ー介護タクシーの事業から離れて、全く新しい事業を立ち上げることも視野に入れているのでしょうか?

―荒木
それはないですね。新しいサービスを展開するなら、介護タクシーの事業に付随するような形で広げていきたいと考えています。 様々なところで大変な思いをしますし頭を抱えることも多いのですが、それでも自分の好きな運転で、お客様に「ありがとう」と言ってもらえる喜びは、何ものにも代えがたいやりがいです。このままじゃ終われないなと思っています。 サラリーマン時代にはなかなか味わうことができなかったこの喜びがあるからこそ、この仕事が続けられているんだと思います。

ーどんなにつらくてもお客様のためにならがんばれる仕事。とても素敵ですね。最後に、独立や起業を考えている人にメッセージをください。

―荒木
まずは自分の好きなことや興味のあることを仕事にできるよう考えてみてください。私の場合、それは「運転」そして「人の役に立つこと」という2つが独立のカギでした。 独立はたしかに不安もつきまとうし、勇気がいることだと思います。そしていざ独立してからも、私のように10年もやっているといい時もあれば悪い時もあります。 いい時はともかく、悪い時に乗りきれるか否かは、やはり自分が自分の仕事を好きでいられるかどうかです。だから自分の好きを仕事にできるよう、一歩を踏み出してみてください。
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山本 豊さん(49歳)
出版SPプラス/東京都渋谷区
三省堂書店に勤務後、専門書の出版社を2社経験。その後、徳間書店にて販促営業・商品管理に10年間従事。2012年、出版社や著者に向けた販促サポートと営業代行事業で独立。書店展開や目標部数を考える販売プロジェクトも手がけ、書籍の販売・発行部数を伸ばす支援を行う。

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出版販促サポート&営業代行で著者や出版社を支援

親の介護に子どもの進学。 苦悩の果てに叫んだ“自由”

版業界で長く販促に携わってきましたが、突然、両親ともに病気の治療で動けなくなり、昼は仕事、夜は介護の二重生活が始まりました。介護は待ったなしですが、管理職の自分に定時上がりは難しかった。時間に自由が利く会社に転職しようと、同業界の知人に相談し、求職情報も調べましたが、この年齢では責任あるポスト以外に職がなく、状況は変わらない。異業種に至っては、年齢制限で土俵に上がることもできませんでした。
選択肢は、会社に残るか、独立しかないけれど、このまま会社にいても気苦労の多い毎日が続くだけ。でも、息子の大学進学も控える中、独立して本当に収入を確保できるか不安が残ります。グルグルと悩み、いても立ってもいられずに、仕事でかかわった起業本の著者に相談することに。「独立すれば、会社員のように仕事は与えられず、自分でつくらねばならない」という厳しい話をされましたね。しかし、逆に考えれば、自分次第でやりたい仕事ができる自由があると感じました。それまで不安に揺れ続けてきたけれど、「何とかなる」という色紙をもらった瞬間、覚悟が決まった。そこから会社に交渉し、業務委託で営業の仕事をもらえることになり、当面の収入も確保できました。
独立初日には、鎖から解放されたような気持ちになり、坂道を上る車の中、「これが自由だーっ!」と叫びました(笑)。振り返ってみれば、体力的にはギリギリで、独立に役立つ人脈はできていたあの時が、決断のベストタイミングだった気がします。


更新日:2016/10/5
取材・文/上野真理子 撮影/刑部友康、阪巻正志、四宮義博、仲本 潤、町田里仁
アントレ2016.春号 「独立VS転職 私たちの決断」より
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ソニーの品質保証で23年。学生時代から独立を夢見ていた48歳サラリーマンの中北さんが、なぜフランチャイズのPC教室という形で独立開業の道を選んだのか?何から考え、どこで悩み、何を目指してどうなっていくのか?2015年11月から365日長期密着でお送りしているシリーズ第21弾。 今回はオープンして半年を迎え、初の社員登用を進めることになった中北一郎さんに密着! >>バックナンバーはこちら

いよいよ社員登用の準備。 スタッフと一緒に地道に頑張る!

いよいよスタッフの社員登用第1号が誕生する中北一郎さんのパソコン教室。 オープン以来スタッフが数名入れ替わる中、社員登用の決め手になったのは何だったんだろう。
ひとえに日々の業務の中で、生徒さんや教室のことを真剣に考えてもらえているかどうかです。一緒に仕事をしていると、言葉の端々にいろいろ出てきますから……。
ただ、社員登用は初めてのことなので、どんな手続きをふめばいいのか調べてみたんですが、よく分からなくて。もう社労士さんにお願いしちゃった方が間違いないかなと思って、8月10日に打ち合わせを予定しています。 いろいろ助成制度もあるので、ここはプロにお任せします。
8月2日に行われた中北さんの教室独自のイベント、生徒さんたちとの団扇作りも盛況だった様子。
パソコンに詳しい私たちからすると、生徒さんにはちょっと物足りなくないかなって不安もあったのですが、思いのほか好評で、とっても喜んでもらえました。
その様子を見て、スタッフもうれしそうでしたし、新スタッフにとってもいい経験になったと思います。次回は年賀状作りにする?ってみんなで話しているところなんです。
それから最近はみんなで『Pokémon GO』にハマってます。共通の話題ができたことで、意外と結束力の向上に役立ってるかもしれません(笑)。
利益がなかなか出ないのが悩みだというが、利益につながる新規加入が増えないものの、退会率が低い優良校とフランチャイズ本部から言われている中北さんの教室。 “スタッフと一緒に地道に頑張っていきたい”と語る中北さんの人柄が、教室に伝わっているのかもしれない。

次回の更新は、9/9(金)お楽しみに!

更新日:2016/8/26
取材・文:堀家かよ 撮影:吉原朱美

独立開業への道 365日 アンケート2

アンケートにご協力ください

以下の項目に当てはまるものにチェックを入れ、「送信する」ボタンをクリックしてください。

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堀越 建夫さん(51歳)
スタートライン/東京都葛飾区
印刷会社で営業を経験後、経営コンサルティング会社に10年勤務。その後、リサイクル会社に転職し、株式上場準備に従事。2014年9月に外資系の会員制コンシェルジュサービスの代理店として独立。旅行や飲食の予約代行、ギフト販売のほか、セミナー開催、各種専門家の紹介などを行う。

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海外の会員制コンシェルジュサービスを扱う代理店

“自分の夢”と“家族の幸せ” 両方大事にするための独立を

時4歳だった娘が難病を発症したのは、勤め先が株式上場する直前の時期。準備に追われる中、毎晩、入院先を訪ね、病室で仕事を続けました。2カ月が過ぎる頃、社長から「仕事と娘とどっちが大事なんだ!」と迫られました。頭に来て「娘だ」と答えれば、「じゃあ辞めろ」と。もう引くに引けず、その場で会社を辞めることになりました。
すると、私の窮状を知った知人が、高収入で残業がない仕事を紹介してくれて。以前から、「次は転職でなく、独立したい」と思っていたのに、厚待遇にグラリときて1カ月ほど悩みましたね。目先の収入にとらわれて、自分の気持ちにフタをしていいのか。しかし、家族や住宅ローンのことを考えると不安は尽きない。そんな葛藤する日々の中、起業セミナーに参加したら、「ハワイにホテルを建てたい」という夢を思い出したんです。また、「夢に向かうことが家族を捨てることにはならない」という話も聞いて。“自分の夢”と“家族の幸せ”、どちらを取るか悩み続けていましたが、「両方大事にするための独立だってできるんだ」と思えましたね。
その後、独立に向けて勉強する中、現在手がけている外資系の会員制コンシェルジュサービスに出合った。可能性を感じ、海外の本拠地を訪問して直接交渉した結果、代理店をやらせてもらえることになりました。あのまま転職していたら自分の夢は消えていたはず。逃げずに、その不安をしっかり受け止めたことが、自分を動かす原動力になりました。


更新日:2016/9/14
取材・文/上野真理子 撮影/刑部友康、阪巻正志、四宮義博、仲本 潤、町田里仁
アントレ2016.冬号 「独立VS転職 私たちの決断」より
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人を動かすことは マニュアルどおりにいかない……と実感

スタッフが相次いで辞め、テンションが少し下がりぎみだった中北一郎さん。 たった3~4カ月働いただけで、思っていた仕事と違う……と言われてしまうこと自体、理解に苦しんだという。その半面、たった30分の面接と履歴書だけで、人を判断しなくてはいけないという面接の難しさも感じている。  
今までの面接は人当たりのよさや素直さを重視していました。 面接の時にそう感じても、実際に仕事をしてみるとそうではなかったり……人間関係だけはマニュアルどおりにいかないんだって痛感しましたね。
今は、生徒さんたちに教える仕事以外に、生徒数を増やすための営業や、教室内のこまごまとした仕事があることを理解し、一生懸命やろうという姿勢のある人を選ぶようになりました。
さぞかし中で働くスタッフも混乱しているのでは?と思い、6名のスタッフのうち、都合のついた5名に個別に話を聞いてみたところ、全員が全員、「いいことも悪いことも、思ったことは中北さんに直接話すので混乱することはない」という答えだった。 普通の会社なら上司に遠慮して言わない、波風を立てたくないから言わないという人がいそうなものだが、これにはびっくり。
スタッフ同士はもちろん、中北さんにも何かあるたびにすぐ相談しています。 ぶつかることも多々ありますが、一番大切なのは生徒さんたちが楽しく続けられるか、学べるか……ということだと思うんです。
そのためには相手が誰でも遠慮することなく話し合います。でも中北さんって穏やかに見えて意外と短気なんですよ(笑)
とスタッフの那須さん(仮名)。 同じく開業時からのスタッフである千頭さんは
中北さんは“みなさんの教室です”という感じで、何かあればすぐ中北さんに言える環境ですね。
他のスタッフもそうですよ。提案するとその仕事をさせてくれるので、特に中北さんに要望はないです。
開業後に入社した斎田さんは
気付いたことや止めてほしいことなど、要望は直接中北さんに伝えているので、不満を貯めこんではいないですよ。 パソコン教室だけでなく別の仕事もしているため、スタッフが減り週5日勤務となった時は正直大変でしたが、シフトの融通をきかせてくれるので働きやすいです。
と語る。 今月加入したばかりという段木さんにもお話を伺ってみると、
僕は士業で開業する予定なんで、開業資金を貯めるのと接客を学ぶため、面接を受けました。パソコンのスキルがないから不採用だと思っていたので、採用された時はビックリでした。
実は仕事を初めてからも、そのことで少し悩んでいたのですが、中北さんに相談したら“パソコンの知識や資格よりも生徒さんに教える姿勢が大事”と言ってくれたので頑張ろうと思えたんです。
その後、教室の鍵をもらいました。普通なら、「えっ?働き始めて数日で鍵を渡すの?」と感じちゃうところだと思うんですが、相談した後だったので、信用してもらえて嬉しいと感じましたね。
スタッフはPokémon GOの話題で盛り上がったり、職場の環境はとても良いと思います。
複数店舗の経営を目指す中北さんだが、ほとんどのスタッフは本業がほかにあったり、開業予定者だったりさまざま。
経営を任せたい人はもちろん、学んで羽ばたいてほしい人も採用します。ここで働くことが次へのステップになればいいじゃないですか。
現在、スタッフの1人を社員に登用する手続きを進めているという。

次回の更新は、8/26(金)お楽しみに!

更新日:2016/8/12取材・文:堀家かよ 撮影:吉原朱美

独立開業への道 365日 アンケート2

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川崎 大輔さん(40歳)
合同会社アセアンプラスコンサルティング/埼玉県新座市
旅行会社に勤務後、大手中古車販売会社の海外事業部で自動車アフタービジネス(中古車、整備など)の立ち上げを行う。その後、自動車金融会社を経て、2015年に独立。日系企業のアジア進出支援を行う。(独)中小企業基盤整備機構による創業支援施設「ビジネスト」に入居し、起業家コミュニティづくりにも注力。

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日系企業のアジア進出を支援する 日本とアジアの架け橋代行人

2度の転職で会社に失望。 “安定”というリスクもある

度目の転職先は組織が大きく、スピーディな事業判断ができない歯がゆさを感じました。2度目の転職活動をしながら独立も考えたけれど、具体的に何をすればいいのかわからない。幼い子ども2人を抱えて安定を手放すのはこわかったし、次こそ自由に仕事ができるだろうと、転職先に期待しました。
ところが、任された海外進出プロジェクトは1年で打ち切られ、赴任先のタイから帰国してみると仕事は何もなく、職場では「あの人、何しに来てるの?」という空気に。これはマズいと思い、日系企業のアジア視察ツアーを企画し、現地ビジネスについてのコラム連載も開始したら、それを見た企業からコンサルティングの依頼があったんです。さっそく事業化しようと動きましたが、会社は「業務外のことをするな」と。やっぱり、会社と自分の考えにはズレがあると痛感しましたね。
「今なら独立してもやっていけるんじゃないか」と思ったものの腹をくくれず、転職活動を進めても、どの会社とも考えが合わなかった。そこで、過去に自分のライフプランを書き出したノートを見返したら、「40歳で会社経営」という文字が目に飛び込んできました。私の父は40歳で起業し、61歳で亡くなりましたが、すでに自分も40歳。親父に追いつきたかったし、いつ死ぬかはわからない。自由を取るか、安定を取るか、自問自答の果てに、自由が1㎜だけ勝ったんです。妻に貯蓄をすべて渡し、「これがなくなったら皿洗いのバイトをするから挑戦させてほしい」と覚悟を伝えました。
独立後は、自分で何でも決定でき、スピーディに仕事を進められますし、毎朝、「生きてて良かった」と幸せを実感しています。会社員時代、給料は自動的に入るものだと思っていたけれど、今はお金の動く仕組み、稼ぐ方法を考えられるようになりました。会社を一歩出れば、見える景色は変わり、可能性も広がる。“安定”にはリスクもあると気づかされました。


更新日:2016/8/17
取材・文/上野真理子 撮影/刑部友康、阪巻正志、四宮義博、仲本 潤、町田里仁
アントレ2016.春号 「独立VS転職 私たちの決断」より
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谷貝 英之さん(37歳)
つむぐカフェ/東京都文京区
広告代理店で企画営業に従事した後、アパレル関係の副資材を扱う商社に勤務。体調を崩して休職した後、洋食コックの経験を持つ妻・茜さんと独立を決意。退職後の8カ月、店舗物件探しを続けた。12年、散歩の名所・谷根千エリアに、パングラタンを名物料理にした親子でくつろげるカフェを開業。

VOL.147
「これでいいのか」の答えは、最大の武器、“妻の料理”!

子連れ客大歓迎のカフェ。 料理も自慢の憩いの空間

社で営業をする中、定年後は元コックの妻と一緒にカフェでもやろうと話していました。それが早まったのは、体調を崩して休職したことで、会社に自己退職をにおわされたから。転職するか会社に残るか。悩んでいたら、妻は「戻っても状況は厳しいし、転職しても同じかも。それなら独立してみない?」と言ってくれました。とはいえ、当時は子どもが生まれたばかり。また、震災後の外食産業の状況にも希望は持てなかった。安定を手放す根拠がほしくて、一つひとつ自分なりに結論を出すことにしました。
 まず、「定収入があれば子どもは育てられるけれど、自分と妻は不自由。独立は自由になれるけれど、必死で働かねば稼げない」と何度も条件を天秤にかけ、人生を豊かにできるのは独立だという結論に。また、自分の持つ資源の中では、洋食のコックだった妻の料理が最大の武器であり、それを生かすには飲食店しかないと。僕は広告代理店で販促企画に従事した経験があるので、力を合わせればやれると考えた。さらに、2人とも散策やインテリア、音楽が好きで、親子でもくつろげる店がつくりたかったことを考えると、すべて表現できるのはカフェでした。
 「本当にこれでいいのか」と不安になる時があっても、二人で結論を出してきたから、それでいいと思えましたね。経営が軌道に乗るまで1年半かかりましたが、あの時、決断しなかったら、ストレスでダウンしていたかも。それに、定年まで待っていたら今の店はつくれなかったと思うんです。


更新日:2016/8/3
取材・文/上野真理子 撮影/刑部友康、阪巻正志、四宮義博
アントレ2016.冬号 「いざ独立!私たちの第一歩」より
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﨑山 博教さん(41歳)
ザック国際特許事務所/大阪市淀川区
化学メーカーで研究開発職を1年経験。家業の表具店を継ごうと考え退職後、特許事務所に12年勤務。仕事の面白さに目覚め、独立に向けて弁理士資格取得へ。7回の不合格を経て合格。13年に独立。現在、大阪・東京に2拠点を構え、スタッフ5名を擁し、「開業5年以内にスタッフ30名」を目指す。

VOL.146
技術者出身の知識を生かした特許や商標登録申請の代理人

7回落ちた不安と焦り。 手放したことで開眼!「本質がわかる弁理士」に

許申請の代理人。それが弁理士ですが、年に1度の資格試験の合格率は、わずか数パーセント! 実は私、この資格試験に7回も落ち続けました(笑)。
 技術者出身ながら、文章を書くのが好き。人に勧められて特許申請事務所で働いてみたら、知識と文章力が必要な仕事は、天職のごとく楽しかった。世に発表されていない新技術に触れ、ワクワクする日々を味わい、「資格を取って独立しよう」と決めました。
 最初の3年は独学で挑戦し、それじゃ無理だと気付いてから、資格学校に通い、明けても暮れても勉強の日々。独立したくてしょうがないのに、受けても受けても受からない。焦るほどに成績も落ち、7年目を迎えた年、「もう、やってられへんわ」と(笑)。そこで、ギリギリまで一切勉強せず、自分を追い込む決意をしました。
 これが功を奏し、翌年、8回目の挑戦でついに合格! 思えば、長年の間に、資格取得が目的になっていて、独立して何をするのかを一切考えていなかった。論述試験でも、ありったけの知識を書き込んだだけ。つまり、特許申請で一番重要であるはずの、「技術の特徴」を端的に伝えることができていなかった。勉強から距離を置いたことで、その本質に立ち返り、合格できたんだと思います。
 特許申請は、一度出願したら内容を変更できません。発明者の権利を守るのは自分の文章であり、その技術が生きるも死ぬも、本質を伝えられるかどうかにかかっています。責任ある仕事に携わる今、大きなやりがいを感じます。


更新日:2016/7/20
取材・文/上野真理子 撮影/刑部友康、阪巻正志、四宮義博
アントレ2016.冬号 「いざ独立!私たちの第一歩」より
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れいたん: 皆さん、こんにちは!れいたん 今回も前回に引き続き、伊関先生に起業のダンドリについて教えていただきます。 うめちゃん: それでは、伊関先生宜しくお願いします。 伊関先生 : れいたん、うめちゃん、こんにちは。   前回は「起業家の心得」というテーマでお話しましたが、 今回は「起業前に知っておくべき会社の仕組み」というテーマで、「個人事業主と法人の違い」、「会社を設立した後の税金の年間スケジュールなど」をご説明します。  

個人事業主登録と法人設立の違いについて

まず、独立する際に多く方が迷われる点が、個人か法人かという点だと思います。 それぞれの観点から比較をしていきます。

「登録の手続き」について

こちらは個人事業は個人事業主開業届を出すだけに対して、法人の場合は定款認証や登記、各種届け出が必要になりますので、お金と時間がかかります。

「税金面」についてて

個人事業の場合は収入から経費を引いた所得に所得税がかかりますが、法人の場合は経営者の報酬に所得税がかかります。

※残りの部分が法人税の対象となります。また、個人の場合は赤字の繰り越しが3年(青色申告の場合)、法人の場合は9年となりますので、税金面でのメリットは法人の方が大きいと言えます。

「社会的信用度」についてて

昨今の情報漏洩やコンプライアンス強化の流れもあり、一部の大企業などでは取り引きは法人としか行わないなど、やはり法人の信用度が高いというのが事実です。 個人事業か法人かの1つの目安としては、独立後の売り上げが1000万円以上見込める場合は、法人。そこまで到達しない場合は個人事業主としてまずは始めるのが良いと思います。  

税金に関する年間スケジュールを知っておこう

こちらでは、1月決算の会社※を例にご説明しますね。

※小規模企業:従業員数10名未満の場合

まずは年間のスケジュールを図にしていますので、ご覧ください。 - 社会保険料については毎月、 - 1月には源泉所得税、 - 6月は住民税、 - 7月は源泉所得税と労働保険料、 - 12月は住民税、 - 事業年度末2か月後に法人税、消費税 と、1年を通して多くの支払いが発生します。 またそれに伴った必要書類など、毎月のように何かしらの書類を書き提出することになります。 事業運営のお金に関わる全てに言えることですが、信用にかかわる重要なことですので、見て見ぬふりをしないようにしてください。 どのタイミングでどれくらいの出費が発生するのか、自分自身でスケジュール表を作り、予め把握しておくことをおすすめします。  

独立を検討している方からよくいただく質問について

最後に、私が独立検討者向けにセミナーを行った際によくいただく質問について、特に多いものを簡単に説明します。
Q1:在職中に会社を作ってもいいのですか? A1:はい、仕事をしていても会社を作ることはできます。 ただし、所属している企業、団体などによっては就業規則で副業を禁止している場合もありますので、一度確認をされた方が良いと思います。
Q2:法人はどのくらいの期間で設立できるのですか? A2:本人の準備にもよりますが、早ければ2週間くらいです。
Q3:自宅開業の場合、公共料金の経費はどうすればいいのですか? A3:自宅開業の場合の公共料金は経費として扱うことができます。ただし、生活と事業の割合を考慮し、全額ではなく按分する必要があります。
Q4:開業前の領収書の宛名はどう書けばいいのですか? A4:開業前の場合は、ご自身の名前で領収書をもらってください。
伊関先生 : そろそろ時間ですね。以上、2回にわたって「サラリーマン思考脱却講座」としてきましたが参考になったでしょうか? れいたん うめちゃん: 伊関先生、ありがとうございました!すごく分かりやすくて、とても勉強になりました。 うめちゃん: 会社の設立の時や、税金に関することとか、独立したばかりの経営者の方が1人で行うにはかなり大変だと思いました。 れいたん: そうだね!専門的な知識が必要なことも多いし、やっぱりそれぞれの専門家の方に教えてほしいよね。 うめちゃん: うん。でも開業したばかり頃だと、何についてどの専門家に聞いたら良いか分からないし、実際にどのくらいの費用が掛かるのかも分からないから、なかなか直接聞くのは躊躇しちゃうよね。こういうことって専門家の方に気軽に聞いてもいいんでしょうか? 伊関先生 : そうですね、よく専門家に相談するのは敷居が高いと思っている方がいるのですが、実際はそんなことないですよ。 気軽に聞いてくださいという感じです。 れいたん: そうなんですね!心強いです。 伊関先生 : 私たちの場合は相談料というのは基本的にはないので、質問されたくらいで費用は発生しないですよ。 れいたん: 専門家の方を選ぶポイントはありますか? 伊関先生 : できれば全く認識のない専門家に聞くよりは、セミナーや交流会などで名刺交換をした、一度でも面識のある専門家に質問する方が良いと思います。ある程度の質問するそばの情報があれば、実務レベルで回答できる場合が多いですから。 うめちゃん: なるほど、セミナーなどで知り合った専門家の方に気軽に聞いても大丈夫なんですね! じゃあ、セミナーとかいろいろ行ってみた方がいいですよね? 伊関先生 : いや、そんなに行かなくても、私はいいと思っています。けっこう、多くのセミナーに参加されている方いますが、けっきょく参加することが目的になっている場合が多いですね。 学びや出会いも大切ですが、起業セミナーに参加した後のゴールは起業することですから。「学んだことを活かして実践あるのみ」だと思います。 うめちゃん: 確かにそうですね 笑 何でも行動するのが大事ですね。 れいたん うめちゃん: 伊関先生、2回にわたって教えてくださり、ありがとうございました!  

講師プロフィール:伊関淳氏(株式会社Sounds Great 代表取締役)

起業支援コンサルタント/行政書士/社会保険労務士

18年間にわたり日本ヒューレット・パッカードにて、大手企業向けシステムの営業および営業マネジャーを歴任。 42歳のとき、IT業界から士業界への異例の転身。現在、年200件以上の起業家支援を継続中。その他、賃金・退職金規定や就業規定や就業規則の改定などを中心に、中小企業向けの労務アドバイザーとしても活躍中。

<主な著書> 「サラリーマン3.0」KADOKAWA中経出版 「起業して3年以上続く人とダメな人の習慣」明日香出版

「リスクの裏にチャンスがある」サラリーマンの パパが40代でパン屋さんになった話

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地元の人でにぎわう商店街の一角にある鮮やかなオレンジ色の建物「一本堂」。地元の人から愛される食パン専門店です。オーナーである中島さんは40代で脱サラし、妻の出産を機に長年の目標であった「独立」を果たしました。

実は次の転職先は決まっていた!?幼い子と妻を抱えながらも転職活動中に独立

―前職はどんな仕事だったんですか? 中島:大学で経済学を学んだのち、貿易や人材派遣企業の会社員として働いていました。 ―会社員の頃からすでに独立を考えていたんですか? 中島:大学で経済学を学んでいたこともあってか、大学時代から漠然と「雇われるんじゃなくて自分で経営したいな」と思っていて。実は前職を自己都合で辞めた時には、会社員として次の転職先が決まっていたんです。 ですが40歳を過ぎて、会社という組織に属して働くことが疑問に思えてきて。幸い、会社を辞めてから次の会社に入社するまでに時間があったので、独立を検討するのにちょうどいい時期だったんです。加えて、妻の出産などが重なり、独立するタイミングにはぴったりだなということになりました。 ―奥様の出産後に独立……!?奥様は反対しなかったんですか? 中島:妻は反対するどころか「あまり失敗のイメージがわかないし、まずはやってみようよ」と背中を押してくれました。もともと、いつか独立をしたいねと話していたので、早い方がいいと思って一緒に探しましたね。

未経験でも夫婦で働ける場所。こだわりの先に見えた仕事はパン屋さん。

―独立を検討した際に、業種などこだわったポイントはありましたか? 中島:業種にこだわることはなかったんです。特にパン屋にあこがれていたわけでもなくて。自分自身、ご飯派なので(笑)。 私の場合は、「夫婦で働くことができること」「未経験でもできること」の2点を重点にフランチャイズを探しました。そして、その両方を満たしていたのが一本堂だったんです。 ―ご飯派のパン屋さん!(笑)。ちなみに、もともとフランチャイズを考えていたのですか? 中島:実はそういうわけでもなくて。最初は完全独立の方向だったんです。でも、説明会や本などで調べていくうちに、オーナー業としてのフランチャイズもいいなと思うようになりました。 ―中島さんは独立前までパン作りの経験はなかったそうですが、未経験のものに挑戦する不安はなかったんですか? 中島:開業前に食べた一本堂食パンの美味しさから不安はあまり感じませんでした。パンは少なからず需要があるものですし、特に食パンなら毎朝食べるような身近な食べ物なので、失敗はあまりしないかなと。 ―実際に独立してから、生活はどうですか? 中島:朝は私が6時頃に出勤して、パンの仕込みをします。妻は子どもを保育園に預けた後に合流して、開店しています。閉店はパンが売り切れたらで、だいたい19時頃が多いです。 独立して妻と仕事をするようになってから、会社員時代に感じていた職場へのストレスはなくなりました。生活も規則正しくなって、休みもしっかりとれるので、休日は子どもと一緒にのんびりと過ごしています。 全体的に、会社勤めの時より充実した生活が送れていると思います。 ―奥様とともに独立の夢を叶えて、充実した生活を送れているのはステキですね!でも子育てとの両立は大変そうです……。 中島:店を開いたときは、慣れない作業にとにかく時間がかかって大変でした。最初は子どもを長時間保育園に預けて、妻と2人でひーひー言いながらやっていたんです。でも嬉しいことにお客さんも増えて2人では回らなくなってきたので、今は人を雇っています。

独立はゴールではなく第一歩。将来はカフェや日本と海外の2拠点生活も

―中島さんのように、独立を考えてはいても実際に行動に移すことができない人も多いと思うのですが……。 中島:リスクはゼロではないですが、それをチャンスに変える。乗り越えるだけの気持ちがあれば、あとはやるだけです。独立前にたくさんリサーチして、これならやれそうというものを探すことも大切だと思います。 僕自身、独立は遅い方だと思っていて。普通に勤めているうちに、だんだん先が見えてきて。独立するなら何ができるかなといろいろ模索していくうちに、今につながっているという感じですね。 ―強い気持ちが大切なんですね。今後はどのように考えていますか? 中島:例えばですけど、カフェなどの飲食業をするなど、なんらかの形で事業を拡げていけたらなと思っています。また妻も私も海外にいた経験があるので、日本と海外に拠点を持つとか。 ―中島さんにとって独立することはゴールではなく第一歩なんですね! 中島:そうですね。オーナー業としてのFCでまず土台を作って、そこから何かにまたつなげていけたらなと。 ―40代でここまで先が広がるのって、なかなかないですよね!最後に、独立・開業を悩んでいる方に向けて一言お願いします! 中島:周りの人を大事にすることが大切だと思います。何を始めるにも、周囲の協力や理解がないと始められないし、やっていけないので。その上で強い気持ちがあれば踏み出せると思います。 僕は妻の協力と、親戚や友人の理解があったからこの仕事を始められたし、今の楽しい生活が送れるんです。だから皆さんも、周りの人を大事にしてほしいな、と思います。

年齢は関係ない。無職でも妻子持ちでも、強い気持ちがあれば道は開ける!

40代で独立した元・サラリーマンの中島さん。同年代がひとつの仕事に腰を落ち着ける中、前職を辞め、離職期間中に「無職から」独立を果たしました。彼の周囲の協力と「独立したい!」いう強い気持ちが、新たな人生を切り開いたのです。 「家庭を持っているから」「年齢が」という思いから新しい道を切り開くことをためらっているアナタ!リスクをチャンスに変える勇気を持つことが、あなたの人生を変える一歩なのかもしれません。
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左から、れいたん、伊関先生、うめちゃん

独立する前に身に着けておきたい「起業家の心得」とは?

れいたん: 独立開業を検討している皆さん、こんにちは! 少しずつ日差しを感じる季節になってきましたね。 うめちゃん: 心機一転、新しい挑戦として独立開業を検討し始める方も多いのではないでしょうか? れいたん: さて今回は、そんな独立開業を検討している方にとって最初に意識しなければいけない「起業家の心得」についてのお話です。 れいたん・うめちゃん: それでは、伊関先生よろしくお願いします! 伊関先生: れいたん、うめちゃん、こんにちは。社会保険労務士の伊関です。宜しくお願いします。   今日は、「起業家の心得」ということがテーマなので、サラリーマンと起業家の 「意識の違い」「知っておくべき知識」についてお話したいと思います。 まず、「意識の違い」についてですが、当然、サラリーマンと起業家では立場も役回りも変わってきますので、考え方もまるで違うものになります。転職と起業を迷っている方がいますが、そもそも共存できないものだと思っています。 それでは、サラリーマンと起業家ではどう意識が違い、どう変えなければいけないのか具体的にお話します。  

ここまで違う!「お金」についての意識: 借金することは損?得?

1つめの項目は「お金」に関する意識の違いについてです。

(1)金銭感覚について

「お金は将来のために蓄えておくべきである=(貯蓄)」堅実な方であればそう考えているのではないでしょうか?確かに、安定した収入が見込まれているサラリーマンであれば、あとは退職後の蓄えを残すということで正しい選択だと思います。 しかし、経営者になると早く事業を軌道にのせる、軌道に乗せたら次は事業拡大を考えなければなりません。 つまり、経営者は「お金は将来のために使うべきである=(投資)」という意識でいなければならないのです。 私の実体験でも、経営がうまくいっているほど貯蓄という発想がない人が多いです。彼らにとっては飲み会でさえも人脈構築のための投資という考えです。

(2)借金について

皆さんは借金をするということを、どこかで悪いことだと考えていませんか? 多くの利子を取られるということで、損だと考えている人も多いと思います。しかし、経営者になるためにはここでも、大きく意識を変えなければなりません。 経営者にとって、最も怖いことは資金がショートしてしまうことです。ですから、借金をしてでも資金は確保しておくはリスクヘッジになり、得だと考えます。 また、当然ながら信頼が無ければお金を借りることができません。 つまり、1億円を借りるということは、結果として返済できる能力があると判断されているため経営者としてのステータスにつながり、結果、得であると考えているのです。

(3)失業手当について

サラリーマンとして20、30年務めていると退職後に失業手当をもらわないと損だと思うかもしれません。しかし、経営者としては、一時的な収入よりも長期的に収入を得るために一刻も早く事業を立ち上げ活動をした方が良いと考えなければなりません。 経営にはスピードが大事なので、時間の無駄だと割り切り経営者マインドに切り替えましょう。

経営者は浅く広く?

2つめの項目は、「業務の進め方」についての意識の違いです。 サラリーマンは、担当の部署があり、更にその部署内での役割・任務のもと業務を遂行しています(部分最適)。 つまり専門性に特化して、狭く深くというのが通常です。 しかし、経営者は全体を見渡して経営業務を行わなければなりません(全体最適)。 浅くても良いので広く業務を行わなければならないのです。 これは私の感覚ですが、サラリーマンを経て起業される方は、どうしても部分最適の名残があり職人気質になりがちです。 そうなってしまうと、本来見なければいけない部分が厳かになり右腕として活躍できる優秀な人材を採用する必要が出てきます。 経営者としては、偏らず、万遍なく業務をこなす守備範囲の広さが大切です。

サラリーマンは本当に時間がないのか?

3つ目の項目は、「時間」についての意識の違いについてです。 皆さんは経営者になると自由な時間が増えると思っていますよね? 逆に、サラリーマンは会社からの目標が下りてくるので、それを成し遂げるためにいつも忙しいと感じていると思っているのではないでしょうか?実際は、その逆で、経営者の時間は有限サラリーマンの時間は無限なのです。 全ての人が…というわけではありませんが、例えば、外回りの時に喫茶店で時間を潰していたり、成果を出した後は、知らない間にゆっくり業務を進めていたり息抜きをしていたりするのではないでしょうか?しかし、経営者になると時間をお金に換えるような働き方をしなければなりません。 常に自分の時間をコスト換算し、限られた時間の中で生産性を上げる努力をし続けなければならないのです。

できないことを考えるよりも、できることを考えよう!

4つめの項目は、「判断」についての意識の違いです。 サラリーマンにとっては、しがらみが多いのが実情だと思います。 例えば何か新しい業務フローなどを導入しようとすると、当たりまえのように抵抗勢力が出てきます。基本的に組織の中で働くサラリーマンはリスク思考の方が多いのです。彼らからしてみれば、新しいフローを覚えることが単に手間だったり、自分の仕事が増えるのではないかという思い込みがあったりします。 事業の動きが鈍くなるのも当然ですよね。 しかし、経営者は、今よりも更に生産性を上げるための取組をしなければなりません。後退することはもちろん、現状維持でさえも喜ばしいことではないのです。そのため、できることを考え、かつ、スピード感をもって判断し改善していかなければならないのです。リスク思考ではなく可能性思考への切り替えが、サラリーマンと経営者の意識の大きな違いです。  

シリアルではなくパラレル?

最後5つめの項目は、「仕事の処理について」の、意識の違いです。 2つ目の項目で話しましたが、サラリーマンは業務が狭く深くであり構造的にシリアル(バトンタッチ)形式になっています。 つまり、完成度高く自分の仕事をこなして、次にパスをしていくのが業務の流れとなります。しかし、経営者は全体最適でなければなりません。 どこで何が起こっているのか、どういう状態なのかを把握しなければなりません。 複数のタスクを一度にみていかなければならないため、シリアル処理で、かつ完璧にタスクを処理しようとすると回らなくなってしまいます。   1つのことに固執せずに、どんどん次に行って、走りながら修正していくパラレル処理をする意識が経営者には必要不可欠なのです。 "まずは意識を変えて経営者の思考を身につける" 起業家の心得はついては以上です。いかがでしたか?   冒頭でもお伝えしましたが、サラリーマンと経営者では立場も役割も違います。 まず、経営者として一歩を踏み出したいのなら、まずは意識を変えて経営者の思考を身につけましょう! れいたん・うめちゃん: 伊関先生、ありがとうございました! れいたん: とても勉強になったね!特に、借金は得っていう考え方は意外でした。 でも、返せなくなったらどうしようっていう発想がある時点でリスク思考なんだね。 うめちゃん: 私は、時間についての考え方が変わりました。 なんだかんだで無駄な時間を過ごしているので、少し反省しました。 れいたん: 次回も伊関先生に、知っておくべき「会社の仕組み」についてお話しいただきます。 れいたん・うめちゃん: 次回も宜しくお願いします。  

講師プロフィール:伊関淳氏(株式会社Sounds Great 代表取締役)

起業支援コンサルタント/行政書士/社会保険労務士

18年間にわたり日本ヒューレット・パッカードにて、大手企業向けシステムの営業および営業マネジャーを歴任。 42歳のとき、IT業界から士業界への異例の転身。現在、年200件以上の起業家支援を継続中。その他、賃金・退職金規定や就業規定や就業規則の改定などを中心に、中小企業向けの労務アドバイザーとしても活躍中。

<主な著書> 「サラリーマン3.0」KADOKAWA中経出版 「起業して3年以上続く人とダメな人の習慣」明日香出版

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