米国NPO法人コペルニク/ニューヨーク市
共同創設者兼CEO 中村俊裕 AGE.41
1974年生まれ。主に大阪府で育つ。大学卒業後、英国ロンドン経済政治学院で修士号取得。マッキンゼー東京支社で経営コンサルタントとして活躍した後、学生時代からの夢だった国連へ。復興支援、ガバナンス改革などの業務に就く。2010年、国連の同僚だったエヴァ氏と、ニューヨーク市で非営利団体コペルニクを設立。現在、米国、インドネシア、日本に計4法人を置く。コペルニク自身でも新しいテクノロジー開発を行い、世界銀行、ユニセフなどの政府系機関とも連携、その活動を拡大させている。著書に『世界を巻き込む。』(ダイヤモンド社)がある。
国連職員として、途上国向けODA(政府開発援助)の現場にいた中村俊裕が、アメリカで非営利団体コペルニクを設立したのは2010年のことだ。
地動説を唱え、それまでの定説を覆した科学者の名から取った法人名には、ODAなどとはひと味違う途上国支援で、現地の人たちが余儀なくされている不便・不健康な生活環境を目に見えるかたちで変えたい、という思いを込めた。
試行錯誤の末に考え出した支援のモデルは、ある意味シンプル。途上国の生活向上に役立つ数々のテクノロジーを、コペルニクが見つけ出し、有用性を感じた現地パートナーとともに普及のためのプロジェクトを立ち上げる。
それを動かす資金は、趣旨に賛同する企業や個人の寄付によってまかなわれるのである。
活動スタートから5年、これまで24の国、30万人近い人々の手元に、簡易型浄水器、ソーラーライト、楽に水が運べるタンクなどの製品が届けられ、「暮らしのコペルニクス的転換」が実現した例も多く生まれた。
だが、「活動は、まだ構築途上にある」というのが、中村の認識である。“ラストマイル”――途上国でも最も支援が届きにくいところ――を制覇するまで、その挑戦は続く。
テクノロジーを、必要としている人に“ストレート”につなげる。
━ 国連に勤務するようになったきっかけを教えてください。
東西冷戦が終わったのは、高校時代でした。多感な時期に、国際情勢が大きな変動を迎えていたわけで、気づくと「外」に目が向くように。冷戦の後に待っていたのは、民族紛争。それを解決するうえで、大きくクローズアップされてきたのが国連でした。
元難民高等弁務官の緒方貞子さんや、明石康さんの活躍を知り、いつしか自分も国連の舞台に立ち、世界の貧困を解決したいという気持ちが強くなっていったのです。
大学卒業後、フランスでの語学留学中にインターンに応募し、採用され、その後民間企業での勤務を経て正式に国連のパスポートをもらったのが2002年、28歳の時でした。
独立間もない東ティモールで兵士の社会統合に取り組んだり、スマトラ沖地震の津波で被害を受けたインドネシアで復興プランを策定したり、とにかく援助が必要な現場に行き、そこで求められることを懸命にやりました。
━ コペルニクを設立したのは、国連の活動に限界を感じたから?
限界というか、もどかしさみたいなものですね。何かしようとする時に、いろんなプロセスが必要で、そこに不必要なお金や時間がかかっていたりする。もっとストレートに、困難にある普通の人たちの生活が改善できる手立てはないものだろうかと。
とはいえ、アイデアがすぐに浮かんだわけではないんですよ。コペルニクは、国連の同僚だった妻のエヴァと共同で設立したのですが、2、3年は二人で議論を重ねる日々でした。
━ どのような仕組みですか?
キーになるのは、テクノロジーです。なにもハイテクである必要はありません。欲しいのは、あくまでも暮らしの改善に貢献する技術です。例えば、途上国には、生活に使う水を毎日遠方から家まで運ばなければならない地域が多く存在します。それらは重労働にもかかわらず、たいていは女性と子供の仕事。そこで開発されたのが、太い「車輪型」のタンクです。これに水を満たし、転がしながら帰ってこられるというわけです。
世界には、こうした途上国向けの製品をつくっている企業がたくさんあるんですよ。僕らは、そうした製品を常にリサーチし、Webサイトなどを通じて紹介します。一方、各国には現場を支援しているNGOなどのパートナーがいるのですが、彼らがそれを見て、支援地域で役立ちそうな製品を見つけたら、僕らに対して普及に向けた提案をしてもらい、プロジェクトを立案するのです。
それに対して個人や企業からの寄付を募り、遂行のための資金を調達します。こうしてテクノロジーの開発・生産者と利用者、それに資金提供をする人たちを直に結ぶことで、より効率的でスピーディーな途上国支援ができるようになりました。
ちなみに、テクノロジーを探したり、現場のパートナーと一緒に仕事をするスタッフは約80名。彼らは現在、世界に4つ置いている法人のうち、インドネシアの拠点にいます。国連時代の仕事を通じて土地勘のある国で、最初のプロジェクトを立ち上げたのもここ。僕にとっても大切な場所です。
━ 今後の活動方針は?
設立以来、資金ショートで3度「倒産」寸前まで行きました(笑)。
さすがにその状態は脱しましたけど、僕のなかでは「まだほんの一里塚」という感覚なのです。
活動を本格化させていくためには、いかにインパクトの強い取り組みをかたちにできるかが勝負になる。
企業や国際機関とのパートナーシップを強め、ニーズの高いエネルギー、浄水関連の案件を横展開するのと同時に、農業、ヘルスケアといった分野の深掘りにもチャレンジしていきたいですね。
取材・文/内田丘子 撮影/押山智良